四十一話 準備
翌朝。
まだ空が白み始めたばかりだというのに、広場にはもう人の声が響いていた。
「そこ、もっと間隔を空けろ」
「はっ」
「火が弱い。薪を足せ」
「承知」
魔族の人達が、道沿いに篝火を並べている。
広場から、始まりの街へ続く道。
そこに等間隔で、木の枠が立てられ、油を染み込ませた布と薪が組まれていく。
夜になれば、炎の道が出来るのだと思うと、少しだけ胸が高鳴った。
昨日まで戦っていたのに。
昨日まで、誰かが死ぬかもしれない空気だったのに。
今は皆、当たり前みたいに祭りの準備をしている。
「うさぎ様。こちらへ」
アンドゥルさんの声がした。
振り返ると、アンドゥルさんの後ろから、見知らぬ人達がぞろぞろと歩いて来ていた。
数十人はいる。
大きな荷物を背負っている人。
板を運んでいる人。
鍋や木箱を抱えている人。
中には、笛や太鼓のようなものを持っている人までいた。
「え、誰?」
私がぽかんとしていると、次郎さんがにこりと笑った。
「祭りにゃ人手が必要でございやす。昨夜のうちに、少々声をかけておきやした」
「昨夜のうちに?」
「へい」
次郎さんは、何でもないことのように頷いた。
その横で、岩間さんが黙って荷物を下ろす。
すると、次郎さんの後ろから来た人達が、一斉に動き始めた。
広場の端に、あっという間に屋台の列が出来ていく。
「すご……」
私は思わず呟いた。
祭りっぽい。
すごく祭りっぽい。
「うさぎ!」
その時、華菜の声が飛んできた。
見ると、リンクと直哉と華菜が、魔族の人達と一緒に木材を運んでいた。
中央には、四角い台のようなものが作られ始めている。
「こっちはリング作ってるんだから、余計なことしないでよ!」
「してないよ! 見てただけ!」
リング作りは思ったより本格的だった。
直哉が地面に線を引き、そこへ魔族の人達が太い柱を立てていく。
華菜は縄の高さを見ながら、何度も首を傾げていた。
「もう少し高い方がいいかな?」
「高すぎると落ちた時危ない」
「じゃあ、三段?」
「三段でいい。外側には柵も作る。客が近づき過ぎると危ない」
直哉がそう言うと、リンクが睨んだ。
「罠は?」
「ない」
「本当だな?」
「おう」
魔族の人達も、リンク達も、普通に一緒に作業している。
私は、その光景を見ながら、少しだけ嬉しくなった。
◇
一方で、イツキは広場のあちこちを見回っていた。
「屋台は道を塞ぐな。人が流れる場所を作れ」
「はっ」
「怪我人を運ぶ道を必ず残せ。騒ぎになった時、逃げ道がなければ祭りは潰れる」
「承知しました」
「観客席はリングを囲むように。だが、近すぎるな。拳闘とはいえ、熱が上がれば何が起こるか分からぬ」
イツキの声に、魔族の人達が次々と頭を下げる。
その少し離れた場所では、アンドゥルさんが神楽さんと竜胆さんを前に、地面へ簡単な地図を描いていた。
「ヴァルハラの拠点は、この方角で間違いありませぬな?」
「はい」
神楽さんが頷く。
「ここからなら、歩いて半日ほどです。ただ、森を抜ける道は細い。馬車を通すなら少し迂回が必要になります」
「高低差は?」
「途中に浅い谷があります。雨が降れば足場は悪くなりますが、今なら問題ありません」
「ふむ」
アンドゥルさんが顎に手を当てる。
「竜胆殿。大人数が動くなら、どの道を使いますか?」
「こっちだな」
竜胆さんが地図の一部を指差した。
「遠回りだが、広い。屋台や荷物を運ぶならこっちの方がいい」
「では、その道沿いにも見張りを置きましょう。祭りに来る者と、騒ぎに紛れる者を分けねばなりませぬ」
「……随分と本気ですね」
神楽さんが静かに言った。
アンドゥルさんは、穏やかに笑う。
「当然でございます。祭りとは、ただ騒ぐものではありません。人が集まると銭が動きますゆえ」
神楽さんは、少し黙った。
竜胆さんも、腕を組んだまま何も言わない。
「だからこそ、あなた方にも手伝っていただきたいのです」
アンドゥルさんは、深く頭を下げた。
