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龍吟の琴  作者: みなきら
龍吟じて、雲を呼ぶ
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時じくの香くの実

 光溢れる幽世の庭を進む中で、加代子はふと足を止めた。


 ここは自分が蝶の夢を見ているのか、蝶が自分の夢を見ているのか分からなくなる世界。


 ほんの少し前まで大物主神と紫蘭が前を先導してくれていたはずなのに、今の加代子は雅とも離れて、ふらふらと光の海の中を彷徨(さまよ)っていた。


 しかも、不思議とその事に違和感を覚えることもなく、次第に視線は揺らぎ、上へ、上へ、下へと空を舞う揚羽蝶の心地になっていく。


 変だ、自分は何をするためにここにいるのだろう。


 急に頭の中がぼんやりとしてきて、行く先を見失う。


 やがて爽やかな柑橘系の香りがしてきて、蝶の蜜を求める本性ゆえ、それだけを頼りに進めば、そこには青々とした葉が茂っている木があった。


 葉の合間から白い五弁の花が見え隠れして、そこから匂い立つように柑橘系の良い香りがしてくる。加代子が誘い込まれるようにして、その気に触れようとすると、不意に腕を掴まれた。


「加代子さん、(とげ)で怪我をしますよ?」


 何気なく触れようと伸ばした手は雅に絡み取られる。


「不意に居なくなったと思ったら、こちらにいらっしゃったのですね。」

「み、やび・・・・・・?」

「ええ、大丈夫ですか?」

「大丈夫・・・・・・だよ・・・・・・?」


 加代子は寝起きの時のように少しぼんやりとしていて、ゆっくりと瞬きをする。雅はまだどこか夢うつつの加代子を見て「参ったな」と苦笑した。


「常世の虫に変じていたから、この木の香りに捕らわれているようですね。」

「常世の虫・・・・・・?」

「ええ、揚羽蝶はこの木が大好きですから。」


 雅は棘に気をつけて、枝を持ち上げると小さく白い花を見せてくれる。そして、それにそっと触れると、花はたちどころに、小さな実になり、やがて蜜柑より一回り小さいサイズの黄色い実へと変化した。


「それは?」

「これが《時じくの香くの木の実》ですよ。」


 そして、雅はその実をもぎ取るとどこからか取り出したのかナイフで器用に実を二つに割る。


「いい香りでしょう?」


 雅の手元の実から、柑橘特有の爽やかな香りがさっきまでよりいっそう濃く香ると、加代子はこくりと頷いた。


「ナイフなんて持ってきていたの?」

「これはナイフじゃないですよ。死神の鎌(デス・サイズ)です。」

「デス・サイズ・・・・・・? いつも持ってる大鎌?」

「ええ。デス・サイズを操るのは死神の特権です。便利でしょう?」

「そんな便利グッズみたいに言って・・・・・・。」


 雅はくすくすと笑うばかりだ。しかし、加代子はその笑顔がいつもと違って淋しげに感じて、そっと一歩雅に近づいた。


「これ、見た目は蜜柑みたいだね。」

「蜜柑と比べたら、だいぶ酸っぱいかと思いますけど、現世の橘に比べれば甘いですよ?」

「食べた事あるの?」

「ええ、遠い昔に一度だけ。」


 この穏やかな光溢れる景色には似合わない、上着から靴まで真っ黒なコーディネート。胸にはシルバーで作られた鎌の刺繍が入った服を着ているのも、黒曜石を嵌め込んだような瞳の色も変わらない。


 手入れがしやすそうな髪質なのに、寝起きに跳ねる僅かな癖のある黒髪も一緒。


 加代子はまるで間違い探しをするかのようにして雅を見ながら、この違和感の正体を探ろうとした。


「加代子さん、どうしました?」


 雅が急に黙りこくった加代子に声を掛け、いつもそうするように自分の髪へと手を伸ばしてくる。そして、加代子はそこに至って、その指先が大物主神と同じように透けて消えかかっている事に気がついて息を飲んだ。


「雅、なんで身体が・・・・・・。」


 そう言うと、雅は気まずそうに引っ込めかける。加代子はその手を逃がすまいと捕らえると「こうなる事、気がついていたの?」と訊ねる。雅は観念したように溜息を一つ吐くと、加代子に静かに頷いた。


「大物主神の話を聞いて、少しばかり。こうなる予感はしていました。僕は《時任 雅》という死神に過ぎないですからね。」


 全てを悟ったような顔をして、雅が淡々と答えるから、加代子は腹立たしくなって眉間に皺を寄せる。


「何をそんなに落ち着いているの? 雅、消えちゃうかもしれないんでしょ?」


 加代子が声を荒らげ睨んでくる。雅は加代子のあまりの剣幕に、遠い昔、高志の国に向かおうとして呼び止められた時と同じようにたじたじになって「元の自分に戻るだけで、僕自身がいなくなるわけではないですよ?」と弁解した。


