4。勿忘 #1-6
久梨原香。中学二年……六月二十八日。
「暑いねー」
雪が僕の顔を見てそんなことを言う。気の強い晴天が空を覆い僕たちを叱る事なく常々見張ってる。ジリジリと肌を攻撃して赤みを程凝らせている、日焼けをしてしまうのだろうな。
僕と雪は公園で駄弁っている、雪は暑いのにも関わらず長袖を着ている。長袖といっても太陽の陽を防ぐためのヒートテックを薄くしたようなそんな感じだ。肌が見えずまるで刺青でも入っているのでは?とも思ってしまう。
学校は休み、今日は日曜だ。
「そりゃあ長袖なんか着てたら暑いでしょ、脱水になるよ雪、水しっかり飲んでね」
「そりゃ飲むよ、危ないじゃーん」
雪が呑気に首を揺らしながら元気そうに言う。分かっているのなら脱ぎなさいよ、手に持ってるスポドリをフリフリしながら楽しそうにしてる。
「ねー香、あんたこそなんか飲まないの、今日クソ暑いのに水飲んでるの見てないんだけど、自販機探す?何ならこれ私の飲む?」
スポドリのキャップを開けて僕にそれを向ける。
「もらっていいのじゃあ一口ちょうだい」
それを聞いた雪は二秒かなそれよりも早いだろうか、固まっていた。辺りの時間も微かに止まったような空気感が流れる。
きっといい度合いにのらりくらり交わされると思っていたのだろう、案の定雪は目の前で起きた事象に脳が追いついていないようで、僕は雪の持っていたスポドリを奪い取るように受け取り一口貰う。
先に買ったばかりでまだ冷たい滴る水滴が手に付く。少ししょっぱくて、甘くて暫し酸っぱい様な味。そして僕は口を拭い、スポドリを雪に返す。
「ほんとに飲んじゃったの、えー。それって、んえ、飲まないと思ってたのに」
雪は慌てふためてたじろいでいる。少し耳を赤た彼女の姿が妙に可愛いと感じてしまった。辺りでは蝉がミンミンと喚いてる。ついでに生ぬるい風が四方八方から吹き、まさに夏と言ったところである。
「喉乾いてたんだよ、実際お小遣いとかもらってないから何も買えないんだよ、嫌だった?そんならごめん」
僕のその問いに雪はまたもやたじろいでしまっている。頭が柔くなっているんだろう思考が追いついてなさそうだ。情報と考えていることがスクランブルー交差点ばりに集合しているとみた。
「嫌なわけじゃないけどさ、いつもなら香が嫌がるじゃん。だからさ。そのいつものあれかなって避けるかなって思ったからすごいびっくりした、ただそれだけ、他に理由はないから。別に」
「嫌じゃないならいいじゃんありがとう、これでまた長生きできる」
「縁起でもないこと言わないの、まぁいいか、また飲みたくなったら言ってね」
「うんっ、」と頷いて落ちてるひしゃげた木の枝を見る。ただ何も考えず無言を貫くが、僕はずっと気になっていることを聞いてみることにした。
「ねぇ、雪」
「ん?」
「雪って将来の夢とかあるの、勉強できてすごい素直ですごい良い子な雪の事だから、良い夢持ってるんじゃないかなってそう思って、」
すると雪は目を瞑って腕を組む。「んー」と顔に陽を浴びながら考える。二秒ほど経って雪は応える。
「考えた事ないかもなぁ、ただ良い学校には行かないとお父さんとお母さんに怒られちゃうし、んーまぁ。そこそこ良い仕事ついて衣食住がはっきりしてたら私は良いかな」
はにかんだ可愛い笑顔の彼女。予想外だった。てっきり壮大な何か相当な夢があるもんだと思ってた。一緒なんだ。僕と変わらない。
「そっか、大体みんなそんな感じだよね、僕もそんな感じだしだらだら生きて不自由なく生きれたらそれでいい」
「そうだよねぇ、そんな深く考えてたら頭パーになっちゃうから適当がいいよねー」
風が吹いた、生暖かいにこやかな軟風が髪をはためかせる。髪の匂いが微かに鼻を掠める。少々甘い匂いを感じた。
すぐ後ろには柵越しに花壇が見える。青いネモフィラとチューリップそれと名前のわからない白い花が植えられている。花達も風に誘われて踊っている。涼しそうでこちらまでもが嬉しくなる。
「雪って人以外だったら次何に生まれ変われたい?」
飛んでいるてんとう虫を眺め空を飛んでいる雀や鴉を眺め雲を撫で空気を感じる。
「私は。」
考えている。一体どんな生き物に生まれたいのだろうか。無難なところを行くとすれば猫か犬か、小動物らへんだろうか。いや魚の可能性もあるか、なんにせよ僕は雪の言葉を待った。
「生まれ変わりたくないな、」
雪がそんなことを言う。
「どうして?」
「正直さ、生きるって大変じゃん、動物は自然を生き抜かないとやっていけないわけだし、安定した生活なんて保証されてないし、今のままがいいってわけじゃないいんだけど。もちろん猫とか鳥とかなれるならなりたいよ、あっでも鯨にはなってみたいかも」
「鯨?」と僕は戸惑いと共に声も漏らしたと雪は「うん」っと一寸の迷いもなく小さく頷く。
「昔ね水族館に行ってさ、鯨の生態?みたいな動画を見たことあってさすっごい大きくて躍動感すごっ!とか何食ったらここまでデカくなるんだろうなーとか思ってさ、あとは何り。声。鳴き声がすごく綺麗だったのを覚えてて、こうなんて言うんだろ、お腹にズーンとくる感じかな、、
兎に角めちゃすごかった、自由そうでいいなって私感じたんだ」
