第29回 レナードとの深夜の合併交渉――崩壊した邸宅の跡地で、二人が交わす『秘密の条約』
蒸気機関車が吐き出す熱い息が、深夜の凍てつく空気に白いカーテンを引いていました。
『鉄の馬』の巨体が冷えゆくパチパチという金属音が、崩壊した大理石の跡地に響きます。
そこは、かつて王国の栄華を極めた公爵家の別邸跡。……私が、あの婚約破棄の夜にすべてを奪われる前に愛した、思い出の瓦礫です。
「……私の領地を勝手にダイニングルームに仕立てるなんて。レナード氏、不法占拠の賃料、秒単位で請求させていただきますわよ」
私は、まだ余熱を帯びた機関車から降り立ち、雪を踏みしめて彼に向かいました。
レナード・クリストフ。
彼は崩れた柱をテーブルにし、冷えた空気の中で金色のワインを揺らしていました。
「ふ、相変わらず手厳しいね、アイリス。……鉄の怪物を駆って神の関所を粉砕し、地平を塗り替えた女性への挨拶としては、一千万クローナのシャンパンでも足りないくらいだが」
彼は立ち上がり、私のために椅子——泥に汚れた石材——を引きました。
私はその『椅子』に、優雅に腰を下ろしました。
セレーネとフェリシアは、少し離れた影の中で互いを牽制するように立っています。
「挨拶は結構ですわ。……で、本題は? 深夜にわざわざ私を呼び出した理由……まさか、月見の酒宴というわけではありませんわね」
「単刀直入に言おう。……アイリス。帝国と君の商会、いや、君が支配するこの王国を『合併』させないか」
レナードの瞳が、月光を反射して鋭く光りました。
冗談ではない。本気の、捕食者の提案。
「……合併? ふふ、面白いことを。……それは帝国による事実上の『吸収合併(買収)』ではなくて?」
「君を私の『副総裁』として迎えたい。……君の石炭、君の鉄、そして君の『銀行』。それらを帝国の武力と連結すれば、聖国など一週間で干上がらせることができる。……世界を半分に分けようじゃないか、アイリス」
レナードが差し出した手。
その指先には、帝国全土の利権を代表する重みがあります。……並の商人なら、膝をついて感謝するほどの好条件。
けれど、私は彼が差し出したグラスを指先で弾き、冷たく笑いました。
「……半分? レナード氏。あなたは私を過小評価しすぎですわ。……管理コストだけがかかる帝国の広大な荒野を半分押し付けられるなど、私にとっては『損失』以外の何物でもありませんわよ」
「……何?」
「私が欲しいのは、中途半端な分け前ではありません。……世界全体の『所有権』ですわ。……レナード。……あなたの帝国が抱えている、あの巨大な『軍事費という名の不良債権』。……それを私の商会が買い取って、あなたを私の『傭兵部門』として再雇用してあげてもよろしくてよ?」
静寂が、跡地を支配しました。
レナードは一瞬、呆然としたように私を見つめ……やがて、狂ったような笑い声を上げました。
「ハッハハハ! 逆買収か! ……帝国の総裁を、君の用心棒として雇うと言うんだね。……君という女は、どこまで強欲なんだ!」
「強欲ではありません。……『合理的』な判断ですわ」
私は、懐からあの『錆びた一クローナ』を取り出しました。
その瞬間、硬貨が私の掌で、まるで心臓のようにドクン、と大きく脈打ちました。
同時に、レナードの胸元からも、同様の振動が伝わってくるのが分かりました。
「……レナード。……あなたも、持っているのですわね。……『古い契約』の断片を」
レナードの笑いが消え、真剣な表情へと変わりました。
彼は自分の懐から、同じように古び、けれど奇妙な光を放つ『銀色のメダル』を取り出しました。
「……魔法が消える理由。……聖国が『聖戦』という名の全資産廃棄を急いでいる理由。……アイリス、君も気づいているんだろう? ……この世界という名の『市場』そのものが、何者かによって『計画倒産』させられようとしていることに」
「……ええ。……『神』という名の不誠実なオーナーが、配当を支払わずに夜逃げをしようとしていますわ。……この一クローナは、その負債を逃がさないための『差し押さえ票』。……違いますかしら?」
二人の持つ金属片が、共鳴し、夜の闇を青白く照らし出しました。
光が指し示す先。……それは、凍てつく北の果て、聖国の中心にある『大聖堂』。
「……交渉成立だ、アイリス。……合併ではない。……君と私は、この腐りかけた世界を買い取るための『共犯者』になろう」
レナードが、私の手を取りました。
それは愛の告白よりも重く、死の宣告よりも冷徹な、史上最悪の契約の握手。
「……条件は?」
「……聖国の奥深く、神の金庫を開ける。……その中身を、二人で山分けだ。……もちろん、私の取り分は君より一クローナ多くいただくがね」
「ふふ、なら私は、その一クローナをあなたから奪い取るための『延滞利息』を、今から計算しておきますわ」
深夜の跡地。
崩壊した王国の瓦礫の上で、魔法なき世界の再建計画が確定しました。
敵は、もはや無能な王子でも、強欲な男爵でもありません。
世界をシステムとして支配し、今まさに『全損処理』を行おうとしている『神』という名の巨大利権。
「……セレーネ。……次の停車駅を決めなさい」
私は、レナードのワインを奪い、一気に飲み干しました。
「……行き先は、聖国の心臓部。……神の不渡りを、物理的に回収しに参りますわよ」
蒸気機関車が再び咆哮を上げました。
漆黒の煙が夜空に昇り、世界の終焉を告げる鐘の音を、圧倒的なピストンの音でかき消していきました。
第29回、最後までお読みいただきありがとうございました。
宿敵レナードとの「共犯契約」。
二人が手にする謎の硬貨が共鳴し、ついにこの世界の「計画倒産」という恐るべき真実が浮かび上がりました。
アイリス様の次なるターゲットは、人間ではなく、この世界を支配する「システム」そのもの。
「神様。……あなたの放漫経営、私が徹底的に監査して差し上げますわ」
アイリス様VS神の代理人。史上最大の回収劇が、ついに最終局面へ向かいます。
次回、「世界の時価総額――魔法が消えゆく中、アイリスが世界の『買い取り価格』を算出しますわ」。
アイリス様、ついに「世界そのもの」を値踏みしにかかります。
「私の共犯者になってくださるなら、ぜひ『評価』と『ブクマ』を。……あなたの応援が、神を訴えるための訴訟費用になりますの。……次なる配当まで、しばしお待ちを」




