第14回 死の清算――魂の価値は、誰が決めるのか
「……アイリス様。聖国のウルス審問官が、広場にて『救済の最終儀式』を執り行うと宣言しました。……代価として、市民千人分の『魂の献上』を求めています」
セレーネの報告に、私は思わず手にしていた高級万年筆を折りそうになりました。
物流を止められ、資金源を断たれた聖国が最後に繰り出したのは、帳簿上の数字ではなく、人間の『生存権』を直接担保にするという最悪の暴挙でした。
「魂の献上……? ふふ、随分と詩的な表現を使いますわね。要するに、自らの失策を隠すために、国民に『集団自決(強制償還)』を強いているだけではありませんこと」
窓の外、雨の王都。
広場には、絶望に打ちひしがれた民衆が、司祭たちの「死ねば天国で借金が帳消しになる」という甘い囁きに、吸い寄せられるように集まっていました。
これは経済戦争ではありません。もはや、カルトによる『資産の全損処理』です。
「グリス。……『人間の魂』。我が国の現在の市場価値で、いくらで査定できますかしら?」
「……カカッ、無茶を言うねえ、嬢ちゃん。だが、労働力としての将来価値、生涯納税額の現在価値、そして遺族への補償コスト……それらを合算すりゃ、一人当たり金貨百枚が妥当な『簿価』ってところだ」
「金貨百枚。……それを千人分。……つまり、金貨十万枚の『優良資産』を、聖国はただで燃やそうとしているわけね」
私は、汚れ一つない純白の手袋をはめ、冷徹な笑みを浮かべました。
「……セレーネ。……『死の清算人』として、私の席を用意なさい。……他人の資産を勝手に廃棄させるほど、私はお人好しではありませんの」
王都中央広場。
断頭台にも似た巨大な祭壇の上で、ウルス審問官が両手を広げて叫んでいました。
「迷える子らよ! この不況も、飢えも、すべては異端の商人の呪いだ! だが安心せよ。今ここで神に魂を捧げれば、来世での永劫なる富が約束される!」
民衆が、熱狂と恐怖の入り混じった声を上げます。
その時、私は重厚な黒塗りの馬車で、祭壇の真横へと乗り込みました。
「――異議あり(買い取りの申し出ですわ)」
私の声は、魔導拡声器を通じて、雨の広場に冷たく響き渡りました。
馬車から降りた私を、ウルスが憎悪に満ちた瞳で射抜きます。
「また貴様か! 魂の救済までも邪魔しようというのか、守銭奴め!」
「救済? いいえ、私は『保険金』の話をしに来ましたの。……皆様、よくお聞きなさい! 聖国に魂を捧げても、あなた方の遺された家族には一クローナも入りませんわ! 待っているのは、主なき農地の没収と、さらなる増税だけです!」
民衆の動きが止まりました。
私は、懐から朝凪商会が発行した『生命保証証券』の束を高く掲げました。
「……聖国に死を捧げるなら、私にその『死後の権利』を売りなさいな! 今ここで私の証券にサインすれば、あなた方の家族に金貨十枚を即金で、さらに将来の労働権を担保にした低利融資を約束いたしますわ!」
「なっ……! 貴様、魂に値段をつけるというのか!」
「ええ。……ただで死ぬより、家族に資産を遺して死ぬ方が、よほど人間としての価値がありますわ。……ウルス審問官、あなたの提示する『天国の富』は、私の銀行で換金できますこと? できないのであれば、それはただの『架空取引』ですわ!」
広場が、どよめきに包まれました。
神への献身という抽象的な概念が、アイリスの提示する「即金」という冷徹な数字によって、無惨に解体されていく。
「……どっちだ? 神にタダで殺されるか、アイリス様に『自分』を高く買ってもらうか……」
一人の男が、震える手で私の証券を掴みました。
それが、雪崩の始まりでした。
人々は祭壇へ向かう足を止め、私の馬車へと群がりました。
「私を! 私を買い取ってください、アイリス様!」
「死ぬなら、せめて子供に金を……!」
ウルスが祭壇の上で泡を吹いて絶叫します。
しかし、もはや聖国の言葉は、人々の耳には届きません。
絶望の中にある人間が最後に信じるのは、神の慈悲ではなく、明日を生きるための「確実な資本」なのです。
「……セレーネ。……契約者をすべてリスト化しなさい。……今日から彼らは私の『長期債権』。……死なせるわけにはいきませんわ」
私の狙いは、最初から「死」ではありません。
聖国から国民の支持を強奪し、彼ら全員を『朝凪商会の債務者』として繋ぎ止めること。
借金がある限り、人は死ねない。そして働かなければならない。
私は、慈悲ではなく「負債」という鎖で、千人の命を聖国から買い戻したのです。
「……ウルス審問官。……これで、あなたの『在庫』はゼロになりましたわね。……さて、残った儀式のコスト、どうやって支払うおつもりかしら?」
祭壇の上で独り取り残されたウルスを、私は冷ややかに見上げました。
その時。
王都の北門から、地響きのような馬蹄の音が響きました。
現れたのは、聖国の白い鎧ではありません。
帝国の漆黒の旗を掲げた、レナード・クリストフの直属軍。
「……アイリス。君が市場を混乱させている間に、帝国の『介入(介入)』の準備が整ったよ」
馬上のレナードが、崩壊した広場を見下ろして優雅に微笑みました。
彼の背後には、最新鋭の魔導砲を並べた帝国の師団。
「聖国の無能な管理体制を理由に、我が帝国はこの王国の『経済的保護権(植民地化)』を宣言する。……アイリス、君もその『債権』を、私に売り渡すつもりはないかい?」
聖国との泥沼の商戦を制した直後、真の捕食者が、武力と資本の圧倒的な暴力を持って「買い占め」に現れたのです。
「……レナード。……私のポートフォリオを、横取りしようだなんて。……ずいぶんと行儀の悪い投資家ですわね」
雨の中、私は自分の帝国を守るため、レナードの瞳を射抜きました。
契約の場は、今、戦場へと変わろうとしていました。
第14回、最後までお読みいただきありがとうございます。
「魂」すらも証券化し、聖国の集団自決を「買い取り」で阻止したアイリス様。
慈悲ではなく「借金」で人を救うその姿は、まさに冷徹な資本主義の化身です。
しかし、聖国が沈んだ瞬間、待っていたかのように介入してきた帝国のレナード。
彼が狙うのは、アイリス様が必死に整えた「王国の利権」そのもの。
武力と巨大資本を背景にした、史上最悪のホスタイル・テイクオーバー(敵対的買収)が始まります。
次回、「帝国の強襲――私の国を、買い叩くのは誰?」
アイリス様、ついに「資本」と「武力」の両面で、レナードとの最終決戦に挑みます。
「私の市場価値、レナードに負けないくらい押し上げてくださいませ。……投資(評価・ブクマ)、お待ちしておりますわ」