凛としてる、いつものおちゃらけた雰囲気とはどこか違う、本心からそう願っているのが僕の目を通してわかった。
「でも私はやっぱり今がいいかな、生まれ変わってもここがいい」
それはどうして?と聞く前に雪は当たり前と言わんばかりに真剣に言い放った。
……「香がいるから」。と
その瞬間今度は大きく貪風がこの場を通っていく。あたりの草木と花々は揺れて葉がゆらゆらと舞って落っこちて来る。僕らも大きく翻った、僕は手に持っていた本が生きているみたいにペラペラと回ってく。
嬉しかった。誰かに認めてもらえたような居場所として良いよ言ってもらえたような救われた様な気がした。ただの一言、ただの呑気な会話だったのに、急にこういうこと言うから。気が向けないな。僕は俯いて地面を見る。きっと今とんでもない顔をしてるから見せられたもんじゃない。泣いてるのかも知れない嬉しさで笑っているのかもなんにせよだ。碌な顔はしていないだろう。
「何した見てんのさ。嬉しくなっちゃった?もしかして私の言葉は効果抜群か!嬉しいか香!よかったなぁ」
ニコニコして雪も嬉しそうに揶揄いレベルが最大値に達したかの様に僕で遊び始めた。雪は僕の身体を揺さぶって赤た顔を覗こうとする、僕はそれを必死に見せないように対抗する。側から見たら取っ組み合いの喧嘩でもしてるんじゃないかと思われるかも知れない。さながら幼児のお遊びといったところだろうか。
雪は掴む手を止めて僕を離す。「疲れた」言って座っているベンチに体重を全て委ねる。
「ネー、お腹すいたー」
「急に話が変わるね」
足をバタバタさせて我儘に身を任せてジタバタと暴れ、バッと立ち上がり「あーー」とやる気のない声を出しながらぐるぐると回っている。
「香っていつも何食ってんの?あんまご飯食べてる印象ないんだけど、ガリガリだしもっと栄養取りなよ』
「しっかりと食べてるつもりだけど、雪こそ普段何食べてんのさ」
僕は問いに問いで答える、膝に肘を置き手の上に顎を乗せて。
「言われてみると普段何食ってんだろ。あんまり考えたことないかも。」
目の前で楽しそうに回ってる彼女がそっと動きを止めた。そして真上、空を見上げて考えてるような仕草をしている。それを見て僕は言う。
「何か好きな物ないの?何か、ほらチャーハンとか」
「え、なんでそこでチャーハンをチョイスするわけ、おっさん?香って」
「チャーハン好きな人全員を敵に回したね雪、いいじゃんチャーハン美味しいし!僕好きなんだけど!」
「ごめんごめん。でもチャーハン選ぶならなんでラーメンとか先に出てこないのよ、言っちゃ悪いけどあれラーメンの引き立て役だと思ってる私、美味しいけどさ」
雪は爆笑して呂律を小細かに話す、腹を抱えて涙交じりに笑う。
「なんでそんなこと言うんだよ、いいじゃんか。でも確かにラーメンの方が好きかも」
「そうだよね、ラーメンだよね」
「でも僕しっかりとしたラーメンあんまり食べたことないかも、カップラーメンはあるけどお店とかはないし、雪はある?」
「残念ながら私もないのだよ香くん」
「意外」
引き立て役と言うから食べたことがある物だと思ってた、考えていたよりラーメンはメジャーな物ではないのかも知れない。なんて思ってると雪がより意外なことを言い出す。
「じゃあさ。高校とか行ってさ二人に余裕出てきたら、食べに行こうよ。バイトとかしてさお小遣いが増えたら買い物とかもさ一緒に行こうよ」
これまた突然、突拍子もないことを言い出す物だから一瞬眉間に皺を寄せてしまう。
「いきなりだね、随分先じゃない?それ、忘れちゃうよ多分、それに。その時まで一緒に入れるか分からないよ」
「そりゃそうだけどさぁ、時間経つのって思うよりずっと早いじゃん、今だってすごい速さで動いてるわけだし。楽しい時間があっという間で嫌な時間は長く感じるのって本でなんだろうねー、まじやだ」
「ほんとだよね。僕だって今がずっと続けばいいなとか思うし、止まって仕舞えばいいなんて。意味ないのにそんなこと考えちゃうし、めんどくさいよね、人間の体って」
立っている雪が戻ってきてまた僕の隣に座る。
「香ってさ、好きな人いるの」
「は?、いないですよ」
「そうなんだ。居そうなのに。ザーンねん」
嘘をついた。本当は好きな人いる。目の前に、今話してる。雪が好きだ。でも恥ずかしくって言えなかった。ごめん。
「どうする?この後。てか暑いし、どっか入りたくない?お店でもなんでもいいから行きたくない?」
「でも僕お金ないからお追い返されちゃうかも」
「行ってみたらどうにでもなるかもよ、一旦行ってみよ!ね!」
僕は連れられるがままに着いていく。手を掴まれ雪の思うがままに歩く。
「痛いよ」
「嘘痛かった?」
雪は足を止めて心配そうに僕の顔を見る。僕は肩を揺らして笑い答える。
「冗談」
「騙したな、ばか」
「揶揄うのは僕だってできるってことよ」
僕は大はしゃぎに笑う。ツボに入ってしまった。それをみた雪は釣られて笑う。暖かい。楽しい。やっぱ今が楽しい。日々のことなんてすぐに吹っ飛んで忘れ去れてくれる。こんなこと今までそうなかった、憂いが姿を包む。ストレス如き、全部弾き返せるような気がした。