「昨日まで敵であった者同士が、同じ祭りを守る。それが形になれば、ヴァルハラの方々にも伝わりましょう」
「……分かりました」
神楽さんは、静かに頷いた。
「協力します」
「助かります」
アンドゥルさんは、もう一度頭を下げた。
◇
私はというと、イナと一緒に私とイツキの館の中にいた。
何で私がこんな場所にいるのか、たまに分からなくなる。
その一室で、イナは椅子に座って足をぶらぶらさせていた。
「うさぎってさ」
「うん?」
「変だよね」
「いきなり悪口?」
「あはは。違うよー」
イナは笑った。
「だって、普通なら怖がるでしょ? 魔王も、魔族も、戦いも。なのにうさぎは、怖がりながらも全部ぐちゃぐちゃにするんだもん」
「ぐちゃぐちゃにしてるつもりはないんだけど」
「してるよー」
イナは楽しそうに言う。
「私が作ったものを、うさぎはすぐ変にする」
「え?」
「ううん。こっちの話」
イナはにこにこ笑っている。
その笑顔は、いつもと同じだった。
軽くて、無邪気で、何を考えているのか分からない。
でも、今日は少しだけ違って見えた。
「イナはさ」
「なあに?」
「楽しい?」
私が聞くと、イナは目を丸くした。
「祭りが?」
「ううん。今」
イナは、少しだけ黙った。
足をぶらぶらさせる動きが止まる。
「……分かんない」
「分かんないの?」
「うん。私は、面白いものを見るのは好き。でも、楽しいっていうのは、よく分かんない」
その言葉が、少しだけ寂しく聞こえた。
イナはいつも笑っている。
いつも楽しそうに見える。
でも、本当に楽しいのかどうかは、本人にも分からないらしい。
「じゃあさ」
「うん?」
「今日、一緒に祭り楽しもうよ」
「私が?」
「うん」
私は頷いた。
「見るだけじゃなくて、参加するの。何か食べたり、屋台見たり、皆が騒いでるのを近くで聞いたり。そしたら、少しは分かるかも」
「……うさぎと?」
「違うよ。皆と」
そう言うと、イナはじっと私を見た。
いつもの笑顔が消えている。
その顔は、少しだけ子供みたいだった。
「うさぎは、私が怖くないの?」
「怖いよ」
「即答だねー」
「嘘、結構、イナの事好きだよ」
イナが瞬きをした。
私は少し恥ずかしくなって、視線を逸らした。
「だって、イナはイナだし」
「あはは」
イナは、また笑った。
けれど、さっきより少しだけ柔らかい笑い方だった。
「じゃあ、私、皆と祭りを楽しむ」
「うん」
「約束」
「うん! 約束!」
そう言うと、イナは椅子からぴょんと飛び降りた。
「じゃあ、私、ちょっとイツキちゃんのところ行ってくる」
「イツキ?」
「うん。聞きたいことがあるの」
イナは手を振ると、軽い足取りで部屋を出て行った。
私はその背中を見送りながら、何となく胸の奥が温かくなるのを感じていた。
◇
イナが外へ出ると、イツキは広場の端で作業を見ていた。
「イツキちゃん」
「何じゃ、イナ」
イツキは振り返らずに答えた。
イナは、その隣に並ぶ。
目の前では、魔族と人間が一緒に屋台を組み立てていた。
「魔王は、人間の敵として設定しているのに」
「設定?」
イツキは、くくくと笑った。
「相変わらず、お主は妙な言い方をする」
「だって、そうだもん。魔王は人間と敵対するもの。魔族は人間に恐れられるもの。そういう役割のはずだった」
「それは、先々代までの話じゃな」
イツキは静かに言った。
「先々代?」
「余が生まれる前の魔王。そのまた前の魔王。その頃は、そうだったのかもしれぬ。魔王は人間を憎み、人間は魔族を恐れる。互いに殺し合い、それを当然と思う時代があったのだろう」
イツキの視線の先で、魔族の一人が重い木材を持ち上げた。
それを見たヴァルハラの男が、慌てて反対側を支える。
二人は何かを言い合い、すぐに同じ方向へ歩き始めた。
「だが、代を重ねれば、憎しみも薄れる。役割も薄れる。残ったのは、生きている者達の都合じゃ」
「都合」
「そうじゃ。腹が減れば飯を食う。住む場所が欲しければ町を作る。面白いと思えば祭りを開く。敵であっても、利用できるなら手を組む。共に笑えるなら、なお良い」
