神皇産霊神
国常立尊は龍の君の元を神皇産霊神と共に訪れていた。
「高皇産霊神から変じた禍津日神は、天常立尊の星と共に消し飛んだと思われたが、本体は別のところに逃がしていたようだ。また、助け出した天常立尊の魂も肝心の核の分が抜き取られていた。」
事前に話を聞いていたとはいえ、神皇産霊神から改めて高皇産霊神の話を聞くと、国常立尊は厳しい表情になる。
神皇産霊神が「辛うじて龍の珠姫の神威の一部は取り返したが、焼け石に水だ」と話すと、横で話を聞いていた龍の君は低く唸った。
「その口振りだとあまり長くはないのだな?」
神皇産霊神はその言葉に言い淀み、それから静かに頷く。そして、ちらりと国常立尊を見ると、「国常立尊が姫の延命のための機械を考えたようだが、それでもいつまで持つか分からぬ」と話した。
「延命のための機械――?」
国常立尊は持ってきていた筒紙の封をするりと解き、モトアケの図を机の上に広げる。そして、龍の君に「これがその機械の仕組みを図にしたものです」と話した。
「この機械を作り、龍の珠姫に埋め込めば、彼の姫の神威は増幅、循環できるようにはなります。普通、神威は内から発し、外へと逃げてしまいますが、二つの八芒星でそれを防ぎ閉じ込める事で、今、僅かに残されている神威でも姫君の魂を幾ばくか維持できましょう。」
龍の君と龍の珠姫は一対で別天津神として認識されるほど神威同士の相性がいい。とはいえ、大きな力が掛かると龍の珠姫の神威が傷付いたり、すり減ったりする事はある。
それゆえ、今まで大蛇の肩巾で急激に負荷が掛かるのを調整していたわけだが、今のパーツの揃わない彼女ではその調整が間に合わず、余計に神威を消費してしまう。
国常立尊はそれゆえ三日三晩徹夜してその解決策を探したわけだが、その調整には兄の天常立尊の力が必要不可欠だった。
和解は出来ぬだろう。最悪、兄から神威を奪わねばならぬかもしれない。
そう覚悟して赴いた兄の星で、思いがけず兄の最期を知り、僅かに遺された神威を引き継いだ国常立尊は《弾性力》を操れるようになった。
「今はまだ昏睡状態ですが、ぜんまいで調速させる事で、姫君にもう一度この星の夕焼けと夜空を心安らかな状態でご覧いただく余地は生まれましょう。」
国常立尊はそう話しながら、龍の君の顔色を窺う。
この機械には、どうしても龍の君の助力がいるが、龍の君の心情を考えれば、あまり強くも言えない。案の定、龍の君は静かに目を伏せると「我は機械は好かぬ」と呟いた。
「だが、高皇産霊神がこのまま引き下がるとは思えぬ。それに姫の夢も叶えてやりたい。神皇産霊神はいかが思う?」
「天常立尊の事を考えれば、高皇産霊神は珠姫が消える前にもう一度神威を奪いに来るだろうよ。」
神皇産霊神が天常立尊の星を犠牲にしても斃しきれなかった相手だ。龍の珠姫を庇いながら戦っても、庇いきれる保証は出来ない。
「国常立尊の言う通りにして、苦しむような事はないか?」
「ああ、お主も国常立尊も龍の珠姫の神威と相性が良い。苦しむような事にはならないだろう。」
龍の君はそれを聞くと覚悟を決めたのか、国常立尊に「頼む」と一言告げた。
◇
「しかし、高皇産霊神は我らの予測より早く襲ってきた。しかも、天之御中主神の禁軍を伴って。」
「禁軍・・・・・・。」
「ああ、本来、主上である天之御中主神の命にしか従わぬはずの禁軍を、高皇産霊神は先に抑えていたのだ。」
