二十四話 歓談
「陛下。王国側へ、少しだけ圧をかけて参りました」
「カルラ、どう見えた?」
「はっ。王は眉一つ動かさず、座しておりました。むしろ、わずかに笑みを」
「なるほどな……。カルラ、下がってよい」
「はっ」
カルラが静かに頭を下げ、後方へ退いた。
イツキは、王国軍の中央に置かれた椅子を見つめる。
「余が相対するに、良き者のようじゃ」
「イツキ、戦争にならないよね?」
私は、思わず聞いた。
「だよな? どう見ても、全軍で睨み合ってるようにしか見えねえぞ」
リンクが心配そうに街の方を見る。
目の前には、魔王軍と王国軍が対峙していた。
どちらかが一歩でも間違えれば、その瞬間に戦が始まってもおかしくない。そんな空気だった。
「そう心配しなくてよい」
イツキは小さく笑った。
「さて、参るか」
そして、堂々と一歩を踏み出した。
「余の道を開けよ!」
その声に応じ、魔王軍が二つに分かれてゆく。
その様子を、王は椅子に座したまま見つめていた。
分かれた軍勢の中央。
そこから、一人の少女が姿を現す。
ゆっくりと歩いてくる。
あれが……魔王……?
王は目を細めた。
なんとも幼い。
見た目だけなら、十五にも満たぬ少女にしか見えない。
だが、王は侮らなかった。
少女が魔王軍の前に出た瞬間、澄んだ声を上げた。
「皆、控えよ!」
次の瞬間だった。
全ての魔族が、地に伏した。
飛行していた魔族までもが、空から音もなく降り立ち、膝をつく。
王国軍の兵たちが息を呑む気配が、王の背後に広がった。
王もまた、恐怖を覚えた。
あれは統率ではなく、信仰に近い。
あの少女が一言発しただけで、数多の魔族が己の命さえ投げ出す。そう確信させる何かがあった。
「余に何があっても、動いてはならぬ!」
魔王軍は、声一つ発しなかった。
ただ、深く頭を垂れる。
その静寂の中を、少女が歩いてくる。
王国軍の誰もが、その一歩一歩を見つめていた。
軍が対峙しているとは思えぬほど、静かだった。
聞こえるのは、風に揺れる草の音だけ。
王は、目を逸らさなかった。
少女の顔が、はっきりと見える。
人間の娘にしか見えない。
だが、額にある小さな角だけが、その者が人ではないことを示していた。
少女は、敷かれた絨毯の前で足を止め王を見つめた。
王は、そこで椅子から立ち上がった。
「ようこそ、魔王殿。突然の招き、申し訳ない」
王は絨毯の端まで歩み寄り、魔王へ手を差し伸べた。
「うむ。此度の招きに応じ、其方との誼みを通じよう」
魔王は、王の差し出した手に、そっと手を添えた。
王はその手を取り、まるで貴婦人を扱うように、魔王を椅子まで導く。
「どうぞ、お掛けください」
「うむ」
魔王が椅子に腰を下ろした。
その瞬間まで、魔王軍は誰一人、頭を上げなかった。
「お初にお目に掛かる。余は、エド国八代目国王、花月院宗篤である」
魔王は頭を下げなかった。
ただ、わずかに顎を引く。
「余は、イツキ・フロンターレである」
「うむ。して、此度の来訪、いかなる御用向きか」
「余は、居を此処に定めた。それだけじゃ」
「居を?」
王の眉が、わずかに動いた。
「では、こちらを攻める気はないと?」
「ない」
イツキは、当然のように答えた。
「人間を攻めても、得はないであろう」
「得とは?」
「簡単なことじゃ。余の国、フロンターレの経済にとって得がない」
「経済、とな」
「其方ら人間は、牛、豚、鳥、羊などの肉を食べるであろう?」
「うむ」
「あれらは、余の国の主要産業である」
「待たれよ。あれらは、ショウメン国の主要産業のはず」
「うむ。人間と取り引きするのじゃ。人間になりすますのは当然であろう」
「……なるほど」
王は静かに息を吐いた。
「人間と争えば、多くの者が死ぬ。そうなれば、肉を買う者も減る。消費が落ちれば、畜産業に関わる者どもが路頭に迷う」
イツキは、淡々と言った。
「なれば、余らが人間を攻めて何の得がある?」
「筋は通っておりますな」
王は頷いた。
だが、すぐには笑わなかった。
「しかし、それだけで魔王軍を率いて参られた理由にはなるまい」
「うむ。余は、ただの引っ越しに来た。余が移動するのじゃ。護衛も動こう」
「引っ越し」
「この身に子を授かった故にな」
「子を?」
王の声が、一瞬だけ止まった。
「何と……それは目出度い。目出度いが、今、子と申されたか?」
「うむ」
「魔王殿が?」
「うむ」
「……」
王は、ほんのわずかに視線を横へ流した。
その先に、クラン『かなり。』の者たちがいる。
