第22回 レナードの贈り物(罠)――帝国内部での利権争いに、投資家として介入しますわ
「……はぁ、はぁ。……冷たい。バケツの水が、氷のようですわ……」
「無駄口を叩くな、マリア。一秒手を止めれば、それだけ時給が引かれるんだぞ。……くそ、この廊下はなぜこんなに長いんだ」
執務室の重厚な扉越しに、廊下から情けない二人の会話が漏れ聞こえてきました。
かつての「聖女」と「王子」。
今や、朝凪商会の『清掃・雑用部門』の新人ペアですわ。セドリック様が雑巾を絞り、マリア様がその後を這いつくばって拭き上げる。……二人が誓い合った「永遠の愛」が、今や「連帯債務」という形で結実している光景は、見ていて実に微笑ましい(収益性が高い)ものです。
「アイリス様。……廊下の清掃効率、三%向上しました。……それから、帝国からの定期便が到着しております」
セレーネが、銀のトレイに乗った一通の極秘書状を差し出しました。
封蝋には、レナード・クリストフの個人紋章。
私はそれを手に取り、窓際で待機していたフェリシアに視線を送りました。彼女は片眼鏡を光らせ、私の手元にある書状を「爆弾」でも見るような目で見つめています。
「……レナード様からの『ギフト』ですね。……アイリス総帥。一応、警告しておきます。……彼がタダで花束を贈るような男だと思わないことですわ」
「あら、花束よりも『配当金』の方が好みですわよ。……さて、中身は……?」
書状を開いた瞬間、中からこぼれ落ちたのは一束の『債権譲渡証書』でした。
そこには、帝国の北部に位置する『バルカ炭鉱』の所有権と、それに付随する一千万クローナ規模の「負債」が記されていました。
「……バルカ炭鉱? ……フェリシアさん。これ、あなたの国の『お荷物』ではありませんこと?」
フェリシアの顔が、一瞬で引き攣りました。
「……バルカ炭鉱。……帝国の古参貴族たちが利権を握り、もはや採掘不能と言われながら、毎年莫大な『維持補助金』を国から吸い上げている腐敗の温床ですわ。……レナード様は、その泥沼の所有権を、あなたに『譲渡』したというのですか!?」
「ふふ、なるほど。……これは贈り物ではなく、押し付けられた『毒饅頭』ですわね」
帝国の貴族たちが支配する、赤字垂れ流しの炭鉱。
私がそのオーナーになれば、私は帝国の内部事情に巻き込まれ、利権を貪る貴族たちの「敵」となります。……失敗すれば私は破産し、成功すれば帝国貴族を敵に回す。
レナードは、私がどう動いても「返り血」を浴びるように仕組んだのです。
「……アイリス様。……この債権、受け取りますか? ……放棄すれば、損失はゼロです」
セレーネの問いに、私は机の上の『錆びた一クローナ』を指先で弾きました。
「放棄? ……いいえ、セレーネ。……投資家にとって、『誰もが欲しがらないゴミ』こそが、最も安く買い叩ける優良資産ですわ」
私はペンを取り、譲渡証書に流麗なサインを書き込みました。
「……フェリシアさん。……レナード氏に伝えなさい。……『素晴らしいポートフォリオをありがとう。……この炭鉱を、帝国の喉元を焼く火種に変えて差し上げます』と」
「……本気ですか? ……バルカの貴族たちは、私兵まで抱えているのですよ。……物理的な『監査(暴力)』が飛んでくることになりますわ」
「暴力? ……ふふ。……彼らが大切に守っているその炭鉱が、実は一クローナの価値もない『空洞』だと暴かれた時。……彼らのプライドと財布、どちらが先に崩壊するか楽しみですわね」
私は立ち上がり、扉を開けました。
そこには、疲れ果てた顔でバケツを持つセドリック様とマリア様が、私の様子を伺っていました。
「セドリック様。マリア様。……明日から出張ですわよ。……帝国の北、バルカ炭鉱へ向かいます。……お二人には、現地での『労働環境の視察』……要するに、一番深い坑道での清掃を担当していただきますわ」
「なっ……! 帝国の炭鉱だと!? アイリス、それはあまりに……!」
「あら。……労働は神聖なものでしょう? ……それに、あなたたちのその『愛』。……真っ暗な坑道でこそ、より一層輝くのではありませんこと?」
私は二人に、新品の——けれど最も安い素材で作られた——作業服を投げ渡しました。
「……セレーネ。……帝国内部の『反レナード派』のリストを作成なさい。……バルカ炭鉱を舞台に、帝国の古い皮を一枚ずつ、丁寧に剥ぎ取って差し上げますわ」
窓の外、帝国へと続く空は、嵐の予感を孕んだ重い雲に覆われていました。
罠の中にこそ、市場独占の鍵がある。
私は、自分の商会が大陸という名の巨大な怪物を飲み込む、その第一歩を力強く踏み出しました。
「……さて。……レナード。……あなたの『贈り物』の解体費用。……利息を乗せて、あなたの心臓で支払っていただきますわよ」
第22回、最後までお読みいただき光栄ですわ。
レナードから贈られた「赤字炭鉱」という名の毒饅頭。
罠だと知りながら、アイリス様はそれを「帝国内部への侵入口」として利用することを決意しました。
セドリックとマリアを連れての、決死(?)のドナドナ出張……。
果たして、帝国の腐敗した貴族たちは、この「死神令嬢」をどう迎え撃つのか。
そして、一クローナの価値もないと言われた炭鉱に隠された、アイリス様だけが見抜いた「本当の資産」とは?
次回、「不採算部門の解体――真っ暗な坑道で、金の脈を見つけなさい」。
アイリス様による、帝国内部での最初の大規模「資産洗浄」が始まります。
「私の投資判断に期待してくださるなら、ぜひ『評価』と『ブクマ』をお願いいたします。……あなたの応援こそが、我が商会の最高のリターンですの。……次の配当まで、少々お待ちを」




