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バグ職シーフは紙すら切れない。  作者: 藤原 智
街造り

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四十二話 決着 壺振り士

 篝火の炎が、リングの四隅で揺れていた。


 昼間まで祭りの匂いでいっぱいだった広場が、今はまるで別の場所みたいになっている。


 肉の焼ける匂い。

 甘い菓子の匂い。

 酒の匂い。

 人の熱。


 それら全部が、中央に作られたリングへ向かって集まっているようだった。


 リングの上には、リンクが立っている。


 上着は脱いでいた。

 拳には布が巻かれている。

 普段のリンクは、誰かの前に立つ時でも、どこか優しい顔をしている。

 でも、今は違った。


 一人の男の顔だった。


 反対側には、キルアさんがいる。


 キルアさんも、拳に布を巻いていた。

 口元には笑みがある。

 でも、その目は笑っていない。


 昨日の喧嘩の続きをするために、ここに立っている。


「ルールを確認する」


 リングの中央で、神楽さんが声を上げた。


「拳のみ。蹴り、投げ、噛みつき、目潰しは禁止。倒れた場合、十を数える。立てなければ負け。相手が倒れている間の追撃も禁止。よろしいですね?」


 リンクが頷いた。


「問題ない」


 キルアさんも、にやりと笑う。


「上等だ」


 華菜が私の隣で両手を握りしめていた。


「リンク……大丈夫かな」

「大丈夫だよ」


 私はそう言った。

 昨日のリンクも、キルアさんも、もう十分すぎるほど戦っていた。

 顔にはまだ腫れが残っている。

 体だって痛いはずだ。

 それなのに、また戦う。

 直哉は腕を組んだまま、じっとリングを見ていた。


「リンクは不利だな」

「ちょっと!」

「事実だ。キルアの方が体格も上。喧嘩慣れもしてる。ボクシングの形になっても、殴り合いの経験値が違う様に感じる」


 華菜が睨むと、直哉は少しだけ肩をすくめた。

 イナは、私の横で目を輝かせていた。


「始まる?」

「うん。始まるよ」


 私が答えた瞬間、神楽さんの手が上がった。


「始め!」


 声が響いた。


 一ラウンド目。


 先に動いたのは、キルアさんだった。

 大きな体が、思ったよりずっと軽く前へ出る。

 右の拳が、リンクの顔へ伸びた。

 リンクはそれを横へ避ける。

 すぐに左を返した。

 拳がキルアさんの頬をかすめる。


「おおっ!」


 観客がどよめいた。

 けれど、キルアさんは笑った。


「いいじゃねえか!」


 次の瞬間、キルアさんの左がリンクの腹に入った。


「ぐっ!」


 リンクの体が少し折れる。

 華菜が息を呑んだ。


「リンク!」


 でも、リンクは下がらなかった。

 歯を食いしばり、すぐにキルアさんの胸元へ踏み込む。

 近い距離で、二人の拳がぶつかり合った。

 布を巻いた拳の音が、やけに重く響く。

 それは綺麗な試合ではなかった。

 でも、昨日のようなただの喧嘩でもなかった。


 二人とも、ルールを守っている。

 倒れた相手を殴らない。

 蹴らない。

 掴まない。


 その中で、全力で殴り合っていた。


 二ラウンド目。


 キルアさんの拳が、リンクの頬を捉えた。

 リンクの顔が横へ弾ける。

 私は思わず声を出しそうになった。

 けれど、リンクは踏みとどまった。

 後ろへ倒れそうになった足を、無理やり地面に刺すみたいに止める。

 そして、顔を戻す。


「まだだ」


 リンクが呟いた。

 キルアさんの笑みが深くなる。


「そう来なくちゃな」


 三ラウンド目。


 リンクの拳がキルアさんの顎を打った。

 キルアさんの体が、一瞬だけ揺れる。

 観客が大きく沸いた。


「いけえええ! リンク!」


 華菜が叫んだ。


「そこで詰めろ!」


 直哉も声を上げた。

 リンクは踏み込んだ。

 けれど、キルアさんはそこから崩れなかった。

 逆に、低く潜るようにしてリンクの懐へ入り込む。

 三発続けて、重い拳がリンクに入った。

 リンクの呼吸が詰まる音がした。


 四ラウンド目。

 五ラウンド目。


 時間が進むほど、キルアさんの強さがはっきり見えてきた。

 キルアさんは強い。

 ただ腕力があるだけじゃない。

 痛みに慣れている。

 殴られることに慣れている。

 相手がどこで嫌がるのか、どこを打てば息が止まるのか、体で知っている。


 一方で、リンクは何度も押されていた。


 頬はさらに腫れ、口の端から血が流れる。

 腹を打たれるたびに、体が折れそうになる。