「でも、それは《時任 雅》じゃないよね――?」


 琥珀色の瞳に見つめられると、何もかも見透かされている様な心地がして嘘は吐けない。他の誰かは騙せても、彼女はきっと見抜いてしまう。そう思うと、雅はうまく返事が出来なくなり、ただ一つ、こくりと頷いた。


「そうですね、()()として残るとは思いますが、僕と大物主神が違って感じたように、僕と本体でも違って見えるかもしれません。」


 その言葉に加代子は唇を噛み締めて、消えかけた雅の腕に抱き付く。それから蚊の鳴くような声で「それなら、雅は、消えちゃダメ」と呟いた。


「大物主神の事は受け容れるのに、僕が消えるのは嫌なんですか?」


 すると、加代子は今にも泣き出してしまいそうな雰囲気になり、幼い子が駄々をこねる時と同じようにして首を横に振る。


「嫌だよ、雅が居なくなっちゃうだなんて。」


 加代子には確かに須勢理として大己貴命を愛し、琴子として雅信を愛した記憶はある。そして、大己貴命の事も雅信の事も雅を作っている大事な要素だ。


 でも、それとこれとは話が違う――。


 徐々に透き通っていく雅の腕に加代子は縋るようにすると、雅のことを上目遣いに見上げた。


「今の私が出会って好きになったのは、《時任 雅》という死神だよ?」


 一千年もの間、琴子との再会を待っていた一途な人。


 その間、仄かに光る魂の、一つ、一つを慈しみ、葬送(おく)ってきた優しい人。


 たとえ彼が好いているのが、自分の中の須勢理や琴子(かつての自分)で、これが「形代の恋」だとしても――。


 彼が幸せになるならそれでも良いと思っていたのに、肝心の雅が居なくなったら、自分は何のために存在()ればいいのか分からなくなってしまう。


「勝手に一人で納得して、勝手に居なくならないでよ。半分こにしてって、言ったじゃない。」


 辛いことも、悲しいことも。


 その分、嬉しいことや楽しいことは二人分にするから。


 そう訴えてくる加代子の姿に、それまで大己貴命(別の自分)に呑み込まれるのを良しと思っていた雅も、不意にその事が急に嫌になり、手にしたままの時じくの香くの木の実を見た。


 もっと加代子と居たい。


 もっと加代子に触れていたい。


 琴子を見失い探し求めている中で、徐々に彼女の面影が朧気になり、このまま死神としてずっと生きる事や、会えぬままに転生する事も心のどこかで受け容れていたはずなのに、加代子と出会ったこの数年ですっかりそんな気持ちは吹き飛んでしまっていた。


 だからこそ、加代子の魂を生かすためなら、自分は大己貴命に飲まれていいと思っていたのに。


 そして、この事態を打開するためには「大己貴命(国津神の自分)」こそ必要だと分かっているのに。


 それなのに、彼女にこうして自分が必要だと言われると雅の決心は揺らぎ、このまま()()()()になど飲み込まれたくないと思ってしまう。


「加代子さん、貴女って人は・・・・・・。」


 透けている腕で加代子を胸元に引き寄せて、そのまま加代子の額に口付ける。


 何もかもが、足りない――。


 死神の自分は、共に生きようという彼女と向き合う勇気も、そんな彼女を守るための力も、何もかも。


 きっと多くの者は《大己貴命》こそ、求めている。


 それでも、雅は青々と茂る木を見上げると、声を絞り出すようにして祈った。


 どうかこのまま、時を止めて欲しい、と。


「時じくの香くの木に(こいねが)う。我らを守り給え、幸い給え。」


 これは、大己貴命が根の堅洲国から須勢理を連れ出したのと同じように、恐らく間違った選択だ。


 それでも、今、あえて同じ過ちを繰り返す。


 雅は手にしていた時じくの香くの木の実を、ひと口、口にして、そのまま流れるように加代子の唇を塞いだ。


「んん・・・・・・ッ?!」


 驚いた顔をした加代子は、雅に口移しで与えられた酸っぱさと、苦さに顔を歪める。


 頭の中では「急に何するの?」とか、「こんなので誤魔化されないんだから」とか、悪態を吐いているのに、同じように苦悶の表情をする雅と目が合うとそれも吹き飛ぶ。


「加代子、さん・・・・・・。」


 雅に名前を呼ばれれば、彼がやはり愛しくて胸の内が震えた。加代子は僅かに息継ぎをして再び唇を重ねると、酸味に痺れる舌で深く口付けてくる雅に必死に応える。


 酸っぱくて、苦くて、でも、甘い――。


 雅の腕の中に閉じ込められて、とろ火で煮込まれるようにされると、舌の痺れにも似た、ゾクリとする感覚が背骨に沿って走る。


 ここは常に融合と分裂を繰り返す世界。己を定義していた境界は、しびれと共に曖昧になり、蕾が綻びるようにして魂の産霊(むすび)が解けていくのを感じる。


 ああ、(ほど)ける――。


 大輪の蓮の花が咲くように――。


 加代子はそんな夢想を抱きながら、そっと意識を失った。


 ◇


 辺りはカチコチと時計の音が鳴り響く。


 不意に「嬉しい事や楽しい事は二人分。悲しい事や辛い事は半分。昔、子供向けの番組で歌でそんな歌があったな」と思う。


 途端に鳴り響いていた時計は、「カチンッ」と最後の音を立てて沈黙した。


 訝しんて目を開けると、しかしながら、目を開けたはずの世界は酷く真っ暗で、辺りには何の光も見いだせない。


 いや、光――?


