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龍吟の琴  作者: みなきら
龍吟じて、雲を呼ぶ
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幽世の制

 愛宕神社は丑三つ時を迎える。


 葦原中国のそれは暗く静かな境内も、高天原のそれは明るく眩いものになっていた。


「もう明かりの入っていない鬼灯はないですかね?」

「ああ、無さそうだな。」


 少彦名命と二人、鬼灯の庭を見てまわる。青い鬼灯も、少し色付いた鬼灯も、透かし鬼灯も、それぞれ仄かな明かりが点っていて、とても幻想的な景色だ。


「先程、龍翁が《輪廻の輪を一夜限り止めさせた》と仰っていたが、戻ってきたら、お前、本当、労って差し上げろよ?」


 心底、龍翁に同情的な口ぶりの少彦名命に、雅は「お手伝いくださると仰ったのですから、最低限、これくらいのことはして頂かないと」と流麗な笑みを浮かべる。


「龍翁は輪廻の輪を止めるだけで済むのですから、良しとしていただきましょうよ。」


 輪廻の輪を止めるのには、天照大神や高皇産霊神、そして、思兼神らの承認がいる。それを五時間あまりで調整してきたのだから、龍翁の苦労はいかばかりかと思われたが、雅に言わせれば「それと気がついてなかっただけで、龍翁や大海神にとっても加代子さんは大事な存在ですから」と言う。


「それにしては()()()じゃないか? もう少し気を許しても良いだろうに。」

「これでも好意的には思っていますよ? ただ、あちら側に籍がある以上、信用するのにあたっては石橋を叩き割る勢いで叩いてから渡る必要はありますからね。」


 雅が「立場柄、今まで何度も煮え湯を飲んできていますし」といえば、少彦名命は「どうやら昔より更に底意地が悪くなったみたいだな」とため息を吐いた。


塩土老翁(しおづちのおじ)が名前通りに塩漬けされないか心配だよ。」

他人(ひと)のことを同情している暇はないのでは?」

「ん?」

「もし、輪廻の輪が止まっていなければ、加代子さんを見つけ出した後、幽世の壁をこじ開けてでも出てきますよ?」


 そうなれば被害甚大になるのは必至だから、少彦名命は頬をひきつらせる。


「こじ開けて出て来れるなら出てきてみろよ。俺が幽世から出るのに何年かかったと思ってるんだ?」

「さあ? 罔象女神が首を長くして待ち過ぎて、キリンになりそうだったと言ってましたけど。こちらもやっと見つけたところなんで、もう見失う訳にはいかないんですよね。」


 そんな感じで軽口を叩き合いながらも、雅と少彦名命は「帰ってこい」とか「無事を祈る」とは互いに言い出せずにいた。


 そんなことを言った日には帰ってこられないフラグが立つような心地がして、雅はコンビニでも行くような気軽さで「ちょっとそこまで加代子さんを迎えに行ってきます」とだけ告げる。


 着慣れたシャツに、着慣れた死神としてのローブ。それから紫の柄の大鎌。


 それが神器の一つ、比々羅木之八尋矛だとは一見しては見えないが、雅は火産霊神の待つ鬼灯の庭の祭壇に向かうと心配そうな瞳の火産霊神にニコリとした。


「いつ見ても、この景色は美しいですね。」


 火産霊神の有縁の日ゆえ、こうして多くの鬼灯に明かりが入り留めている。数多ある鬼灯を見渡して、火産霊神も「昔よりは減ったが、おたあさまの宣言通り、それでも千以下にはならぬな」とぼやいた。そして「いよいよじゃな」と寂しそうに呟く。


「お主、あちらに渡ったとして、帰ってくる算段はあるのかえ?」

「ええ、一応はありますよ。ご心配ばかりお掛けして申し訳ありません。」


 伏し目がちに微笑み答える雅の様子に、火産霊神は「どうにもだめなら、伊邪那美命(おたあさま)に頼んで引き戻してもらうからな」と話す。


「たとえ、この世と引き換えだとして、雅信や加代子が居なくなるのは嫌じゃ。必ず帰ってきてたも。」


 オレンジ色の瞳を潤ませて、今にも泣き出しそうな火産霊神の様子に、雅は「私は伊邪那美命の元から黄泉がえりしてきましたでしょう?」と微笑み「約束を違えぬよう、戻りましょう」と答える。


 それから火産霊神に一歩下がるように促すと、いつも取り仕切ってきたのと同じように、静かに祓えの祝詞を上げ始めた。


 我 神去りて なお 幽幻を生きる者

 幽世大神 憐れみ給え 恵み給え

 顕世(うつしよ)を去りぬる後の魂を 永久(とこしえ)に 治め給ひ 恵み給ひ

 幽世の(みのり)の間に 入らしめ給え

 幸魂 奇魂 守り給え 幸い給え


 紫の細い光が祭壇の魔方陣を輝かせ、辺りの鬼灯の光が一斉に浮かび上がる。


 前回までは自分とは別の「幽世大神」がいて、この祝詞を聞き入れて幽世(あちら)側から引っ張られるのだと思っていたが、今回、こうしていつも歌い上げる祝詞を口にしてみて、この哀しくも美しい瞬間は自分が作り上げてるのだと雅は気が付かされた。