 それでも、倒れない。

 倒れそうになっても、立つ。

 膝が揺れても、構える。

 六ラウンド目が終わった時、華菜の顔は青くなっていた。


「もういいよ……」


 華菜が小さく呟く。


「リンク、もう十分だよ……」


 私も同じことを思った。


 もう十分だ。

 もう、誰もリンクを弱いなんて思わない。

 誰も、ヴァルハラから逃げたなんて思わない。

 でも、リンクはリングから降りなかった。


 七ラウンド目。


 リンクは少し戦い方を変えた。

 真正面から打ち合うのではなく、足を使い始めた。

 キルアさんの拳をぎりぎりで避け、短い拳を返す。

 大きな一撃ではない。

 けれど、小さく、何度も当てる。

 キルアさんの眉が少し動いた。


「へえ」


 楽しそうな声だった。


「まだ引き出しがあるかよ」


 リンクは答えなかった。

 ただ、拳を出す。


 八ラウンド目。


 キルアさんの右が空を切った。

 その隙に、リンクの左が入る。

 続けて右。

 キルアさんの顔が揺れた。


「おおおおお!」


 観客が叫ぶ。


 魔族も、人間も、ヴァルハラの人達も、もう関係なかった。

 皆がリングを見ている。

 拳が当たるたびに声を上げる。

 倒れそうになるたびに息を呑む。


 私は、変な気持ちになった。

 昨日まで、敵だったのに。

 昨日まで、殺し合いになるかもしれなかったのに。

 今は皆、同じものを見ている。

 リンクとキルアさんの喧嘩を、同じ熱で見ている。


 九ラウンド目。


 リンクが初めて膝をついた。

 キルアさんの拳が、綺麗に腹へ入ったからだった。

 リンクは片膝をつき、手を地面についた。


「一!」


 神楽さんが数える。


「二!」


 華菜が口元を押さえる。


「三!」


 リンクは顔を上げた。


 苦しそうだった。

 今にも吐きそうな顔だった。


「四!」


 それでも、立った。


「まだ……やれる」


 リンクは構えた。


 キルアさんは、少しだけ目を細めた。


「しぶてえな」

「お前ほどじゃない」


 リンクがそう返すと、キルアさんが笑った。


「言うじゃねえか」


 十ラウンド目。


 二人の動きは明らかに鈍くなっていた。

 リンクもキルアさんも、肩で息をしている。

 拳を上げるだけでもきつそうだった。

 それでも、殴る。

 足が止まっても、体が傾いても、拳だけは前に出る。

 それはもう、技術の勝負ではなかった。

 意地の勝負だった。


 鐘の代わりに、太鼓の音が鳴った。


 十ラウンド目が終わる。


 リンクは、柱にもたれるようにして立っていた。

 華菜が今にもリングへ上がりそうになっている。


「リンク、もう……」

「華菜」


 リンクは振り返らずに言った。


「止めるな」

「でも!」

「頼む」


 その一言で、華菜は何も言えなくなった。


 十一ラウンド目。


 空気が変わった。

 たぶん、誰もが分かっていた。

 これで終わる。

 リンクも、キルアさんも、もう長くは戦えない。

 次に大きな拳が入れば、どちらかが倒れる。

 神楽さんの合図と同時に、キルアさんが前へ出た。


 速い。


 疲れているはずなのに、今までで一番鋭かった。

 リンクが反応する。

 けれど、避けきれない。

 キルアさんの左が、リンクの顔を打つ。

 続けて右。

 リンクの体が揺れた。


「リンク!」


 私と華菜の声が重なった。


 リンクは倒れなかった。


 けれど、足が止まっている。

 キルアさんは、そこへ踏み込んだ。

 もう一発入れば、終わる。

 誰が見ても分かった。


 キルアさんが勝つ。

 リンクは、もう防ぐだけで精一杯だった。


 なのに。


 キルアさんの拳が、止まった。

 リンクの顔の前で、ぴたりと止まった。

 広場が静まり返る。


「……なんのつもりだ」


 リンクが低い声で言った。

 息が切れている。

 でも、その声には怒りが混じっていた。

 キルアさんは、拳を下ろさなかった。

 リンクを真っ直ぐ見たまま、口を開く。


「この喧嘩」


 キルアさんの声が、広場に響いた。


「最初から、俺達の負けだろ?」


 誰も動かなかった。


「リンクとの喧嘩は、俺の勝ちみてえだがな!」


 キルアさんは笑った。

 傷だらけの顔で。

 血の滲む口元で。

 それでも、楽しそうに笑った。


「けどよ。俺は、お前達ヴァルハラと一緒がいい!」


 その声は、どこまでも真っ直ぐだった。


「昨日、俺達は負けてた。力でも、数でも、流れでもねえ。面白さで負けたんだよ。お前達は、俺達を潰すんじゃなく、祭りにしやがった。喧嘩を、こんな馬鹿みてえな場所に変えやがった」


