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龍吟の琴  作者: みなきら
龍吟じて、雲を呼ぶ
32/34

風に散る花橘を袖に受けて

 雅にお姫様抱っこされたまま、時じくの香くの木の下まで戻ってくる。そして、急に立ち止まると雅は辺りを見回した。


「ねえ、もう大丈夫だから下ろして?」


 加代子の言葉に雅はにこりとして、ただ「大人しくしていてください」と答えるばかりだ。


「もう、なんで下ろしてくれないの?」

「何か異変が起きているからです。」

「異変?」

「ええ、先程から時じくの香くの木の花が散っています。」

「時じくの香くの木の花が?」


 すると、ザアッと言う音ともに、どこからともなく風が吹き、橘の花はその風に乗って散り急ぐ。雅は益々警戒の色を濃くした。


「今の加代子さんは人魑魅に等しいですから、少しでも離れれば、先程のように、他の魂同様、()()()に引っ張られかねません。」

「どこかに・・・・・・?」

「ええ、まだ輪廻の輪はまだ動いていないはずなのに、あんなにあった魂達がすっかり消えているでしょう?」


 その指摘に辺りを見回せば、確かに光の粒はすっかり消え、時じくの香くの木の仄かな光ばかりだ。


《こちらにいらっしゃったのですね。》


 バササッと羽根を打ち鳴らし降りてきた大鴉姿の紫蘭と合流する。


「紫蘭、何が起こったのです?」

《もう一人の主様が《あとは頼みました》と消えて、急に光の波に飲まれたと思ったらお二人を見失っておりました。ご無事で何よりです。》

「こういう事はよく起こります?」

《いえ、私もこのような事は初めてで・・・・・・。》


 八咫烏姿の紫蘭は心配そうに時じくの香くの木を眺める。


「ひとまず、ここは危なそうですね。どこか安全そうなところはございますか?」


 すると、紫蘭に背に乗るように促され、雅は加代子と共に乗る。そして、紫蘭が飛び立つと、加代子は時じくの香くの木を指差した。


「ちょっと待って。あそこに何かいる。」


 その言葉に雅も振り返ると、キラリと光るものがあって、咄嗟に風の呪で幕を張る。すると、そのすぐ後にいくつかの爆発が起きた。


何人(なんぴと)たりとも、この地を荒らす事なかれ――。》


 加代子はその声に聞き覚えがあって「さっきと同じ声」と口にする。


「さっきの声?」


 雅には加代子の指摘した声は聞こえなかったから、怪訝そうな表情になる。と、再びキラリと光が放たれ、紫蘭が急旋回する。雅は加代子を引き寄せつつ、紫蘭の首に掴まった。


《急に申し訳ございません。》

「構わない。ひとまず上へ。高度を保ってください。」


 紫蘭が羽ばたき上へ高度を上げると、加代子の言った何かも、時じくの香くの木から飛び上がり、翔けるようにして迫ってくる。


《ダメです、追い付かれます――ッ!!》


 紫蘭が悲鳴のように叫ぶ。雅も呪を唱え、応戦しているものの、風の呪では相性が悪いらしく珍しく焦った表情をしている。


 紫蘭が失速し、雅はいよいよ大鎌を生み出す。加代子はそんな雅を引き止めた。


「加代子さん――?」

「攻撃するの、ちょっと待って。」

「ですが・・・・・・ッ!」


 姿なく、翔け上がってくる何かに向けて、加代子は少彦名命に習った呪を唱える。と、小さな瑠璃色の魔法陣が小さく浮かび上がり、蜘蛛の巣のように網が広がるから、雅は目を丸くした。


「加代子さんも、時じくの香くの木の実を確かに口にしたはずなのに何故・・・・・・?」


 加代子はにこりとすると、弛んだ雅の腕からするりと抜け出る。そして、「あとは任せて」と言うとふわりと蝶が舞うようにして紫蘭の背から飛び降りた。


「加代子さん――ッ!!」


 雅の血相を変えた声に、紫蘭は再び急旋回し、加代子を捕まえようと錐揉みの状態で下降する。加速度的に掛かる圧力に意識が飛びそうになりながらも、必死に加代子に手を伸ばす。