 淡い光の灯る鬼灯の庭の中心で、雅は流れるような所作で大鎌を静かに振り下ろす。すると、その動きに合わせて、鬼灯の明かりは弧を描き、ゆっくりと渦巻き、大鎌の生み出した軌跡に吸い込まれるようにして消えていく。


 いつもはその後、雅は幽世の扉を閉じる祝詞を読み上げるのだが、今回は大鎌を振り下ろした時に生まれる《境界》の向こう側に身を置いた。


「それでは行ってまいります。」


 漆黒のローブを纏った雅は闇に溶けるようにして姿を消える。それから、少し遅れて鬼灯の残光も淡雪が溶けるようにして消えた。


「行ってしまったな――。」


 少彦名命がポツリと呟く。暗くなった鬼灯の庭に残されたのは、いくつかの篝火の揺らめきだけだ。火産霊神はしばらく祭壇の前から動かず、雅と加代子の帰還を祈った。


 ◇


 ああ、綺麗だ――。


 ふわふわと自分の周りに浮かぶ鬼灯から離れた明かりに雅は心を奪われていた。


 光の洪水――。


 今は輪廻の輪を止めているからか、小さな光は、まるでスーパーボールのプールを作ったかのようにして辺りに溢れ、幽世に降り立った雅をぽすりと受け止めてくれた。


 懐かしい――。


 光の粒に包まれて、雅は今まで輪廻の輪に送ってきた魂達が行き着くのが、この美しい世界なら良かったと思う。


「主様、お帰りなさいませ。」


 声の主を見れば、八咫烏の紫苑がいる。しかし、よく見れば、紫苑とは別の者だと気がついた。


「主様、如何しましたか?」

「あ、いや・・・・・・?」


 雅が口篭ると「紫蘭」と自分と同じ声がして振り仰ぐ。


「え、主様が二人?」


 驚きの声を上げたのは紫苑そっくりの女の子の方だった。


「貴方がお探しの方はこちらにいますよ。」


 自分そっくりの男が見覚えのある赤いグラデーションの袍を身につけている。それはかつて須勢理毘売が染め上げてくれたものだ。


 そして、自分そっくりの男が指差す先を見れば、光の粒の溢れる庭の先に蓮の葉の浮かぶ池があり、そこには一頭、美しい瑠璃色の揚羽蝶が舞っていた。


「こちらにおいで。」


 男が呼べば、蝶はまるで声が聞こえているかのようにこちらに向かって飛んでくる。


 上へ、上へ、下へ。


 瑠璃色の美しい蝶が、その鱗粉を散らして向かってくる様子に雅が見蕩れるのも無理はない。


 ここは幽世(かくりよ)


 幽幻なる世界だ。


 そして、不思議とそのひらひらと舞っている蝶が、加代子だと分かって手を差し伸べる。


「そう、こちらです。おいでなさい――。」


 自分の声に導かれるようにして、ひらひらと舞っていた蝶は雅の人差し指に止まり、その美しい羽根を一、二度、ゆっくりと動かす。


「加代子さん。」


 揚羽蝶は羽根をゆっくりと動かして、開いて、閉じてを繰り返す。


「元の姿をイメージ出来ますか? 《人》だった頃の加代子さんを。」


 そして、加代子から聞いた家族の話をする。


「口煩いお兄さんが、彬久と知って驚きましたし、貴女の御家族は私にも縁のある方ばかりとお聞きしました。また、お会いしたいものですね。」


 瑠璃色の揚羽蝶は、雅の言葉に従って、ゆるゆると浴衣姿の加代子の姿を生み出す。


 それを支えるように雅が受け止めると、加代子はしばらくぼんやりとした表情だったが、ようやく人であったことを思い出したかのようにゆっくりと唇を動かす。


「み・・・・・・やび・・・・・・?」

「ええ、そうですよ。」


 雅は相好を崩して加代子のおでこにコツンと自分のおでこをぶつけると、「目を離すと、本当、すぐに居なくなるんですから」と笑う。加代子は少しむくれて「私のせいじゃないのに」と零し、それから、辺りを見渡して息を呑んだ。