イツキは、イナを見る。
「余は魔王じゃ。だが、余の生き方まで、古き役割に縛られるつもりはない」
「……そっか」
イナは、小さく呟いた。
そして、ゆっくり笑った。
「そっか。皆、勝手に変わってるんだ」
「気に入らぬか?」
「ううん」
イナは首を振った。
「すごく嬉しい」
イツキは、少しだけ意外そうに眉を動かす。
イナは、広場を見渡した。
「決めた通りにしか動かないなら、つまらないもん。私が知らない方へ行くから、面白いんだね」
その声は、いつもより静かだった。
けれど、とても嬉しそうだった。
「イツキちゃん」
「何じゃ」
「私、この祭り楽しみー」
「そうか」
「うん!」
イナは、にこっと笑った。
「うさぎと約束したから」
「くくく。ならば、余も楽しみにしておこう」
イツキは愉快そうに笑った。
◇
同じ頃。
王邸の執務室に、幸村さんが膝をついていた。
机の向こうには、宗篤王が座っている。
部屋には数人の側近が控えていたが、誰も口を開かない。
「祭りだと?」
宗篤王が静かに言った。
「はい。明日、あの地にて祭りを開くとのことです」
「昨日、戦っていたはずではなかったか」
「その通りでございます」
幸村さんは頭を下げたまま答える。
「ヴァルハラとの衝突は、キルア殿とリンク殿の拳闘により決着をつける形となりました。そのための場として、祭りを開くとのことです」
「……なるほど」
宗篤王は、しばらく黙った。
やがて、わずかに笑った。
「魔王らしくないことをする」
「はい」
「祭りで名を広めるか……」
宗篤王は、椅子の背にもたれた。
「それで、私は来るなと言われたのだな?」
「はい。王が動けば兵が動き、兵が動けばならず者も紛れる。今の彼らには、王を守る余裕はないとのことです」
「確かにな」
側近の一人が驚いたように王を見た。
宗篤王は気にしない。
「イツキ殿の助言に従うといたそう」
宗篤王は、はっきりと言った。
「ただし、様子は見たい。信頼できる者を少数送れ。祭りを邪魔せず、民に紛れ、何が起こるか見届けさせろ」
「承知いたしました」
「幸村」
「はっ」
「お前は戻れ。あの場で見たものを、次にまた報告せよ」
「御意」
幸村さんは、深く頭を下げた。
その顔に浮かぶ感情は、誰にも読めなかった。
◇
その夜。
皆が祭りの準備で疲れ果て、館の中も静かになった頃。
私はこっそり、一階の小部屋に大朝さんを呼んでいた。
「……うさぎ様」
部屋に入ってきた大朝さんは、低い声で言った。
「本当に、よろしいので?」
「うん」
大朝さんは、少しだけ遠い目をした。
でも、すぐに賽筒と三つのサイコロを取り出す。
「壺振りは、ただ振ればよいものではありやせん」
「うん」
「音を聞く。重さを知る。中でどう転がったかを感じる。目を出すのではなく、目が出る場所へ運ぶのでございやす」
「目が出る場所へ運ぶ……」
「へい」
大朝さんは、サイコロを賽筒へ入れた。
からん、と音が鳴る。
その音だけで、胸が高鳴った。
「では、まずは真似から」
大朝さんが賽筒を伏せ、軽く振る。
じゃらじゃらと音が響く。
昨日見た時と同じ、綺麗な動きだった。
「丁!」
わたしがそう言うと、大朝さんがすぐに賽筒を振った。
賽筒が、開かれる。
出た目は、偶数だった。
「すごい」
「手品ではございやせん。積み重ねでございやす」
大朝さんは、私に賽筒を渡した。
「やってみなせえ」
「うん」
私は賽筒を持った。
思ったより軽い。
けれど、中にサイコロを入れると、手の中で小さな重みが生まれた。
振る。
じゃら。
変な音がした。
「……今のは?」
「壺に振られておりやす」
「壺に?」
「へい。うさぎ様が壺を振るのではなく、壺がうさぎ様の手を連れていっておりやす」
「難しい……」
何度も振った。
最初は、サイコロが中で暴れているだけだった。
音もばらばらで、どこに何があるのか分からない。
でも、何度も振るうちに、少しずつ音が変わって聞こえるようになった。
からん。
じゃら。
こつん。
サイコロが壺の内側に当たる。
