2、小人ノ指揮者 1-1
ゼエゼエ____と息が分け隔てなく漏れ出て仕方がない、いつからか疲れ切ってしまうまでに走り続けていた。辺りを見渡せばここはどこなのかと不安がざわめいてしまう、無我夢中だったもので走っていた時の一切の記憶が浮かび上がって来やしない。「はぇ?」と間抜けらしい僕らしい声も聞こえてきた。
「どこ?、だ?あぇ?…」
全く知らない景色に立ち仰せて足が止まる。
”田舎”といえど少々の街並み程はあった近所だったが、僕が現在立ち往生して見据える場所は明らかに「街」と言える様なものではない、明らかな灯りを感じれない、僕一人星に取り残されてしまった、孤独感が飛び回りザワザワと胸に突き刺さりゆく。
………森の中。
見渡す限り木々に包まれて、目を瞑っても草と土の香りが。
あと。あの匂いがする。
あの匂いがすると、
いつも。
……ポツっポツっ。
ほら。思っていた通り降ってきた。雨の匂いだった、良い匂い。僕はこの匂いが好きだ、雨が降った後の学校の帰り道なんかはほんとによかった、アスファルトの濡れて靴が少し滑る感覚も葉に滴る水の粒も「今日」を色濃く鮮やかに肌で触れられる。人生の味を身で感じれるようで、やっぱり好きだ。この匂い。
暗い底なしの洞窟みたいな夜空を余す事なくじーっと見上げ、小雨を顔で感じる。
しかし雨は嫌いだ。僕が好きなのは匂いであって雨そのものじゃないから。ジメジメして傘がないと土砂降りにだってなるし。それなのに嫌な気はしなかった。普段に雨が降ったのなら、狂うしいほど苛立ちを覚える時もあったのに。
「ん、」
雨が目に入った、反射的に目を閉じてしまう。目を開いて顔を下す。ソッと歩き全身の体重を乗せて地面に落ちた枝を踏む。パキッと乾いた音が森周囲に響いた。
あと狼だけ居れば、あの本と一緒だったのにと縁起でもないことを言ってみる。どうしたものか、奇怪的なことでも起きないかな何て、誰も体験したことのないようなことが起きたらなー何て。そんなこと。起きやしないだろうに。
すると後ろから、熊の様な唸る声が、聞こえて来たように思えた。
ビクッと空気が凍りつくのを即座に感じた、背筋からどこまでも気が遠くなるほどの恐怖が迫ってきて僕のすくんだ脚に齧り付く、気の所為?気の所為だろ。こんな近くに野生の動物なんて出てこないだろ。
気の所為だ。と念を入れて諭しても胸の中にあるそれは信じようとしない。
「だ、、、れ。?」
後ろへゆっくりと振り向き、確かな場所を見つめ続ける。それど映らない、見えない。霧が架かっているのも相待って尚も多くの恐れが襲ってくる、パニックになりそうだ、詰まるところ限界寸前、至らぬ所。
暗く暗く、森の木々の奥から、ガルルルっと明らかに動物の喉から発せられる様な唸りが耳に届いて気の所為ではないと身震いが止まらなくなる、鹿?猪?それとも熊?どちらにせよ身の危険が迫っていることだけはハッキリわかる。「死」が直ぐそばまで来ていると言うことだ。
じっと見つめると奥から、
……のすっのす。
足音と共に枝を踏む音。雲に隠れていた月明かりがタイミング良く顔を露わにした。
「まじすか、」
そこには目を疑う生き物が僕をじっと睨みつけるように確実にこちらを狩る、獲物を狩る目。狼であった。
絶滅したはずの日本狼がそこに立っていたのだ。「狼がいれば」とか言うからぁ。てかなんで?死んでしまってもう居ないはずだし、生息地だって、こんな全然違うはず。いないはず。いるなずがないんだ。
どれだけ否定を積んだとしても目の前で僕を睨んでいる狼はそれを確実にひっくり返そうとしてくる。生物のこととか僕は正直何にもわからない、それでも、何にも知らない僕でもわかる。いるなずない。何度でも言える。居ないんだ。
一歩、足を後ろに引く、すると狼も一歩僕の方へ近づいた。距離を一定に保つそれはもうロックオンされているんだと直感で直ぐにわかった。逃してくれない。月の明かりが狼を照らす。僕はその狼の口元に視界が吸い寄せられた。
よだれを垂らして、眉間に皺をギッと強張らせて。腹を空かせている。空腹で目の前にご馳走が現れたら僕だって食いつく自信がある、てことはだ、そう言うことだ。
あっこれ、食われるんだ、僕。
威嚇をしようにも辺りに目をやれない。
ただ息を殺して狼の気を逆撫でしないようにするぐらいしか、それぐらいのことしかできない。火があれば、少しばかりの焚き木でもあれば、武器にできたかもしれないのに、固唾を飲んで息を殺す。大丈夫か、少しばかりに呼吸はできているか?、固まって行動のこの字も現れていない。
どうする、逃れるか、僕の足で。無理だ。
ただでさえさっきまで走って疲れているのに、運動不足のこの体では二十五キロメートルほどの速度が限度、対して狼は?きっと一秒かそこらで追いつかれて背中から食われて終いだろう。逃てきたのに、その先で逃げ場を失った。正真正銘の死という恐怖が、対象が目の前に現れた。
雪が僕に初めて会った時にしてきたあれを思い出した、手の平をそっと相手の前へ突き出し、自分に敵意はないと、そう見せるために、手を掲げたその瞬間。
狼が走り出してこちらに走ってきた。僕は驚いて背を向けて走り出す。叫んだ。怖かったから。どうしようもなかった。