「子を授けてくれたお方と共に子を育てる。それは人間でも同じであろう?」
「……うむ。それは、その通りである」
「故に、余はクラン『かなり。』に加入した。その方等のルールに従って事を進めているはずじゃが?」
「たしかに、クランに所属しているならば、こちらが拒むことは出来ぬ。しかし……『かなり。』か」
「どうした。浮かぬ顔をしておる」
「問題の多いクランでな。手を焼いておる」
「ククク。あやつ等め、面白き者どもよ」
「余の心配の種が増えるのか……」
王は、深く息を吐いた。
「しかしの、余の配下どもは、人間を滅ぼせとうるさくてな」
「何と。先程、得がないと申されたではないか」
「そうじゃ。得がない。だが、配下の者どもは何も分かっておらぬ」
イツキは、少しだけ呆れたように目を細めた。
「戦とは、経済の道具じゃ。勝てばよいというものではない」
「……分かりますぞ」
王の顔に、初めて苦笑が浮かんだ。
「我が国の大臣どもも、似たようなものです。戦えば勝てる、勝てば富む、などと簡単に申す」
「馬鹿者どもめ」
「まったくですな」
王は、椅子を一歩、イツキの方へ動かした。
イツキはそれを見ると、椅子を持ち上げ、王の近くへ寄せた。
二人の膝が、軽く触れるほど近い。
王国軍も、魔王軍も、誰一人として声を出せなかった。
その中央で、二人の王だけが顔を寄せる。
「それでな、先程のカルラなどはまだ良いのじゃ。問題は、血の気の多い連中でな」
「分かりますぞ。こちらにもおります。剣を抜く前に書類を読めと言っても聞かぬ者が」
「どこも同じか」
「どこも同じですな」
二人は、深く頷き合った。
そして、そのまま話し込んだ。
配下の愚痴を。
「あははは」
二人が笑い合う姿を総司令官、北斗豪は見ると、呟いた。
「戦にはならないようだ」
少し、残念そうな声だった。
「むねあつ殿、この歓談、良き物であった。其方は、良き隣人となるであろう」
「イツキ殿、困った事があれば、いつでも余を頼ると良いが、『かなり。』の事で、余がイツキ殿を頼る言葉になりそうじゃ」
「ククク。そうなれば、其方が慌てふためく姿を愉しむとしよう」
「お人が悪いですな」
「此度の招き、感謝致す」
「うむ。良き時間であった。最後に」
「最後に?」
「誰か!」
王が声を上げると、一人の近衛兵が走り寄り、絨毯の前に膝をついた。
「はっ!」
「水を一杯。水だけでよい」
「はっ!」
近衛兵が走り去る。
その背を見送った王は、ふと視線に気づいた。
イツキが、じっとこちらを見ていた。
王は目を逸らさない。
イツキもまた、目を逸らさなかった。
その場にいた王国の者ならば、誰もが理解していた。
一杯の水。
それは、ただの水ではない。
敵国の王が差し出す水に、毒を疑わぬ理由などない。
「陛下、お持ちいたしました」
近衛兵が、トレーに乗せたグラスを差し出す。
王はそれを受け取った。
そして、イツキへ向けて差し出す。
「エド国の水です。よろしければ」
イツキは、王の目を見たままだった。
王もまた、グラスを差し出したまま動かない。
しばしの沈黙。
やがて、イツキが小さく笑った。
「なるほど。余を試すか」
「さて。何のことでしょうな」
「むねあつ殿、そなたも悪い男じゃ」
「王とは、そういうものでしょう」
「違いない」
イツキは立ち上がった。
そして、王の手からグラスを受け取る。
「ちょうど喉が渇いていたところじゃ。かたじけない」
そう言うと、イツキは一切ためらわず、一息に飲み干した。
王の目が、わずかに見開かれる。
「……飲みなさるか」
「うむ。エド国の水、良き味であった」
イツキは空になったグラスを王へ返す。
「この一杯は、其方への信用の証といたそう」
「それは、ありがたい」
「しかし、むねあつ殿」
「何かな」
「余を試した罪は重いぞ?」
王は、声を上げて笑った。
「あははは。申し訳ない。この罪いつか必ずお返しいたしましょうぞ」
「うむ。楽しみにしておる」
「街に入る者をお連れすると良い。街の中を少し案内致そう」
「うむ。お言葉に甘えさせてもらおう」
魔王軍。
「陛下、お帰りなさいませ。どの様に?」
ナキリが、戻って来たイツキに尋ねた。
「護衛の者共を国に戻らせ、街に入る者だけついて来させよ。籠も帰らせよ」
「はっ」
魔王軍が踵を返して、撤退していった。
王国軍にも、解散の命令が降り、街の中に消えていった。
残されたのは、王とわずかな近侍の者達のみであった。