 ぼんやりとした意識の中で、光とは何だったか、闇とは何だったかを考える。いや、そもそもこうして考え、感じている己は一体なんなのだろう。


 暗闇の中では自らの姿を視認出来ず、耳を澄ませど物音はなく、声も出ないし、手足は動かない。その中で「考えている」自分がいるのは不思議な感覚だった。


 ただ茫漠とした空間に放り出されてしまった感覚と、この間にも考えが浮かんでは弾け、考えては弾けを繰り返し、自らが作り替えられて再定義されていく心地になる。


 天も地の分別も分からない――。


 地は虚しく、ただ闇ばかりが淵の面にあり、水に浮かぶ一葉のようにして水面を漂う心地になる。


 このまま、自分は消えてしまうのだろうか?


(そんなの、嫌だ。)


 そう思った途端、男とも女とも、大人とも子供とも判別のつかない声が辺りに響く。


《彼が霊は初発(はじめ)の時、《光、あれ》と仰られた――。》

「ひ・・・・・・かり・・・・・・?」


 不思議な声をなぞる様にして呟けば、揺蕩っていた意識は引き戻され、不意に一筋の光が差し込んでくる。そして、ぶわりと風が吹き込んで来ると、差し込んでくる光の眩しさと風の強さに、思わず手を翳し目を細める。


 自らの指の輪郭が見える。吹き込んでくる風が頬にあたり、自分が何者なのかを思い出す。


《目覚めよ。流離(さすら)う者よ――。》


 加代子はどこからともなく聞こえてくる声にゆり起こされるようにして目を覚ました。


「気が付かれましたか?」


 雅の長い指先が顔にかかった髪を払ってくれる。加代子はぼんやりとした頭のままでその場で数度瞬きをすると、ようやく雅に膝枕されているのだと認識した。


 身動ぎして上体を起こせば、肩から雅が掛けてくれていたのだろうローブがずり落ちる。あたりを見回せば、そこはさっきまでの時じくの香くの木の下ではなく、薄紫色のガラスに覆われた室内だった。


「ここは――?」

「ここは幽世の中心《永久(とこしえ)の宮》の中の、紫水晶の間ですよ。」


 どこか夢うつつのまま加代子が訊ねれば、雅はやけに詳しく今いる場所のことを教えてくれる。そして、「ここへは彼に会いにきたんですよ」と背丈ほどもある大きな薄紫の水晶を指差した。


「あの人は・・・・・・?」


 中には雅によく似た男性が立ったまま眠っている。


「彼が《大己貴命》です。私は、彼が最期に抱いた後悔の念が生み出した《影》のようなものに過ぎません。」


 それが長い時間を掛けて魂となり、武内宿禰の解呪の祝詞で輪廻の輪に乗ったのだという。


「時じくの香くの木の実を口にしたのは彼です。彼はこの地で生まれ、伊波の国の父神に現世と幽世を隔つ気吹戸(いぶきど)のところで拾われたのです。」


 どうやって産まれたのかは分からない。ただ、伊波の国の父神は幼い大己貴命を放っておけなくて自分の宮へと連れ帰り、妾の一人に世話を任せた。


「大己貴命の別名についている《大穴》は気吹戸に通じる洞穴のこと。そして、その扉を越えた先はこの地に繋がっているんですよ。」


 雅が振り返って示した先には確かにゴツゴツとした岩戸があった。


「時じくの香くの木の実は、今までの自分との繋がりを断つことが出来る分断の実でもあります。」

「それって・・・・・・。」

「ええ、僕はもう大己貴命の力を使えず、使えるのは後天的に手にした《死神》の力だけのはず。」


 風を媒介に呪を結ぶ事は出来ても、竜巻のような大きな力は使えないと考えた方が良い。


「ですから、目覚めた彼の神使として従い、代行権をもらおうかと思ったのですが・・・・・・。」


 本体として目覚めると思った大己貴命の姿は、透けて、水晶に取り込まれて始めている。


「つまり、どういう事?」


 加代子が訊ねると、雅は「彼もまた、誰かに生み出された分身のようなのです」と答えた。


「それって、雅みたいなのが、大己貴命や大物主神以外にもいるってこと?」

「似た顔は最低三人はいると言いますからね。本体が大物主神のように話のわかる方なら良いのですが。本当、思ったようには行かない。」

「それって、私の事、言ってる?」

「おや、まだご自覚ないですか?」


 加代子がぷくっと頬をふくらませると、雅は「河豚みたいですね」と笑った。

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