 キルアさんは、ゆっくり拳を下ろした。


「だったらよ」


 そして、リングの外にいるヴァルハラの人達を見た。


「俺一人が勝つより、“俺達”が負ける方がいい」


 ヴァルハラの皆が笑う。


「どうだ!」


 キルアさんが叫んだ。


「ヴァルハラは、負けでいいか!」


 一瞬、広場が静まり返った。


 そして。


「いいぞおおおお!」


 誰かが叫んだ。

 それはヴァルハラの人だった。


「負けでいい!」

「ついていくぞ、キルア!」

「面白え方がいい!」


 声が次々と上がる。

 魔族の人達も、人間達も沸いた。


 私は胸が熱くなった。


 終わった。

 これで、終わったんだ。

 そう思った時だった。


「ふざけるな」


 リンクの声が響いた。

 広場の熱が、少しだけ止まる。

 リンクは、キルアさんを睨んでいた。


「俺に遠慮したのか」


 キルアさんの眉が跳ねた。


「あ?」

「勝てる喧嘩を止めた。俺に遠慮したんだろ」

「違えよ」

「違わない」


 リンクは一歩前へ出た。


「俺は、負けてもよかった。全力でやって負けるなら、それでよかった。なのに、お前は勝てるところで止めた」


 リンクの拳が震えていた。


「それは俺に対する侮辱だ」


 キルアさんの顔から笑みが消えた。


「てめえ……今の話、聞いてたか?」

「聞いていた」

「なら分かれよ。俺はお前に手を抜いたんじゃねえ。俺達がどうしたいかを選んだんだ」

「だったら最後まで殴ってから言え!」

「殴ったらお前倒れるだろうが!」

「倒れるために立っていたんだ!」


 また喧嘩が始まりそうだった。


 さっきまで拳闘をしていた二人が、今度は顔を近づけて怒鳴り合っている。


「おい、まだやるのか」

「やるなら降りてからにしろ」

「どっちが勝ちなんだよ」


 観客達も困惑している。

 華菜が震えた。


「いい加減にしなさいよ!」


 華菜がリングの下から叫んだ。


「何で綺麗に終われないのよ! 今、すっごくいい感じだったじゃない!」

「華菜、これは」

「リンクは黙って!」


 リンクがぴたりと黙った。


 華菜はキルアさんも睨む。


「キルアさんも! 言いたいことは分かるけど、勝ちたいなら勝つ! 負けたいなら負ける! 変なところで格好つけない!」

「いや、嬢ちゃん、俺は」

「言い訳しない!」


 キルアさんも黙った。

 直哉が、ゆっくりとリングに近づいた。


「判定は簡単だ」

「何が簡単なのよ」


 華菜が振り返る。

 直哉は真面目な顔で言った。


「拳闘はキルアの勝ちだが、喧嘩は俺達の勝ちだ」

「しゃっあ! 私達の勝ちだああ!!」


 華菜が叫ぶ。


 でも、その言葉で、周りから笑いが起きた。


 魔族の人達が笑う。

 ヴァルハラの人達も笑う。

 屋台の人達も、客達も笑う。


 リンクとキルアさんだけが、まだ少し不満そうに睨み合っていた。


 でも、キルアさんが先に手を出した。


「リンク」

「……何だ」

「お前は強かった」


 リンクは黙った。


「これは本当だ。俺が勝ったとしても、お前が弱いわけじゃねえ」

「……」

「だから、次やる時は最後までやろう」

「約束だな」

「ああ」


 二人の拳が、軽くぶつかった。

 その瞬間、広場が大きく沸いた。


 私は、思わず笑っていた。