それゆえ天之御中主神は龍の君を自分の近くに呼び戻すことも能わず、また龍の君も禁軍に仇なすことも出来ず、両者は、かなりの長い期間、睨み合い状態になった。
「この星に立ち寄っていた私も、この星から出る機会を失ってね。出るに出られず、難儀したものだよ。」
「それで、どうなったのですか?」
八嶋士奴美神の問いに、神皇産霊神はようやくクスッと笑い「勝っていたら、こんな状況に甘んじておらぬよ」と話す。
「それでも、高皇産霊神が今まで私を別天津神として囲ったのは、高皇産霊神の作り上げた三千世界の維持のために私の神威を使い続けたいからさ。」
「神皇産霊神の神威を?」
「ああ、高皇産霊神が私から奪った神威で作らせたのは、龍の君の神威で造られた香箱に力を溜めるための竜頭。」
「竜頭・・・・・・?」
国常立尊の考えた仕組みは、物理法則を読み解いた近代になって考えられた《機械仕掛けの時計》の仕組みそのものであった。
龍の君は香箱として動力源となり、国常立尊は調速機、脱進機として働いてその力を殺し、龍の珠姫は二番車から四番車を回す歯車として一定の速度で時を紡いでいく。
そして、国常立尊が設計した段階では、龍の珠姫は、龍の君が分けた神威が尽きたら静かに眠れるはずだった。
しかし、彼女はそうなる前に高皇産霊神の手に落ち、暴かれ、そして、輪廻の輪を生み出すための贄として榊を衝かれたのだという。
八嶋士奴美神がギリリと奥歯を噛み締め、力一杯拳を握っているのを見ると、「お前は素戔嗚尊と同じで本当に優しい子だね」と目を細める。
「素戔嗚尊も同じような顔をしていたよ。」
「父にも同じ話をなさったのですか?」
「ああ、高皇産霊神に波多の地に篭められていた時にね。」
蒼の海原の国の辺境の地、波多には人を寄せ付けぬ深い霧が立ち込める地だ。神皇産霊神がそこから出られるのは、高皇産霊神の監視がある中、神議りの時と輪廻の輪を回す時だけだったという。
「和邇の一族はその事に心を痛めてくれていてね。素戔嗚尊が蒼の海原の国の長として赴任すると、私に自由を与えて欲しいと訴え出てくれた。」
初めは領内の祭りの時ぐらいだったが、何度か交流するうちに領内は自由に出歩いて良くなっていった。
「やがて気心もしれた頃、素戔嗚尊は伊邪那岐命の元へと向かった。私の解放を許してもらおうと思ったのだろうね。」
素戔嗚尊が赴任して幾度目かの春がすぎた頃、素戔嗚尊は父神である伊邪那岐命の住まう幽宮に行き、そして、その中がもぬけの殻だと知ってしまった。
和邇の一族に伝わる神皇産霊神に纏わる言い伝え。実際に高皇産霊神に幽閉されている神皇産霊神。そして、父のいない幽宮。
幽宮から急ぎ戻って来た素戔嗚尊は、神皇産霊神に「何があったのか、詳細に教えろ」と迫ってきたと言う。
「そして、今の話をしたら、お主と同じように口をへの字にして髪を逆立て、天津神の証となる勾玉を打ち捨てた。」
それから、十拳剣を片手に伊邪那美命に高皇産霊神の捕縛を願うため、高天原に向かう。
「だが、そんな素戔嗚尊の動きに高皇産霊神が気がつかないわけがなくてな――。」
高皇産霊神は天照大神に「素戔嗚尊が攻めてくる。高天原の危機だ」と煽り立てると、高天原軍に素戔嗚尊を包囲させた。
「素戔嗚尊に《天照大神には伊邪那美命のところに行くための暇乞いに来たのだと話せ》と入れ知恵しておいたためか、素戔嗚尊は辛くもその場で消されずには済んだ。」
しかし、代償も多く、蒼の海の国の長の座は剥奪、身を守る為の五人の武神は取り上げられ、代わりにお目付け役として三人の宗像の姫神を傍に置くように言われた。
