2。あの頃へ。#1-2
良いんだ。自由なんだよ。あの絵みたいに、好きに生きても良いのだ。敷かれた線路の上を皆と同じく逝かなくても良いのだ。離れても良いんだ。壊して良いのか。もう、はみ出しても良いんだ。
今だけは、僕だけの世界なんだから、諭す者は誰もいない。
「あっつい、」
ワイシャツを鎧を脱いで肌着になる。細やかな風がくすぐったく身体に吸い付く。気持ちいい。かいた汗を冷やして、また汗をかいて。そうやって時間を食い荒らしく。
手を横に広げ白鳥のように鷹が誇らしく我が身を讃えるように、風を真っ向から受けて感触を楽しむ。
もうこのまま、学校なんてもの、生活なんてもの忘れて全部しててしまおうか。なんてのも思ったり、馬鹿なことを言って考えているのは重重承知で結局これからも人生が続いていくのだからきっとこの思考は烏滸がましいことこの上ないのだろう。
そして思い浮かべる。もし。もしそうしたら母さんが何を思うだろか。嫌いになられるかな、縁を切られてしまうかな、もう知らんぷりして二度と家の敷居を跨ぐなとか、言われるのかな。そう考えてしまうとすぐに足がすくむ。明日のご飯や寝床。衣食住に至るまでその全てが母の経済力があってこそ、僕が一人で逃げたなら………。
やっぱり戻ろうか。
足を止めてそっと来た道を見つめる。仮に今戻って結果は変わることはない。サボったことに変わりはないし怒られることは確実だ。首を上げ、太陽の熱を顔にマジマジと当てつける。今になってその事実によろめいて萎縮して怖気付いてしまった。風前の灯火でしかなかった、僕の逃走劇。劇にしては最も遠すぎて小さすぎるものだったけど。
そうして僕は。由々しい気持ちのまま学校へと戻った。
来た道を戻り、窓から戻る、土で汚れた上靴を表面だけ丁寧に濡らして洗う。
教室の前まで着いてせっせと移動教室の用意をしようと引き戸に手をかけようとした時、教室の中から声が聞こえた。そういえば、出ていく際扉を開けっぱなしにして出て行った気がする、ふと廊下に立て掛けられた時計を見ると、すでに音楽の授業は終わっていたのだ。
音楽が終わり今は英語へと変わっていた。せいぜい二十分がそこらだと思っていたからあまりの時間の経つスピードに呆気が戻ってきてしまった。授業中に戻るのは流石に気が引ける。
とりあえずチャイムが鳴るまで僕はトイレで時間を潰す。
外にいた時とは違って清々しさは一つもない、ひしひしといけないことをしているんだって重たい気持ちがづしっと伸し掛り、窮屈で閉鎖的な何かが心に居座っている、完全に仁王立ちして我が物顔でいやがる。
次第に後悔が脳を満たして、少し前の自分を責め立てた。頭を抱えて「うぅうん、」と唸る。
「もし先生が母さんに電話して、サボったのがバレたら、あぁ」
最悪が脳裏に過ぎる、それこそ地獄を目の当たりになる。気を紛らわせようとトイレの個室から出て顔を洗う。冷たい流水を勢いよく自分の顔面に押し当てる。
「何してんだろ。」
鏡に映される滑稽な自分の目をじっと見つめる、鏡の向こうの自分は何を考えているのだろう、同じ顔、体格。輪郭で何もかもが一緒、外見だけは一緒なんだ。じゃあ中身は?