 何でか分からないけど、涙が出そうだった。

 横を見ると、イナがリングを見つめていた。

 いつもの笑顔ではなかった。

 少しだけ羨ましそうな顔だった。


「いいな」


 イナが、小さく呟いた。


「ああいうの」


 私はイナを見つめた。


「イナ?」

「怒って、殴って、笑って」


 イナは、ぽつりと言った。


「変なの……。でも、いいな」


 その横顔が、いつもよりずっと人間みたいに見えた。


 ◇


 拳闘が終わっても、祭りの熱は冷めなかった。


 むしろ、そこからさらに人が増えた気がする。


 ヴァルハラの人達は、もう遠慮なく屋台へ混ざっていた。

 魔族の人達も、人間の姿のまま酒を注いだり、荷物を運んだりしている。

 リングの周りでは、さっきの試合についてあちこちで話が弾んでいた。


 そんな中、広場の端に大きなテントがあった。


 昼間は閉じられていた場所だ。

 入口には灯りが吊るされ、布の隙間から中の明かりが漏れている。


「うさぎ様」


 次郎さんが、そこで私を待っていた。


 にこりと笑っている。

 でも、目は真剣だった。


「そろそろ、お願いしやす」

「う、うん」


 心臓が、変な音を立てた。


 さっきまでリンクとキルアさんの拳闘を見ていたせいで、胸が熱くなっていた。

 でも、今度は別の緊張が来る。


 私のお披露目。


「こちらを」


 次郎さんが差し出したのは、着物だった。


 深い色の、綺麗な着物。

 袖には小さな兎の模様が入っている。

 帯も、髪飾りも用意されていた。


「え、これ着るの?」

「へい。場に立つなら、見栄えも大事でございやす」

「見栄え……」


 嫌ではなかった。

 むしろ、すごく綺麗だった。


 でも、私がこれを着るのかと思うと、急に恥ずかしくなった。


 着替えを手伝ってもらい、テントの奥から出ると、華菜と直哉がそこにいた。


「……」


「……」


 二人とも、黙った。


「え、変?」

「変じゃない!」


 華菜が変な勢いで言った。


 でも、それ以上何も言わない。

 顔を少し赤くして、目を逸らしている。


 直哉も、珍しくすぐに言葉が出てこなかった。


「直哉?」

「……浪漫だな」

「何が!?」


 でも、二人が何も言わないせいで、余計に恥ずかしくなった。


 テントの中へ入ると、空気が変わった。


 外の祭りの騒がしさとは違う。

 中には低い熱があった。


 畳のように敷かれた布。

 中央に置かれた盆。

 その周りに座る客達。

 酒の匂いと、銭の匂いと、人の期待が混ざっている。


 次郎さんが私の横に立った。


「今宵は、うさぎお嬢のお披露目でございやす」


 客達の視線が一斉に集まる。


 私は、賽筒を手に取った。


 大丈夫。

 昨日、大朝さんと朝まで練習した。


 音を聞く。

 重さを感じる。

 賽がどこにあるかを見る。


 丁。

 半。

 揃い目。


 全部、出来た。


 だから、大丈夫。


 私は賽筒に賽を入れた。


 からん。


 音が鳴る。

 そのまま、私は賽筒を伏せた。


 じゃらじゃら。


 中で賽が転がる。


 その瞬間、場の空気が少し変わった。

 でも、私は気づかなかった。


 賽の音だけを聞いていた。


 見える。

 手の中で、賽が見える。

 