「高天原にて三年の幽閉生活。しかも、その間も高皇産霊神の放つ《雉子》に狙われる始末。」
雉子と呼ばれる暗殺者はしつこく、朝に夕にと素戔嗚尊は高天原中を逃げ回る嵌めになったという。
「その間の出来事が、父の《悪行三昧》の日々ですか?」
「ああ、素戔嗚尊にしてみれば、命を狙われて逃げ回っていたのだから、多少の破壊は仕方あるまいと言いたいところだろうが。」
だが、そうやって逃げ回る日々も、天照大神が目を掛けていた、機織りの娘が犠牲になると解消された。
機織り娘には可哀想な話だが、ショックを受けた天照大神が天の岩戸に篭ってしまい、そのおかげで高皇産霊神の気が逸れたのだ。
「素戔嗚尊はその隙をついて雉子から逃れて葦原中国に逃げ延びたのさ。」
八嶋士奴美神も雉子の件は大己貴命の時の一件で知っていたが、よもや自分の父が大己貴命の件よりも前に雉子に追われていたとは知らなかったから素直に驚きの声を上げた。
そして、その一方、高天原の弓矢を見た時、父が苦々しげな顔になったのはこうした理由だったのかと合点する。
「しかし、逃げ延びた先の葦原中国は、折り悪く天災が相次いでいてな。降り立った先で平穏に暮らせるような状態にはなかったのさ。」
神皇産霊神はそう言うと、葦原中国に降り立った素戔嗚尊の話を始めた。
◇
天照大神が岩戸に籠ったためか、空は昼間だというのに闇夜のように暗く、素戔嗚尊は手元の明かりだけを頼りにして葦原中国に続く坂を下っていく。
そして、ようやく神門から出てみて、同じように真っ暗な葦原中国に降り立つと、ゴオッという音と共に神門川から溢れてくる真っ黒い濁流に呑まれ始めている平野部の様子に息を呑んだ。
(川の氾濫か・・・・・・ッ?!)
しかし、その割に足元は大雨が降ったような泥濘はなく、乾燥している。
(単なる氾濫ではないな・・・・・・。)
と、地面が微かに揺れたかと思うと、ズズンという地響きとともに、足元から突き上げてくるような揺れが起こる。
そして、空を見上げて、一瞬、微かに透けて見えた日の様子に、今が夜ではなく昼で、自分の背後にある山が噴火しているのだとその時初めて悟った。
ドーンと花火の何十倍も迫力ある音をさせて、次々と降り掛かってくる噴石や倒れ込んでくる木々から何とか身を護りながら、安全地帯を探して彷徨う。
そんな中、誰かの「置いてなど行けませぬ」と泣きじゃくっている声が聞こえてきて、素戔嗚尊はその声に誘われるようにして歩みを進めた。
僅かな光で見えてきたのは瓦礫の山と、必死でそれをどかそうとしている壮年の男女で、その間には自分と同じ年頃の娘が、足を瓦礫に挟まれて動けないでいる姿だ。
「如何した――?」
近寄ってみて見れば、娘の足が大きな木材の下敷きになっていて、必死に男が片手で土と灰を掻いているところだった。
「足を挟めたのか?」
「はい、突然この建屋が崩れてきて、娘が妻を庇った際に挟めたのです。」
妻の方は涙しながら同じように土を掻いているが、ひたひたと水が迫ってきていて、掻いても掻いても埋まっていく。娘は覚悟したかのように素戔嗚尊を上目遣いに見ると「どなたか存じませぬが、このまま私を捨て置き、二人を高台まで逃がしてくださいませ」と訴える。
異なる世の者に干渉してはならない――。
それは古からの取り決めだと言われている。
だが、泥に塗れ、死を覚悟している彼女を前にすると、その姿がやけに美しく見えて、素戔嗚尊はぐっと拳を握った。
