三十五話 喧嘩上等
「篝火を絶やすな」
「はっ」
中央広場に、大きなテントが設置された。
その中に、私、リンク、華菜、直哉、イナ、幸村さん、タンドレさんが椅子に座っている。
イツキだけは座っていなかった。
腕を組み、次々と魔族の人達に指示を出している。
その後ろには、アンドゥルさんが控えていた。
魔族の皆は、人間の姿に擬態している。
けれど、分かる。
空気が違う。
さっきまで町を作っていた時とは、まるで違う。
「板を外せ」
「はっ」
直哉の罠を避けるために置かれていた板が、次々と外されていく。
つまり、もう安全な道はなくなるということだ。
……本当に、喧嘩するんだ。
イナだけが、これから祭りでも始まるみたいな顔をしていた。
私達は、誰も喋れなかった。
「さて、アンドゥル。奴等は殺してはならぬぞ」
「はっ。心得ています」
「うむ。タンドレは出てはならぬ」
「お嬢様、是非私にも」
「ならぬ。お主は殺してしまう」
「血湧き肉躍っていますのに」
タンドレさんは、残念そうに微笑んだ。
血湧き肉躍るって……。
イツキは、言っていた。
タンドレさんを怒らせてはいけない、と。
今、少しだけ分かった気がする。
「イツキ殿、私はどうすれば?」
幸村さんが静かに尋ねた。
この人だけは、いつも通りだった。
目を細め、落ち着いた声で、まるで夕飯の献立でも聞くみたいに。
「幸村殿、殴り合いはできるか?」
「お任せください」
「うむ。しかし、其方は王国からの大事な客人じゃ。危なくなれば引くようにの」
「分かりました」
幸村さんは、すぐに椅子から立った。
イツキに一礼し、そのままテントを出て行く。
「よし、皆、休むがよい」
「分かりました」
魔族の人達が一斉に動き出す。
テントの外から、足音と声が重なって聞こえてきた。
「皆も休むとよい。体を休めて、喧嘩に備えよ」
「う、うん……」
返事をして、リンク達を見る。
リンクは顔が青い。
華菜は両手を握っている。
直哉は黙っていた。
けれど、その目だけは、外の罠の位置を追っているように見えた。
お互いに顔を見合わせる。
誰も、何も言わなかった。
私達は、黙ってテントを出る。
振り返ると、イツキはもう私達を見ていない。
ただ、魔族達へ淡々と指示を出していた。
「なあ……どうする?」
リンクが不安そうに聞いてきた。
どうする。
どうするって言われても、私に分かるわけがない。
逃げたい。
そう思った。
けれど、逃げたところでどうなるのだろう。
ここはもう、ただの野原ではない。
私達が勝手に町を作り始めて、勝手に領地だと言い出して、そして今、相手が来ようとしている。
「……謝ったら、どうにかならないかな」
華菜が小さく言った。
いつもの華菜なら、もっと怒ったように言う。
けれど今の声は、震えていた。
「分からない」
リンクが答える。
「キルアは、無茶な事は言ってなかった。向こうにも向こうの理屈がある」
「じゃあ、やっぱり私達が悪いの?」
「それも、分からない」
リンクは、苦しそうに言った。
リンクは優しい。
だから余計に、キルアの言葉を無視できないのだと思う。
「でも、イツキは引かないよね」
華菜が言った。
誰も答えなかった。
答える必要がなかった。
イツキは引かない。
あの顔は、もう決めている顔だった。
「罠は、使える」
直哉が静かに言った。
私と華菜とリンクが、直哉を見る。
「……直哉?」
「相手が本気で来るなら、正面からぶつかるより罠で止めた方がいい。数が多いなら、なおさら」
「そういう話をしてるんじゃない」
華菜の声が少し強くなる。
直哉は、華菜を見た。
怒っているわけではなかった。