 光溢れる世界――。


 しかし、そこは火産霊神の鬼灯の庭ではなく、辺りは枯れることのない蓮の花が咲き乱れ、足元の池の中には黒い鱗の大蛇が棲んでいる「あの場所」だと気がつく。


 加代子はこの世界を大物主神が見せた世界として知っていた。


「ねえ、雅。ここって、もしかして――?」


 少し青ざめて、自分の上着を掴んだ加代子の言葉を、雅は引き取るかのように静かに頷いた。


「ええ、その《もしかして》の場所です。」


 そして「加代子さんを追って、この最果てまでやって来てしまったんですよ」と話すから、加代子はおろおろと目を泳がせた。


「ここって、簡単に出られないんじゃないの?」

「ええ、簡単には出られませんね。ですが、ここは輪廻の輪に近づかない限り、いちばん安全な場所でもありますよ。」


 高皇産霊神の追っ手も掛からず、心の太柱の外の世界のことでは影響されない世界。それなら、いっそこのままここに居ればいいのではないか、そんな気さえしてしまう。


 しかし、その考えは雅と一卵性双生児のようによく似た男に声をかけられたことで、一旦止まった。


「お探しの方は見つかりましたか?」

「ええ。」


 雅が返事を返した男と目が合うと、加代子は短く「貴方は」と声を漏らす。


「お久しぶりですね、加代子さん。」


 目を細めた男は、いつか見たものとは違い、本当に嬉しそうに見えたのもあって、加代子は「あ、うん」と頷いた。


「ただ、《いつか再びこの場所で》と仰ってから、こちらにいらっしゃるまでに、少しばかり早過ぎやしないでしょうか?」


 くすくすと笑う大物主神の様子に、加代子は眉根を寄せて、ちらりと雅を見上げる。


「何です?」


 怪訝に思って訊ねれば、加代子は雅と大物主神を見比べて「嫌味が二倍になった」とぼやいた。


 すると二人はくしゃりと笑い、「加代子さんは、やはり加代子さんですね」とハモった。


「貴方もあの時はかなり荒れていらしたのに、今はすっかり和御魂ですね。」

「待って、もしかして大物主神、もう消えちゃうの?」

「残念ながら、そうなのですよ。分霊に過ぎぬ私が、その方が戻ってらした今、本体とひとつに戻るのは時間の問題。」


 そして「再び一つに戻ってしまう前に、十種の御宝の内のひとつ、時じくの香くの実と、八咫烏の紫蘭のお引渡しは済ませねばなりません」と話す。


「時じくの香くの実と、八咫烏の紫蘭?」


 その声に反応したのか、光の庭を抜けて、小さな黒い影が雅と加代子の近くに現れる。やがてそれが小さな少女の姿だと分かり、加代子は足を止めた。


「紫苑?」

「お久しゅうございます、御方様。私は紫蘭にございます。」

「紫蘭?」

「はい。」


 加代子は雅と同じく、紫苑にそっくりの紫蘭の様子に目をぱちぱちとさせる。一方、大物主神は懐から、黒い羽根の首飾りを取り出すと加代子の手にそっと置いた。


「貴女はこれに《我が元へ降れ》と仰せになればいい。それで紫蘭、紫苑の二人は貴女の眷属に戻ります。小笹は良い式ですが、貴女の力が弱まると貴女を守れなくなりますから二人はお返しした方がよろしいでしょう。」


 雅が「八咫烏の首飾りが無いと思ったら、幽世(こちら)にあったのですね」と言えば、大物主神は「もっと早くに加代子さんに引き渡したかったのですが、貴方か加代子さんがいらっしゃるまで移譲出来なくて」と言う。


 しかし、加代子は首飾りを受け取っても、しばらくの間考え込み、雅と大物主神の顔を交互に見た後、意を決したように紫蘭の方に向き直った。


「ねえ、紫蘭。紫蘭はどうしたい?」

「どう、とは?」

「本当は紫苑にも聞くべきなんだろうけど、私の元に戻りたい?」


 加代子の問いに表情を変えずに紫蘭は「御心のままに」と話す。


「そっか、なら、これは雅に渡すね。」


 その言葉に紫蘭は目を丸くし、大物主神と雅が鏡のように左右対称に立って片眉だけくいっと上げた。


「加代子さん、貴女の身を護るためでもありますよ?」

「いーの。」


 雅が咎めれば、加代子は「もう、決めたの」と言い「私の事は雅が護ってくれるんでしょう?」と微笑む。


「二人が雅を護ってくれて、雅が私を護ってくれる。そっちの方がいいよ。」


 そして「名前や眷属が多いほど、神威が増すんでしょ?」と言って、受け取る気配がなさそうだから、雅は若干考えるようにして「分かりました」と受取った。


「紫蘭もそれで良い?」

「はい。承知しました。」

「紫蘭、では、我が元へ降るように。」

「はい。」


 すると、ふわりと小さな薄紫色の仄かな光が紫蘭を包んだ。


「次は時じくの香くの木の実ですね。そこまでご案内頂けますか?」


 すると、大物主神は光の洪水の先にうっすらと見える大岩でできた祠を指差す。


 その指先は先程までと違い、僅かに透けているように見えた。

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