「場所を変われ――。」
「ですが、おひとりでどうこう出来る代物でもありますまい・・・・・・。」
「良いから、早くせよッ!」
そう言うと二人を押しのけ、娘の足を押し潰している材木に触れると神威を使って退かす。
淡い光に包まれて材木が浮く様に目を丸くしている娘を抱え上げ、同じく惚けている老夫婦に「もう水が足元まで来ている、急げ」と近くの高台を指差した。
高台近くに着いた時には、水は太もも近くまで上がってきていて、四人ともびしょ濡れになりながら、急斜面を登っていく。
「先に二人を案内する。ここまで登っていればそうそう水は来ないと思うが、念の為、ここにいてくれ。すぐに戻る。」
そう言うと、素戔嗚尊は娘を目線より少し上の木の枝に座らせ、水を吸った衣に難儀している母親の方を背負い、父親の方を手助けしながら少し開けた所まで連れ立っていく。
それから蜻蛉返りで娘の元へ戻ると、木々は半分ほど水に使っていて、娘は不安そうに幹にしがみついていた。
「この辺りまで水が来たか。さあ、手を伸ばせ。」
そう言われて、おそるおそる娘は手を伸ばし、素戔嗚尊に抱えて貰う。その身体が火のように熱かったから、素戔嗚尊は水のない所まで彼女を運ぶと、額に手を宛てがって眉間に皺を寄せた。
「熱が出てきているな・・・・・・。」
「このくらいの熱、何でもないです。」
娘はそう言って微笑み「父母をお助け下さりありがとうございます」と話す。素戔嗚尊はその様子に自分を捨て置けと言い切った彼女に心打たれた時と同じように、落ち着かない心地になった。
「礼には及ばぬ。しっかり掴まっておれ。」
手元に持っていた灯りは、今は娘の父親に持ってもらっている。素戔嗚尊はその灯りを頼りに娘を抱えたまま斜面を登っていく。そして、娘の父母の元まで着くと、父母は地にひれ伏していて「畏み畏み申し上げます」と声を震わせていた。
「おもう様で、如何なさいましたか?」
素戔嗚尊に抱えられたまま、手を伸ばす娘の様子に、父親の傍に娘を下ろしてやる。
「先程の御力、何処の神とは存じませぬが、お助け下さり、誠にありがとうございました。」
「神・・・・・・?」
驚いた様子でこちらを見つめてくる娘は、素戔嗚尊と目が合うと、ハッとした表情になり、父母と同じように伏せようとする。
「ならぬ――ッ。」
その声に三人はビクリとして動きを止めるから、素戔嗚尊は男とその妻の横を通り抜けて、娘の傍に片膝をついた。
「足を怪我をしているのにそのような事。治りが悪くなるぞ?」
そして、「待っておれ」と言うと手頃なサイズの枝を腰に佩いていた剣で切り落とし、添え木とすると、なんの躊躇もなく自分の衣の片袖を割き包帯状にした。
「こんなに腫れて、折れているやもしれぬ。こんな応急処置ではなく、早くきちんとした手当てを受けなければならんな。」
素戔嗚尊は「そこの・・・・・・」と言いかけて、互いの呼び名も分からない状態のまま、ここまでやってきたことに気が付く。そして、「呼び名も分からないとは面倒だ」と言うと、娘の父親に向かって「そなたら、名は何という?」と訊ねた。
「私はこの辺りの国津神、大山祇神の子、脚摩乳と申します。そして、こちらが妻の手摩乳。そちらは娘の奇稲田にございます。」
高天原を出た素戔嗚尊が葦原中国に降りて、奇稲田姫に会う。細かくは色々と違うところはあるものの、ここまでは記紀と大きなあらすじは一緒だ。
ただ、神皇産霊神の語った奇稲田姫の出自は、八嶋士奴美神にとって意外なものだった。




