3、模型の本 1-7
「少し、待っとってや」
多江さんは立ち上がって台所の方へ行ってしまった。
待つ。待つ。何しよう、何もすることがない。何か手伝えることはあるだろうか。いや、やめておこう。少なからず多江さんも僕のことを警戒しているだろう、余所者だ僕は。まだ誰かが覗いて監視しているかもしれないと思うと鳥肌がじわっと溢れてチクチクとした視線が未だ続いているとプラシーボのように感じてしまう。
だから僕は飛び出るように多江さんの家から飛び出した。
靴を側に置いておいてよかった。
多江さんには酷く申し訳ないと心から思うが此処にはどうも居たくない。変な感じが至る所から滲み出てしまっているから。神経が逆撫でされてる感覚が細胞の細部まで沸々と湧き水みたいに上がって来てる。肌に安利を擦り付けられてるような。
ヒリヒリする。気持ち悪い。
僕は振り返る。隅を舐めるかのよう見渡す、けれど何もいない。
足音は僕のものだけでそれ以外は聞こえない、気配も然程感じない。でもいるんだろうな。
見られる。付けられてる。どこまで来るんだ。早くこの村から早く出て行かないと僕は。
____殺されてしまうかもしれない。
「やばいな」
全力で森を走る。度々後ろを見て背後を確認する、確証はない、至ってそんな証拠もないが人間いざという時には働く何かがある、子供の姿がなかった、ましてや大人も。もう老人達がひたすら跋扈してるだけ。その老人も隠れて一人しか出てこない。
言ってしまえばあれは、多江さんは囮で僕は獣だ。
転けそうになるのを抑えながら全力で山を走る、本物の獣になった舞台のように。
「ここの土地については向こう側が明らかに知ってるはずだからとにかく走らないと」
全身から危険信号が送られてる、ここ数ヶ月で養われた僕の勘がフルスロットルで逃亡しろと叫んでいる。今は何時だ十四時?十五時?わかんない、とにかく突っ走れ、逃げろ。太陽の方を覗こうにも木で見えない。
道路へ出た。
山道であることには変わりないがよかったと安堵する。これを辿って下ろう。土の沈む足場と異なりしっかりと地を踏め速度が上がる。
どこまで山を越えられば気が済むんだ。
髪、かなり伸びてきたな。だいぶ邪魔になってきている。切りたい。きめ細かい髪一本一本が目に入りそうで仕方ない。体毛も少しずつ濃くなってきて大人になりつつある階段を上がって行くのを実感している。
変化は一瞬に事を済ませてしまう、気付かぬうちに変化してそれを終える。心成しか髭も生えてきているような、父さんにもあったな。チクチクした髭。
上。空。綺麗。星。みたいな。見たいな。星。
数時間が経過してかなり下の方まで来た気がする。ちょくちょく自転車でサイクリングしてる人も見えるようにもなった。学校のチャイムの音が聞こえる、近くに学校があるんだろう。あまり聞き馴染みのない音に歓喜すら覚える。
「みんな。優しいんだよな」
逃げてきてからのことをそっと思い出してみる。
健二さん元気だろうか、あの人、暖かかった。心も目も。あんな人が近くにいてくれたらよかったのに。
「あ、せっかくなら山彦やっておけば良かった。んー頂上じゃなかったから無理か」
未だ脳にヘタリついてる。あの村のこと、唖然とするほどに不気味だった。あのまま残っていたらどうなってしまっていたのだろうか。
多江というおばさんは明らかに僕の気を引いていた、残ってもらう為にだと思う。考えすぎなのかもしれないが、裏があったのだと思ってる、異様すぎる。雰囲気が気持ち悪かったってのもそうなのだが、子供が一人としていなかった、笑っていたが目は笑ってないあの顔。もう二度といくことはないだろう。履き違えてもいく事はない。
にしても筋肉ついてきたな、体もがっちりとしてきた。もやしのようだった体が鉄みたいだ。アスリート並みとは言えないがすらっとしてきている。
「マジで髪が邪魔だ」
ブロッコリーが成熟しすぎている、もじゃもじゃ癖毛の長い髪は禁止事項なんだ、早いところハサミを手に入れなければ。
あと、今更ながら腹が減った。当然のことながら腹へった。
今日は無理だな。明日に期待でもしよ。
そのまんまずっと歩いて日が暮れて夜になって僕は地べたで眠りについた。