転がる。
重なる。
離れる。
分かる。
今、どこにあるのか。
「……半」
私は、そう呟いて壺を開けた。
奇数。
大朝さんの眉が、少し動いた。
「まぐれでございやす」
「もう一回」
私はまた振った。
今度は、サイコロの動きがさっきよりはっきり分かった。
「丁」
開ける。
偶数。
大朝さんが黙った。
「もう一回」
「……はい」
振る。
今度は、目を狙ってみた。
右から
三。
二。
一。
そうなるように、壺の中でサイコロを転がす。
かたん。
止める。
開ける。
三、二、一。
次は、縦にサイコロを並べて、上から
一。
二。
三。
「……」
大朝さんが固まった。
「大朝さん?」
「うさぎ様」
「うん?」
「今、何をなさいやした?」
「三、二、一と縦に並べて一、二、三、ってなるように」
「思って、出来るものではございやせん」
大朝さんの声が、少し震えていた。
それから、私は何度も振った。
振り続けながら、目も狙う。
一、一、一。
六、六、六。
二、四、六。
三、三、五。
最初は少し外れた。
けれど、何度も振るうちに、だんだん外れなくなっていった。
サイコロの音が、手の中で見える。
そんな感覚だった。
「……天性」
大朝さんが、ぽつりと言った。
「え?」
「天性の壺振り師でございやす」
大朝さんは、深く息を吐いた。
「いや……壺振り士、と言うべきかもしれやせん」
「壺振り士?」
「職のようなものでございやす。某は、今まで多くの者を見てきやした。器用な者も、勘の良い者も、賭場に愛された者も。だが、ここまでの者は見たことがありやせん」
褒められている。
私は嬉しくなった。
「じゃあ、賭場に出てもいい?」
「それはなりやせん」
「何で!?」
「うさぎ様は、客にしてはいけないお人でございやす」
大朝さんは、真剣な顔で言った。
「賭場には、勝つ者と負ける者がおりやす。だが、本当に場を回す者は、勝ち負けだけを見てはなりやせん」
「どういうこと?」
「客を熱くさせる。だが、潰してはならねえ。勝たせる者を勝たせ、負けさせる者を負けさせる。大きく取る時もあれば、わざと吐き出す時もある」
大朝さんは、サイコロを一つ摘まんだ。
「賭場は銭を奪う場所ではございやせん。銭が回る場所でございやす」
「銭が回る場所……」
「へい。今日勝った客が、明日も来る。負けた客も、次は勝てると思って来る。胴元が一夜で全部取ろうとすれば、場は死にやす」
「場が死ぬ」
大朝さんの声は静かだった。
「この祭りは、町の始まりでございやす。ならば、客に楽しかったと思わせねばならねえ。勝った者には土産を持たせ、負けた者にも笑いを持たせる。恨みではなく、噂を残す。それが肝心でございやす」
「噂……」
「へい」
大朝さんは、壺を私の前に置いた。
「うさぎ様。壺を振るなら、目だけを見てはなりやせん。人を見なせえ。場を見なせえ。銭の流れを見なせえ」
「……うん」
私は頷いた。
それから、朝まで壺を振り続けた。
丁。
半。
三つ目。
揃い目。
音を聞く。
重さを感じる。
人の息を見る。
場の熱を考える。
気がつくと、窓の外が薄く明るくなっていた。
大朝さんは、疲れた顔で笑った。
「うさぎ様」
「何?」
「賭場を晩に開きやす。そこでうさぎ様のお披露目と」
大朝さんは、冗談ではなさそうな顔で深く頭を下げた。
◇
そして、祭りの日が来た。
朝から、人が集まり始めた。
始まりの街から来た人。
近くの村から来た人。
ヴァルハラの拠点から来た人。
何が起きるのか分からないまま、噂を聞きつけて来た人。
道沿いの篝火は、昼間でも煙を上げていた。
屋台からは、肉の焼ける匂いがする。
甘い菓子を売る声。
飲み物を配る声。
くじを引いて喜ぶ子供達の声。
「当たりだ!」
「こっちも見ていきな!」
「おおっと、そこの兄さん、力試しはどうだい!」
次郎さんが呼んだ大道芸人達は、広場のあちこちで芸を披露していた。
火のついた棒を投げる人。
玉をいくつも宙へ浮かせる人。
笛を吹きながら踊る人。
大きな布の中から鳥を出す人。
