第17回 魔力枯渇のカウントダウン――灯りが消えたなら、私の石炭を買いなさい
闇。
それは、文明という名のメッキが剥がれ落ちた、世界の素顔ですわ。
王都を照らしていた魔導街灯は、今や冷たい鉄の柱に成り下がり、夜会の華やかさを支えていた魔導シャンデリアは、ただの重いガラスの塊となりました。
『マナ・デフォルト』。
魔法という名の高利貸しが、ついにこの王国の全財産を差し押さえに来たのです。
「……寒い。アイリス、どうにかしろ! 魔法の暖房が効かないんだ! このままでは風邪を引いてしまう!」
バケツと雑巾を抱えたセドリック様が、ガタガタと歯の根を合わぬ音を立てて、私の執務室に転がり込んできました。
彼の頬には煤がつき、かつての絹のシャツは掃除の汚れで見る影もありません。……ああ、一時間あたり一クローナの労働。今の彼には、その震えを止めるだけの熱量を買う権利すらありませんのに。
「セドリック様。私の部屋に入る際はノックを、と申し上げましたわ。……それから、暖房が欲しければ、しかるべき『対価』を支払いなさいな」
「対価だと!? 私はこの国の——」
「『元』王子でしょう? 現在のあなたは、私の商会の非正規雇用労働者ですわ。……ご覧なさい。私の部屋は、十分に暖かいですわよ」
私は、部屋の隅に設置した鉄製の箱——特注の『石炭ストーブ』を指差しました。
真っ赤に熱を帯びた鉄の肌から、暴力的なまでの熱気が溢れ出しています。その上では、湯気を立てるティーポットが心地よい音を奏でていました。
「な、なんだ、その黒い石は……!? 不気味な煙を出しおって……」
「『石炭』ですわ。魔法のようにスマートではありませんが、少なくとも、地脈の機嫌を伺う必要のない、誠実な燃料ですわよ」
私は、手元の『錆びた一クローナ』をストーブの明かりにかざしました。
魔法の火ではない、物質が燃える原始的な光。それが、これからの世界の基準になるのです。
「セドリック様、それから廊下でお待ちの皆様。……聞き耳を立てていないで、中へお入りになってはいかが?」
扉がそっと開かれ、震える貴族たちがゾロゾロと顔を出しました。
彼らは昨夜まで、私がスラムの男たちに掘らせていたこの石を「汚らわしい黒いゴミ」と嘲笑っていた連中です。
「アイリス様……どうか、その石を分けてはいただけないでしょうか。……王宮の食堂も、寝所も、氷のように冷え切っておりますの」
「あら、皆様。……この石は、一点あたり金貨一枚の『特別価格』となっておりますわ。……昨日までの『ゴミ』という評価を修正されたいのでしたら、相応のコストを支払っていただかなくては」
貴族たちが絶望に顔を歪めます。
金貨一枚。それは、彼らが一晩の温もりを得るために、家宝を一つ売らなければならない値段です。
「……アイリス様。……市内の状況ですが、すでに薪の価格が暴騰。……人々は聖国の『祈りの火』に縋っていますが、魔力が枯渇した現状では、ただの気休めにもなりません。……唯一、我が商会の提供する石炭コンロだけが、調理と暖房を維持しています」
セレーネの冷徹な報告。
私は頷き、ペンを走らせました。
「よろしい。……『エネルギー転換』の開始ですわ。……石炭の販売網を全域に拡大。……ただし、支払いは『朝凪紙幣』のみ。……金貨での支払いは三割の割り増し(プレミアム)を乗せなさい」
「……なっ! そんなことをすれば、さらに金貨の価値が落ちるではないか!」
セドリック様が叫びますが、私はそれを一瞥して切り捨てました。
「ええ。……それが目的ですもの。……世界から魔法が消えるということは、魔法を裏付けとしていたこれまでの『価値』がすべてゼロになるということ。……これからは、実物資産を持つ者が支配する時代ですわ」
私はストーブの扉を開け、真っ赤に燃える石炭を覗き込みました。
この炎は、ただの暖房ではありません。
いずれ、この熱が『蒸気』を生み、鉄の馬を走らせ、工場の機械を動かす。
魔法という気まぐれな債権から、人類を『産業』という名の自立した資本へと解放するのです。
「……セレーネ。……グリスはどうしています?」
「……スラムの地下工房にて、第一号となる『定置式蒸気機関』の試運転に入りました。……ですが、不吉なノイズが」
セレーネが手渡したのは、帝国側からの通信傍受記録。
『アイリス・フォン・アルトハイムの資産状況を再監査せよ。……石炭の独占は、帝国のエネルギー安全保障に対する明白な挑戦である。……総裁レナードの直属、監査官フェリシアを派遣する』
「……監査官? ……ふふ、いいでしょう。……私の帳簿に不備を見つけられると思っているのかしら」
窓の外、王都の闇は深まっています。
けれど、私の胸にある帳簿は、赤々と燃えるストーブの熱と共に、かつてないほどの高揚に震えていました。
「……セドリック様。……手が止まっていますわよ。……一秒休むごとに、借金の利息が加算される。……それが、この暗闇の世界の新しい『理』ですわ」
私は、冷えたコーヒーをストーブの熱で温め直しながら、次なる獲物の『監査』を始めました。
魔法が消えた夜。
それは、私の経済帝国が大陸全土を飲み込む、最初の夜となりました。
第17回、最後までお読みいただきありがとうございます。
「汚い黒い石」が、金貨以上の価値を持つ……。
アイリス様のエネルギー独占、そして産業革命の産声、いかがでしたか?
冷え切った王宮で、一人だけ暖かい部屋でコーヒーを啜る彼女の姿は、まさに新時代の支配者ですわね。
そして、ついに帝国の影。
レナードが送り込む「監査官フェリシア」。
彼女はアイリス様のロジックを崩すことができるのか、それとも……?
次回、「新キャラ:帝国の会計魔女――あなたの帳簿、不当表示(粉飾)ですわ」。
アイリス様、同業のプロフェッショナルとの「数字の殴り合い」が始まります。
「私の事業計画に不備はございませんこと? あなたの『評価』と『ブクマ』という名の監査、お待ちしておりますわ」




