第25回 第1回・大陸経済サミット――私のサイン一つで、帝国の夜は明けますわ
「……冷たい。この床の温度、私の計算ではマイナス二度ですわね」
帝国の帝都、その中心に位置する『金剛閣』。
大陸中の王侯貴族や大商人が集まる大広間は、かつての華やかさを失い、凍てつく静寂に包まれていました。魔法による空調が完全に沈黙した今、ここは豪華なだけの冷蔵庫に過ぎません。
私は、セドリック様が磨き上げた「朝凪商会」の紋章入り毛皮を羽織り、裸足でその冷たい大理石を踏みしめました。
背後には、最新の帳簿を抱えたセレーネ、そして不安げな表情を隠せないフェリシア。
「……アイリス総帥。中には各国の利権を代表する『怪獣』たちが揃っています。あなたの保険制度を『魂の冒涜』と断じ、処刑台へ送るための準備を終えている連中ばかりですわ」
「フェリシアさん。……処刑台を作るにも、今の彼らにはその『鉄の釘』を調達する予算すらないはずですわ。……扉を開けなさいな」
重厚な扉が開かれた瞬間、数百人の視線が私に突き刺さりました。
壇上には、帝国の貴族院議長、聖国の特使、そして——最奥の特等席でグラスを転がす、レナード・クリストフ。
「……死神の令嬢がお出ましだ」
「人の命を博打の対象にするとは、公爵家の名が泣くぞ!」
罵声が飛び交います。
私は壇上の中心まで歩み寄り、扇を優雅に広げました。
「皆様、ごきげんよう。……ずいぶんと賑やかですわね。……ですが、お喋りすぎると、体温が奪われて明日まで持ちませんわよ?」
「黙れ! アイリス・フォン・アルトハイム!」
帝国の老貴族が、震える拳で机を叩きました。
「貴様がバルカ炭鉱で始めた『保険』なる悪魔の契約。……不幸を望み、死を金に変える仕組みを帝国は認めん! 即刻、商会の資産を没収し、貴様を異端審問にかける!」
私はふふ、と喉を鳴らしました。
笑い声が、冷えた広間に鋭く響きます。
「……没収? 面白いことを仰いますわ。……議長。……あなたが先ほどから握りしめているその『使い捨てカイロ』。……それ、我が商会がバルカの鉄粉と石炭で作った特許製品ですわよね? ……没収なさるなら、今すぐそれを捨てて、その冷え切った指先を切り落としてはいかがかしら?」
老貴族の顔が、怒りと驚愕で赤黒く染まりました。
私は視線を巡らせ、広間の全員を査定するように見渡しました。
「皆様。……魔法が死に、金貨が石ころに変わるこの時代。……あなたたちが恐れているのは『死』ではありません。……『自分が破産すること』……そして、昨日までの贅沢が二度と手に入らないという『現実』ですわ」
私は、セレーネに合図を送りました。
彼女が広間の壁に、巨大な投影魔導具——ではなく、最新式の「手回し式投影機」でグラフを映し出しました。
「……これは、今後三年の大陸経済予測です。……エネルギー自給率、マイナス八〇%。……食糧生産、四五%減。……そして、あなた方が聖国に支払っている『祈祷料』の不渡り率、九〇%。……この数字を見て、まだ『魂の尊厳』などと寝言を仰るおつもりかしら?」
広間が、一瞬で通夜のような静寂に包まれました。
数字は、どんな魔術よりも残酷に真実を突きつけます。
「……私の提供する『保険』は、死を願うためのものではありません。……死という不可避の『損失』を、共有可能な『コスト』に変換し、社会という名のシステムを維持するための防波堤ですわ。……そして、このサミットの真の目的は、この経済モデルを大陸全土の『共通規格』にすることです」
「……共通規格だと……!? 貴様の商会が、全人類の命の値段を決めるというのか!」
「ええ。……他に、計算できる方がいらして?」
私が扇を閉じ、レナード・クリストフを見据えた時。
これまで沈黙を守っていた彼が、ゆっくりと拍手を始めました。
「……素晴らしい。……アイリス。君はついに、神に代わって『因果応報』を再定義したわけだね」
レナードが立ち上がり、私に向かって優雅に一礼しました。
それは、対等なビジネスパートナーとして——あるいは、世界を二分する捕食者としての承認。
「……諸君。……認めようじゃないか。……彼女のサインがなければ、我々の国は明日、凍死という名の債務不履行に陥る。……アイリス総帥。……条件を提示してくれ」
「条件は一つですわ。……全国家の通貨発行権の一部を、我が『朝凪中央銀行』に委託すること。……そして、私の石炭と鉄を、関税なしで流通させること。……これに同意する国家には、今すぐ『暖房』と『保険』の権利を配当してあげてもよろしくてよ?」
広間にいた王侯貴族たちが、互いの顔を見合わせ、やがて一人、また一人と、私の前に置かれた『条約書』へと歩み寄りました。
かつて私を追い出した王国の、そのさらに上位に君臨する権力者たちが、今、一枚の紙きれに必死で縋ろうとしている。
カタルシス。
一クローナの重みを知る者が、世界全体の価値を書き換えた瞬間。
契約のサインが終わり、サミットが閉会しようとしたその時。
広間の巨大なステンドグラスが、外からの凄まじい衝撃で粉々に砕け散りました。
「……神を数字で売る罪人どもに、等しく滅びの光を!」
砕けたガラスと共に舞い降りたのは、聖国の白い鎧ではありません。
全身を血のような赤に染めた、狂信の武装集団。
聖国が最後に放った、経済も論理も通用しない『終末の執行者』。
「……チッ、迎撃コストが跳ね上がりますわね」
私は飛んでくるガラスの破片を、セレーネの影が弾き飛ばすのを眺めながら、冷徹に次の「防衛費」を計上し始めました。
平和な商談は終わりです。
ここからは、私の帳簿を血で汚そうとする者たちとの、最も「高くつく」戦争が始まりますわ。
第25回、最後までお読みいただきありがとうございます。
大陸の重鎮たちを「数字」で沈黙させ、世界のルールを上書きしたアイリス様。
レナード公認の「経済皇帝」への道が見えた瞬間、聖国からの物理的なテロが襲いかかります。
彼らにはもはや、合理的な対話など通じません。
しかし、アイリス様にとって暴力もまた「管理すべきリスク」の一つに過ぎません。
果たして、この血生臭い状況を、彼女はどうやって「利益」へと転換するのか。
次回、「聖国の反撃:異端審問――経済を『悪魔の業』として弾圧する彼らに、本物の地獄(赤字)を見せて差し上げますわ」。
アイリス様、ついに「物理的な防衛ビジネス」に参入します。
「私の命を狙うコスト、どれほどか想像できて? あなたの『評価』と『ブクマ』が、私の防衛予算になりますの。……次なる配当まで、しばしお待ちを」