子供達が笑う。
大人達もつられて笑う。
昨日まで戦いの跡が残っていた広場が、まるで別の場所みたいだった。
私はイナと一緒に色んな出店を見て回った。
「うさぎ、これなに?」
「焼きとうもろこしだよ」
「とうもろこしは知ってるけど、黒いよ?」
「焦げてるんだよ」
「焦げてるの食べるの?」
「そこがおいしいんだって」
屋台のおじさんから受け取った焼きとうもろこしを、イナは両手で持った。
熱かったのか、少しだけ目を丸くする。
それでも興味の方が勝ったらしく、ふうふう息を吹きかけてから、かぷっとかじった。
「……あまい」
イナが小さく呟いた。
いつもの、何でも面白がるような声ではなかった。
本当に驚いたみたいな声だった。
「おいしい?」
「うん。おいしい」
イナはもう一口かじった。
口の周りに醤油のたれがついている。
それが妙に子供っぽくて、私は少し笑ってしまった。
「なにー?」
「いや、イナも普通に食べるんだなって」
「食べるよー。私だって」
「そっか」
イナは焼きとうもろこしを持ったまま、広場を見渡した。
魔族の人が肉を焼いている。
人間の子供が、それを見て目を輝かせている。
ヴァルハラの人達が酒を飲みながら笑っている。
その横で、魔族の人が何かを説明して、皆で同じ屋台を覗き込んでいる。
「変だね」
「何が?」
「私、こんなの作った覚えない」
イナは、焼きとうもろこしを見つめながら言った。
「とうもろこしも、火も、人も、魔族も、全部私が用意したもののはずなのに。こうなるなんて知らなかった」
「……嫌?」
「ううん」
イナは首を振った。
それから、もう一口かじる。
「すごく、いい」
その声は小さかった。
けれど、確かに嬉しそうだった。
「皆、勝手に変わってる。勝手に考えて、勝手に笑って、勝手においしいもの作ってる」
イナは、少しだけ頬を緩めた。
「うさぎ」
「うん?」
「楽しいって、こういうこと?」
「たぶん」
私は笑った。
「でも、まだ分からないなら、もっと食べればいいよ」
「うん!」
イナは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、次あれ!」
「あれ?」
「丸くて、白くて、ふわふわしてるやつ!」
「ああ、綿菓子かな」
「雲食べるの?」
「違うと思う」
「この世界、変だねー」
「イナが作ったんでしょ」
「あはは。そうだった」
イナは焼きとうもろこしを片手に、私の手を引いた。
その手が、少しだけ温かかった。
「うさぎ!」
華菜が私を見つけて走って来た。
「どこ行ってたの!?」
「ちょっと散歩」
「晩に賭場開くって……。ダメだからね」
「うん」
華菜は疑うように私を見たけれど、すぐにため息をついた。
「もう……今日は絶対問題起こさないでよ」
「分かってるって」
「その返事が一番信用できない」
ひどい。
でも、今日は本当に問題を起こすつもりはなかった。
だって、祭りはもう十分すぎるほど面白かったから。
夕方。
空が赤く染まり始めると、広場の空気が変わった。
中央のリングの周りに、篝火が灯されていく。
昼間の賑やかさが、少しずつ熱を帯びていく。
観客達が、リングの周りに集まり始めた。
魔族も、人間も、ヴァルハラの人達も。
誰もが、これから始まるものを待っている。
リングの上には、リンクが立っていた。
いつもの優しい顔ではない。
クランマスターとしての顔でもない。
一人の男として、拳を握っていた。
反対側から、キルアさんが上がる。
その顔には笑みがあった。
けれど、目は本気だった。
「待たせたな、リンク」
「こっちこそ」
二人が向かい合う。
篝火の炎が揺れた。
広場が静まり返る。
私の隣では、華菜が両手を握りしめていた。
直哉は黙ってリングを見ている。
イナは、私の横で楽しそうに目を輝かせていた。
イツキは少し離れた場所で、腕を組みながら笑っている。
祭りの最後。
ヴァルハラとの決着。
リンクとキルアさんの拳闘が、今、始まろうとしていた。