 一方、紫蘭を追ってきていた何かも翔ける方向を変えて加代子の方へと向かう。加代子はそれを見ると「()()()が命ず。我が元に降れ!」と呪を唱える。


 辺りは瑠璃色の眩い光に包まれた。


 青よりも、なお、青い光――。


 彼が霊は初発(はじめ)の時、「光、あれ」と仰られた。


 そうして強く発された瑠璃色の光に、雅は龍の君の強い憤りと非難の意思を秘めた瞳を思い出す。


 龍の君は、あの時、彼の(ひと)と共に消えたがっていたのに、国常立尊は八狐の力も借りて、自らを生贄に「使ってはならぬ呪」を龍の君に施した。


 龍の君の深く慈悲深い海のような瞳は、非難の色に燃えるような緋色に染め変わり、国常立尊の血肉を糧に八岐大蛇を生じていく。


 怒り、悲しみ、苦しみ、憎しみ、(ねた)み、(そね)み、執着の心、猜疑の心――。


 ありとあらゆる負の感情の集合体として、生まれた怪物は、全てを凍らせ、全てを焼き尽くし、そして、今は心の太柱の深くに棲んでいる。


 雅はそれを思い出しながら、ふっと脱力して紫蘭の背から宙へと放り出された。


 流れ込んでくるこの思念は、一体、誰のものだろう。


 ああ、そうだ。


 ()()だ――。


 ◇


《主様――ッ!?》


 落下していく雅の様子に紫蘭は叫び、急いで先回りするとその背で雅を受け止めた。


《主様、しっかりしてくださいッ!》


 しかし、雅からは返事はなく、先に落ちた加代子は行方も分からない。


 あの眩いばかりの瑠璃色の光はなんだったのか。


 聞きたいことはいっぱいあったのに、大物主神は居なくなり、同じ魂を引き継ぐはずの雅も返事がなく意識を失ってしまっている。


 こんな時、片割れの紫苑が居ればいいのに。


 紫蘭がそう思って、泣きそうになっていると不意に「紫蘭、こっちよ」という加代子の声がしてくる。声のする方を見れば大きな白く美しい狐の背に乗って手招いてる浴衣姿の加代子の姿があった。


《御方様――ッ!》

「もう大丈夫ッ! ()には分かってもらったから。」

《分かってもらったというか、分からせたと言うべきでは?》


 そう言ってゆらりと尻尾を揺らす白狐は、「こちらについて参られよ」と加代子を乗せたまま向きを反転する。


《御方様を何処へッ!?》

「大丈夫だってッ! そのままついてきてッ!」


 すると、階段降りるかのように、トントンと弾みをつけて大狐が地へと戻っていく。そして、一つ、ケンと鳴くと六芒星の中に五芒星の光の描かれた紋が地に広がった。


 白狐は加代子を伴ったまま、その中へと踊り入り、紫蘭もその姿を追って紋の中へと身を投じる。白狐について出た先は、寝殿造りの美しい邸の庭だった。


 広い庭にはコンコンと湧く池と大輪の蓮の花が咲き乱れ、常盤木が青々と茂っていた。


 中でも立派なのは柊の大木で、甘い香りを放っている。


 ただここが異空間なのは誰の目にも明らかで、庭の端の方はお皿から水が溢れるようにしてザアアッという音ともに水がこぼれ落ちていた。


「ここはどこ・・・・・・?」


 まるで別のところにあった空間を、まるっと何処かから持ってきたような景色の様子に紫蘭が訊ねる。


 加代子を下ろした白狐は、その問いに答える前に切れ長な眼の狩衣姿の男の姿に変身し、加代子に恭しく礼をする。


「ここは国常立尊の神域にございます。」

「国常立尊・・・・・・?」


 それから、紫蘭の背に横たわる雅の姿を見つけると、「相変わらずご無理をなさる方だ」と紫蘭の背からふわりとその身体を浮かべた。


(主様を・・・・・・ッ。)


 紫蘭が羽根を逆立てると、白狐は紫蘭をその金色の瞳で見据える。


 本来、神の使いでも序列の高い八咫烏は簡単には頭を下げぬものだし、力ある神に仕えている事への自尊心も高い。しかし、白狐に見据えられると、紫蘭は蛇に睨まれた蛙のように身体が動かせず、この白狐が自分よりずっと高位の存在であると判じて、大人しく挨拶をした。


《八咫烏の紫蘭にございます。》


 白狐はただでも切れ長な目をすっと細めると、満足したように「よろしい」と言い、「紫苑とそっくりですね」と笑う。紫蘭は人身に戻ると、白狐に「紫苑をご存知なのですか?」と問うた。


「ええ、良く存じております。今の我が名は晴明(はるあきら)。今は須勢理毘売命が神使を兼ねています。」


 加代子は白狐の袖を引くと「立ち話は後にして、雅を休ませてあげて」と急かす。


「ここに連れてきたって事は、国常立尊の邸、使わせて貰えるんでしょう?」


 加代子の言い分に白狐は「ほんに姫様はせっかちでいらっしゃる」と呆れつつ、「承知しました。邸へご案内致しましょう」と話すと、袖を振り、雅の身体を浮かべたまま音もなく運び、加代子と紫蘭を先導してくれた。