ただ、別の場所を見ているような顔だった。
私達が怖いとか、嫌だとか、そういうところから一歩だけ離れて、直哉はもう、どう止めるかを考えている。
「……直哉は怖くないの?」
私が聞くと、直哉は少しだけ黙った。
「怖いよ」
直哉は、外へ目を向ける。
「怖いから、考えてる」
その言葉に、誰も何も言えなくなった。
「ねえ、イナ」
私は振り返る。
「んー?」
イナは、いつの間にか立っていた。
大きなあくびをしている。
「これ、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよー」
「本当に?」
「んー。眠いから寝るね」
「ちょっと」
イナは、ひらひらと手を振ると、何の緊張感もない足取りで家の方へ歩いて行った。
止めようと思った。
けれど、声が出なかった。
「裁判長って、何考えてるんだろうな」
直哉が呟く。
誰も答えられなかった。
イナの背中は小さくて、子供みたいに見えた。
「俺達も行こう」
リンクが言った。
「どこに?」
「屋敷。外にいても仕方ないし、休めるなら休んだ方がいい」
「……寝られると思う?」
「思わない」
リンクは小さく笑った。
でも、その顔は疲れていた。
私達は、中央広場を離れ、屋敷へ向かった。
振り返ると、広場ではまだ魔族の人達が動いている。
篝火の光が、夜の町を赤く揺らしていた。
昼間は笑いながら木を運び、石を積んでいた人達が、今は黙って配置についている。
空気が重い。
これから本当に何かが始まるのだと、嫌でも分かった。
屋敷に入ると、メイドさんが静かに頭を下げた。
いつも通り綺麗な廊下。
白い壁。
高い天井。
大きすぎる階段。
でも、今日は落ち着かなかった。
私達は、広い部屋に集まった。
寝室ではなく、ソファと机が置かれた部屋だ。
たぶん、お客さんを迎える場所なのだろう。
誰も寝ようとは言わなかった。
リンクは何度も窓の外を見た。
華菜はソファの上で膝を抱えていた。
直哉は床に座り、指で何かの配置をなぞっている。
「何してるの?」
私が聞くと、直哉は顔を上げずに答えた。
「罠の位置を思い出してる」
直哉の指が、床の上を滑る。
華菜が顔を上げる。
「直哉」
「何?」
「人が怪我したら、どうするの?」
「リンクがいる」
「そういうことじゃない」
華菜の声が震えた。
直哉は、そこでようやく手を止めた。
「分かってる」
短い返事だった。
でも、それ以上は何も言わなかった。
私も、何も言えなかった。
「うさぎ」
リンクが小さく呼んだ。
「何?」
「怖いか?」
「怖い」
「だよな」
「リンクは?」
「怖い」
リンクは窓の外を見たまま言った。
「逃げたいよ」
リンクは、ぽつりと言った。
「でも、逃げるってことは、全部置いていくってことだろ。作り始めた町も、ここにいる人達も、イツキも」
「うん」
「それは、できない」
その言葉に、胸が苦しくなった。
リンクは怖い。
私と同じように怖い。
それでも、逃げるとは言わなかった。
華菜が膝を抱えたまま、小さく言った。
「私、喧嘩とか嫌い」
「私も」
「人が怒鳴ったり、殴ったり、血が出たりするの、嫌い」
「うん」
「でも、明日そうなるんだよね」
「……たぶん」
華菜は唇を噛んだ。
直哉は何も言わなかった。
ただ、また床に視線を落とし、指で見えない線を引いている。
私達は、それからほとんど喋らなかった。
長い夜だった。
誰かが寝息を立てることもなかった。
何度も時計を見た気がする。
でも、この世界に時計なんてなかった。
窓の外が少しずつ薄くなっていくのを見て、朝が来たのだと分かった。