 丁。


 私は賽筒を止めた。


「丁半、揃いやした」


 次郎さんの声がした。


 客達が銭を置く。

 丁。

 半。

 声が飛ぶ。


 私は、ゆっくり賽筒を上げた。


 出た目は、偶数。


「丁です」


 当たった。

 ちゃんと出来た。


 そう思ったのに。


「待てや」


 低い声が響いた。

 客の一人が、こちらを睨んでいた。


「今、賽筒の中、見せてねえな」

「え?」


 私は固まった。


「賽も見せてねえ。中も見せねえ。いきなり振るとは」

「あ、あの……」


 何を言われているのか分からなかった。


 賽筒の中。

 賽。


 見せていない。

 何を言われているのか理解が出来ない。


「次郎」


 別の男が低い声で言った。


「こいつぁ、どういう了見だ」

「客を舐めてんのか」

「イカサマ仕込んでねえだろうな」


 ざわざわと声が広がる。


 私は賽筒を持ったまま、動けなくなった。


 手が震える。

 着物の袖まで震えているのが分かった。


 後ろで、大朝さんが片手で顔を覆った。


「……しくじりやした」


 その声は、とても小さかった。

 次郎さんが、大朝さんを見る。


「大朝」

「申し訳ありやせん、叔父貴」


 大朝さんは深く頭を下げた。


「作法を教えるのを忘れていやした。うさぎお嬢の才に、見惚れて……振ることばかりを」

「……」


 次郎さんは何も言わなかった。


 その沈黙が、余計に怖かった。


「才だか何だか知らねえよ」

「場には場の筋があるだろうが」

「目が出りゃいいってもんじゃねえぞ」

「こちとら銭を張ってんだ」


 声が増えていく。

 さっきまで熱かった場が、今は私を責める場所になっていた。

 私はちゃんとやったつもりだった。


 目を出した。

 間違えていない。

 なのに、誰も褒めてくれない。

 誰も驚いてくれない。

 皆、怒っている。

 怖い顔で、私を見ている。


「……ごめんなさい」


 声が勝手に出た。

 でも、小さすぎて、たぶん誰にも届いていない。

 目の奥が熱くなった。


 どうすればよかったのか分からない。

 今から賽筒を見せればいいのか。

 もう一度振ればいいのか。

 謝ればいいのか。

 笑えばいいのか。


 分からない。

 何も分からない。


 次郎さんが客達に向かって頭を下げていた。

 大朝さんも、何度も頭を下げていた。


 でも、私は動けなかった。

 賽筒を握ったまま、ただ立っていた。

 胸の奥がぎゅっと痛くなる。


 昨日、大朝さんに褒められた時、嬉しかった。

 天性だと言われた。

 壺振り士だと言われた。

 私にも出来ることがあるんだと思った。


 でも、違った。

 私は、またやらかした。

 また、皆に迷惑をかけた。


「うさぎ」


 華菜の声がした。

 気づくと、華菜が私の隣に来ていた。

 顔が心配そうに歪んでいる。


「一回、出よ」


 華菜が私の手から、そっと賽筒を取った。

 その瞬間、我慢していたものが崩れた。


「……っ」


 涙がこぼれた。

 止まらなかった。

 私は華菜に手を引かれ、テントの外へ出た。


 外では、まだ祭りの音が続いていた。

 笑い声。

 笛の音。

 太鼓の音。

 屋台の呼び声。

 全部が遠く聞こえた。

 さっきまで楽しかった祭りが、今は少しだけ怖かった。

 私は着物の袖で顔を隠した。


「ごめん……」


 誰に謝っているのか、自分でも分からなかった。


「ごめんなさい……」


 華菜は何も言わず、私の背中を撫でてくれた。

 その優しさが、余計に苦しかった。


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