晴明(せいめい)がよく確認しないで攻撃してくるから、ややこしいことになるのよ?」

「そうは仰せですが、幽世(こちら)に姫様が流されたと聞かされては、殺気立ちもしましょう?」


 厳しい顔で白狐に叱咤されると、加代子はあからさまに目を泳がせ「だって、天照大神に力を封印されて、鬼灯に閉じ込められてしまったんだもの」とむくれて話す。



「それよりも、姫様、この幽世にいらして、何をなさったのですか?」

「何をしたって、何もしてないよ?」

「何もしていないのに、姫様の力が使いやすくなったり、ましてや、このように幽世は不安定になりますまい。」


 晴明が言うには、科戸の風が吹き寄せ、この国常立尊の邸の傍を流れる川に流れ込み、輪廻の輪が回るのとはまた少し異なる仕組みで魂送りがされ始めているのだと言う。


「集まった魂は忘却の川を渡り、罪と言う罪はあらじと消えて流転していっています。」

「えーっと、もう少し分かりやすく教えて・・・・・・?」

「つまり、何がどうなったのかは分かりませんが、姫様の神威が大幅に底上げされているという事です。」


 白狐にもう一度「それで、こちらに来てから何をしたのです?」と訊ねられると、加代子はここに来てからの話をぽつりぽつりとし始めた。


「えっと、初めに大物主神と紫蘭にあって。」


 それから、時じくの香くの木の実の元に行ったこと、雅にその実を食べさせられたこと、大己貴命の封印されているところに行ったものの、その身体は大物主神と同じように消え掛けていたことを話した。


「あの実を食べられたのですか?」

「食べた、というか、食べさせられた、と言った方がいいんだけど・・・・・・。」


 加代子が何か問題でもあるのかと不安になって晴明を覗き込めば、晴明は頭が痛そうな顔をし、溜息混じりに「何かお考えがあっての事だと思いますから、あとはこちらの方がお目覚めになられてからにしましょう」と答える。


「何よう、私のせいじゃないのよ?」

「ですが、黄泉の国の話を講説した際に黄泉竈食(よもつへぐい)の話をしたように思うのですが。《無闇に異界の物を口にしてはならない》とお教えしましたよね?」


 そう言われると、加代子はきまりが悪くなって目を逸らす。


「で、でも、本当に不可抗力だったんだもの。そんなに口にしたらまずいものだったの?」

「そうですね、あれは神話や聖書などで言う《黄金の林檎》や《命の木の実》と同じもの。」

「つまり?」

「つまり《不老不死の霊薬》という事ですよ。」


 晴明は「本当に厄介な事になりましたね」と(くつ)を脱ぎ(きざはし)を上がり、加代子の手を取り自然とエスコートしつつ、雅の身体を(しとね)に横たえる。


「ただ、時じくの香くの木の実の効用が、姫様の神威にも影響するものなのであれば、この状態も合点がゆきます。」

「そうなの?」

「はい。ですが、そのあたりは・・・・・・。」

「分かった、雅が起きてからね。」

「ええ。」


 そう言うと晴明は「少し準備をして参ります」と言い、席を立ち、部屋の奥へと去っていく。紫蘭はその姿が見えなくなると、ようやく口を聞いた。


「御方様、ここを出ましょう。」


 顔色を悪くして苦しそうにしている雅の髪を梳いていた加代子は「彼は大丈夫よ?」と話す。しかし、頑なに紫蘭は首を横に振り、「何か嫌な心地がするのです」と話した。


「ここは大物主神が仰っていた禁足地かと存じます。」

「禁足地?」

「はい、畏ろしい神のすまうところゆえ、近づいてはならぬと仰せになられていました。」


 そこには星を生み、そして、星を(ほふ)る神が、一つ星を抱き眠っているゆえ、近付いてはならぬ、と。


「彼の狐様から悪しき気配はしておりません。しかし、ここに長居をするのはあまり宜しからぬ事かと存じます。」


 紫蘭が「主様の御身は私が運びますゆえ」と訴えてくるから加代子は迷った。


 と、不意に「そうは問屋が卸しませぬよ」と晴明の声が聞こえてくる。


「晴明・・・・・・?」


 にこりとする晴明は金の瞳を細めると、「姫様はここで何が起こったのか思い出して頂かねばなりませぬ」と言う。


「どういう意味・・・・・・?」


 小首を傾げた加代子を庇うように紫蘭が飛び出したものの、それより一瞬早く、晴明は雅と加代子の姿を消してしまう。紫蘭は菫色の瞳で晴明を睨むと「主様と御方様をどこへやったのですッ!」と詰め寄った。


「何、奥の間にご案内したに過ぎませぬ。」

「ならば、私も連れてゆけッ!」

「それはならぬ事。」


 そして、「間もなく紫苑がこちらに参りましょう。それまで、ごゆるりとなされよ」と言うと、晴明も姿をくらます。


 紫蘭は晴明の言った「奥の間」を探して邸中を探した。しかし、寝殿はおろか、東の対も西の対にも二人の姿はなく、途方に暮れる。


「主・・・・・・様・・・・・・ッ!」


 紫蘭が悲痛な声を上げる。しかし、その声は静寂に溶け込むようにして消えた。

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