第21回 マリアの再雇用――絶望した聖女に、利益という名の新しい光を
埃っぽい小麦の匂いと、微かな潮の香りが混ざり合う倉庫の奥。
そこには、かつて王国の光と謳われた「聖女」が無残に転がっていました。
純白だったはずの法衣は泥と馬の汗に汚れ、金色の髪はつれ、彼女は膝を抱えてガタガタと震えています。
「……殺して。アイリス様、いっそ、私をここで殺してくださいませ……」
私が歩み寄ると、マリア様は絞り出すような声でそう言いました。
彼女をここへ運んできた聖国の騎士たちは、金貨と石炭を受け取ると、彼女を「荷物」として置き去りにして去っていきました。彼女は、自分を崇めていた者たちに、文字通り『投げ売り』されたのです。
「殺す? あら、マリア様。勘違いなさらないで。私は『不良在庫』を処分するほど無能な経営者ではありませんわ」
私は、セレーネが差し出したシルクの手袋で彼女の顎をクイと持ち上げました。
涙でぐちゃぐちゃになった瞳。……絶望、という名の無価値な感情が溢れています。
「いいですか、マリア様。あなたがこれまで『奇跡』と称して振りまいてきた光。……それがどれほどの土地を枯らし、どれほどの農民の将来を奪ってきたか。その『負債』の総額、計算したことがありまして?」
「……負、債……?」
「ええ。あなたの『祈り』一回につき、平均して金貨五枚分の地力が失われています。あなたがこの一年で『救った』とされる人々の数から算出した総負債額……。……およそ、金貨五十万枚。……あなたは、ただの疫病神よりも高くつく存在なんですのよ」
マリア様が息を呑み、目を見開きました。
数字。彼女が最も避けてきた、冷徹な現実が彼女の喉元に突きつけられます。
「……私は、救いたかっただけなのに。……みんなが、喜んでくれるから……」
「その『喜び』のツケを、あなたは誰に払わせるつもりだったのかしら? ……今のあなたは、返済能力ゼロの多重債務者。……本来なら、一生をかけても返しきれない罪(借金)を背負っているのですわ」
私は、懐から一通の新しい契約書を取り出しました。
横で見ていた監査官フェリシアが、片眼鏡を光らせて呟きます。
「……アイリス総帥。まさか、その『負債の塊』を、自社の帳簿に組み込むおつもりですか? 彼女を抱えることは、聖国との全面戦争を招くリスク資産を抱えることと同義ですわよ」
「フェリシアさん。リスクは、管理すれば『利益の源泉』に変わりますわ。……マリア様、よくお聞きなさい」
私は、震えるマリア様の手に、ペンを握らせました。
「死んで逃げることは許しません。……今日からあなたは、朝凪商会の『広報・慈善事業部』のチーフとして働いていただきますわ。……『かつて土地を枯らした聖女が、今度は石炭と肥料を配って贖罪する』。……これほど完璧なストーリー(広告価値)があるとお思い?」
「……私に、できることが……あるのですか?」
「ありますわ。……ただし、これからは神に祈るのではなく、私の『事業計画書』に従っていただきます。……あなたが微笑みながら石炭を配るたびに、商会の信頼は上がり、負債は一クローナずつ減っていく。……絶望している暇があるなら、笑顔の練習でもなさいな。……あなたの笑顔一回につき、銀貨三枚の価値をつけてあげてもよろしくてよ?」
マリア様の手が、止まりました。
彼女は、汚れた手で契約書を見つめ、それから私を……自分を奈落へ突き落としたはずの『悪女』を見上げました。
「……アイリス様。……私、働きます。……生きて、自分の犯した間違いを……数字で、返していきたいです」
彼女の瞳に、かすかな「意志」という名の光が灯りました。
それは神から与えられた安っぽい奇跡ではなく、泥水を啜ってでも生き延びようとする、一人の人間としての輝き。
「セレーネ。彼女を連れて行きなさい。……体を洗い、清潔な『事務員用の制服』を。……あ、それから、セドリック様が掃除している廊下を通るように。……元婚約者同士、労働の尊さを分かち合うとよろしいわ」
「……御意に」
セレーネに支えられて立ち上がるマリア様。
彼女が倉庫を出ていく背中を見送りながら、私は冷たく笑いました。
「……さあ、フェリシアさん。……『聖女を不当に拘束した』と、聖国が叫び出すのはいつ頃かしら?」
「……一時間以内でしょうね。……ですが、彼女は自らの意志で『雇用契約』を結んだ。……法的には、連中の言い分は通りませんわ」
「ええ。……奪いに来るなら、来ればいい。……その際にかかる『迎撃コスト』もすべて、聖国の未払い利息に上乗せして差し上げますから」
私は、錆びた一クローナを指先で弾きました。
聖女という最大級のカードを手に入れた今、私の盤面は、大陸全土を飲み込む準備を終えようとしていました。
第21回、最後までお読みいただき光栄ですわ。
かつての宿敵マリアを「広報チーフ」として再雇用したアイリス様。
「笑顔一回につき銀貨三枚」……。
これこそが、彼女流の救済であり、最も効率的な債権回収です。
さて、王族と聖女を「従業員」として手に入れた朝凪商会。
これを黙って見過ごす聖国ではありません。
彼らが繰り出す次なる一手は、経済的な嫌がらせを越えた「物理的な制裁」か、それとも……。
次回、「レナードの贈り物(罠)――帝国内部での利権争いに、投資家として介入しますわ」。
アイリス様、ついに帝国の深部へと、その鋭い牙を剥き出しにします。
「私の総資産(物語の面白さ)、これからも爆上げする予定ですわ。……評価とブクマという名の『出資』、お待ちしておりますわ。……次なる配当まで、しばしお待ちを」