きっと違う。双子の子達が同じ思考、生き方にならないように。きっと鏡の中の僕も違うことを考えているんだ。鏡に手の平を押し付ける、冷んやりした感触が平全体に広がり気持ちいい。
久梨原香。公民館、昼。
公民館の裏、僕は怕竹さんが来るのを待っていた。いつも通り同じ本を読みながら。怕竹さんと出会ってから一ヶ月ほどが経過していた。初めて会ってからと言うもの、怕竹さんは昼休みになるとここに毎日来てくれる、一度目はもう二度と会えないと感じて憂いていたから、僕自身すごく嬉しい。また会えたのだから。
蒸し暑い中ギリギリ、直射日光は日陰で避けられているがサウナとそう変わらない熱帯に近い雑な暑さが鬱陶しい、ここにも冷房を追加してほしい。んなことできやしないだろうけど。
聞こえない音のリズムを取って足を八ビートに近い動きで動かす、今の気分的に体を少しだけ動かしていた方が集中できると思ったからだ。とは言えど、そんなザ運動みたいな激しい動きはしたくない、汗かくし疲れるし。髪を掻きながら本を読んでいると、怕竹さんがきた。
「香ってほんと本好きだよね、作家にでもなりたいの?」
僕の本を怕竹さんはじっと見つめている。
「もう何度も読んだんで見ないでも内容言えますよ。作家は難しそうだから嫌です」
「えぇ、いいと思うけどな〜」
もう、突然声を掛けられてもビックリはしなくなった。と言っても会ったばかりだけど、慣れた声でなら背後から声に顔を向けることなく字だけを見つめる。そして一定の文を読み終え栞を挟み本を閉じた。
振り返り怕竹さんの姿を見た、やっぱりだ、廊下で見た時と同じ、長袖の学ランをずっと着ている。
「暑くないんですか、それ」
「めちゃくちゃ暑い」
「ですよね、なんで半袖着ないんですか?美容?」
わからないながらに変に気に触れないようにそっと唱えてみると怕竹さんは僕の隣に楽な体制で座ってから言う。
「私だって着たくてこんなの着てるんじゃないんよ、んーとね、肌が弱くってさ、太陽の日差しダメなんだよね、だからプールとか体育とか受けられなくってさ、最悪よもう、褐色でさかっこいい女目出してたのに」
「なんすかそれ」と笑って僕は答える。
「なーに笑ってんだー、真面目じゃい、こっちはー」
「ごめんね」
「いいよ別に怒ってないし、てか、この前も言っただけど、もう癖になってるの?敬語」
「まぁ、普段からそうですし、言いやすいんすよ、逆にタメ口の方が苦手かも」
ふーんっと息と一緒に何かを思っているように見える。
「そんならさ上呼び辞めない?」
「苗字のことですか?」
「そう」
「いいっすけど」
「いいんだ」
「はい」
名前に変えるタイミングがなかっただけでしようとは思ってた、ただ急に呼び方を変えたら気持ちが悪いかなってずっと苗字呼びを続けていた。
仮に自分から「下の名前で呼んでもいいですか」とか聞いたらキモっとか言われるかもだし。それなら安牌をとって苗字で呼んでいた。
「じゃあ、言ってみよ!」
モジモジして上手く言い出せない。言ってみたいのにも関わらず喉の顎の下の方でつっかえて声にならない。切ないと思うほどに言葉にならない。今言わないと、この先言えないかもしれない。見放されてしまうかもしれない。潰れてしまうかもしれない。
………ゆき、さん。
「よし、よく言えた」
言えた。肩のにが降りたような気がする。体を後ろの方に倒し楽にしていると、雪さんからある提案を持ち掛けてきた。
「ねー香、今日の夜って空いてたりする?」
「なんです急に、」
「実はさ、今日学校の抜け道見つけてさ、夜一緒に入り込まないかなってさ」
いけないやつだ。見つかったら捕まるか叱られるやつだ。
「泥棒?」
「なんで真っ先に泥棒って単語が出てくるのよ、そんなに性悪に見える?」
「だって、入り込むって、そんぐらいしか無くない?」
「違うよ、星!、屋上登って星みようよって話をしたかったの!」
「あー。そういうことですか」
星。家の窓でしかジッとみたことないかも、いつも見えているから深く考えた事ないけど。行きたくないと気にはならないと言えば確実に嘘となる。羨ましくも楽しそうに話しているんだもん雪さん。
「今日の夜、めちゃ綺麗に星見えるんだって!、それでさー友達誘ったんだけど、夜の学校は怖いからとか夜は外出できないからやだって言われちゃってさ、そんなら一人で行くってのは心細いし、だからさ、一緒に行こうよ!あと香しかいない!」
「いけなくは無いけど、門限があるんじゃなかったっけ」
「ある、だから抜け出す」
「それってまずいんじゃないですか?」
家が厳しいってことだけは聞いたことがある、それがどれほどまでに厳しいのか知らんけどスマホも持ってないって、僕も持ってないけど。だけどあれだけ時間を気にして焦っていたのだ、相当かもしれない。
「いいの、私のこと言ってたってしょうがないよ、私が香と行きたいの、」
顔を曇らせつつも、どうしても行きたいんだ!という気迫がその目から大きく海原の如く感じる。
「別にいいですけど」
馬鹿みたいに嬉しかった。僕と行きたいか、、断る理由は何一つとしてどこを探したって見当たらないのだ、「別に」なんて言ったが、内心たまらないく。たまらないく笑みが溢れていく。
「よし、じゃあ、八時とかどう?」
「いけると思います」
「よし決定待ってる!、じゃあ私先行くね、香も遅れないようにね」
元気だなぁと思い僕も置いてきぼりに雪さんは教室に戻る。そう思えば夜に一人外出するのは初めてかもしれない。学校までとはいえそれまでの道は暗いのだろうか、気をつけなくちゃな。転ばないようにしなくちゃな、服、何かあるかな。行く前にお風呂とか入ったほうがいいのかな。
……母さんには、なんて言おうか。