朝が来てしまった。
扉が静かに叩かれる。
「うさぎ様」
アンドゥルさんの声だった。
私は、びくっと肩を跳ねさせる。
「は、はい」
「来ました」
その一言で、部屋の空気が変わった。
リンクが立ち上がる。
華菜が息を呑む。
直哉は、床に描いていた見えない線を、手のひらで消すように撫でた。
「行こう」
リンクが言った。
声は震えていた。
それでも、立っていた。
私も立ち上がる。
足が少し震えている。
部屋を出ると、廊下にはメイドさん達が並んでいた。
誰も慌てていない。
誰も怖がっていない。
それが逆に怖かった。
屋敷の大扉が開かれる。
朝の光が差し込んだ。
外へ出た瞬間、私は息を止めた。
囲まれていた。
昨日の三十人ではない。
数百人はいる。
ヴァルハラの人達が、町をぐるりと囲むように立っていた。
「……増えてる」
私が呟く。
「クランだからな」
直哉が静かに言った。
その声は落ち着いていた。
でも、顔は少し強張っている。
リンクの顔は、昨日より青かった。
華菜は、私の袖を掴んだ。
「うさぎ……」
「うん……」
怖い。
怖いけど、目を逸らせなかった。
その中央で、キルアが立っていた。
昨日と違うのは、皆武装していた。
後ろにいる人の数が違う。
空気が違う。
キルアは、私達を見ると笑った。
「おはよう、クラン『かなり。』の皆! 考え直さねえか?」
その声は、朝の町によく響いた。
その瞬間、テントの中きら、イツキが歩いてきた。
小さな体。
けれど、誰よりも堂々とした足取り。
イツキは、私達の前に立つと、楽しそうに笑った。
「よい朝じゃな」
私達に笑顔を見せて笑うと手を挙げた。
すると、一斉に魔族の皆が、囲んでいるヴァルハラに相対する様に整列した。
イツキの前に、幸村さんが黒装束姿で立つ。
その目は、いつもの優しい目ではなかった。
目の前の敵を睨んでいる。
後を見ると、屋敷の屋上に椅子を用意して、イナが座っている姿が見えた。
私、リンク、華菜、直哉は、肩を寄せ合っている。
皆、肩が震えていた。
「皆、引きつけよ」
イツキがそう言うと、ヴァルハラに向かって叫んだ。
「考え直す気はない! いつでも掛かってくるがよい!」
その言葉が合図になったのか、キルアが手を上げ、こちらに指を指した瞬間だった。
キルアの背後から黒い筋がいくつも上がるとこちらに飛んで来ている様に見えた。
矢?
「矢を防げ!」
イツキが声を上げると、魔族の皆は、木製の盾を掲げて伏せる。
しかし、イツキと幸村さんは、仁王立ちしたままだった。
私達には、何もない。
「きゃっ」
華菜が小さな悲鳴を上げると、リンクが華菜と直哉と私に覆い被さるように私達を伏せさせた。
次の瞬間だった。
地面に矢が刺さる音、カンカンカンと盾に刺さる音があちこちから聞こえ始めた。
「ぐっ! うう……」
リンクの呻き声が私達の耳に入る。
「り、リンク!」
華菜が叫び、直哉が立ち上がった。
私も立ち上がると、リンクの肩に二本の矢が刺さっている。
「大丈夫か!」
直哉が叫ぶと、幸村さんが言った。
「少しの我慢を」
そう言うと、ナイフを取り出すと、リンクの矢を掴むと肩を切る。
血が流れ、リンクが呻き声をさらに上げる。
すると、肩から矢が抜かれた。
「ヒール!」
リンクは、すぐに自分にヒールを賭ける。
「リンク、大丈夫か? 更にくるぞ」
イツキがそう言うと、更に矢が飛んで来ていた。
「いやああああ!」
華菜の叫び声が、町に響き渡る。
私は動けなかった。
リンクの血が、まだ地面に落ちていた。
リンクは、痛みが無くなったのか立ち上がる。
そして、次の矢は、もう目の前まで来ていた。




