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龍吟の琴  作者: みなきら
龍吟じて、雲を呼ぶ
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青天の霹靂

 雅に言われて、甘露というお酒を楽しみにしていただけなのに、どうしてこんな事態になっているのだろう――。


 加代子は隣にいる火産霊神と、柊吾の隣にいる火産霊神を見比べた。


 いずれの火産霊神も白の単衣(ひとえ)の上に、浅葱色の布地に銀糸で文様が縫い込まれた袖なしの薄手の上衣を身につけ、紫色に白地の文様の入った袴を履き、藍色の兵児帯を結んでいる。


 まるで映し鏡を見ているかのように、二人ともオレンジ色の髪をみずらに結い、挿頭に鬼灯の実を下げている。


「火産霊神が、二人・・・・・・? 何がどうなっているんだ・・・・・・?」


 柊吾が困惑の色を露わにすると、加代子の横の火産霊神は、加代子の浴衣の袂を掴み、目を細め、流麗な笑みを浮かべた。


 途端に柊吾はどっと冷や汗を掻く。そして、この感覚を柊吾は東京大神宮の時に味わっていた。そして、天の岩戸の折、火産霊神が天照大神の格好をした話を思い出して目の前の存在が《何か》を合点する。


「加代子、そいつから離れろ――ッ!」


 すると、加代子の傍に立つ火産霊神は笑みを崩し、喚く柊吾が煩わしいとでも言うように眉根を寄せて、徐ろに片手を差し出した。


 途端、ふわりとみずらに結ったオレンジ色の髪が後ろに靡き、その手のひらの前にはサッカーボール大の火の玉が生まれる。


 そして、呆気に取られている加代子の横で、そのまま流れるように火の玉を押し出す仕草をすると、生み出された火の玉は突如として意思を持ったかのように、うねりをもって勢いよく柊吾に向かって飛んでいった。


「熾兄ッ?!」


 加代子が叫ぶのと同時に繭糸で保護しようと腕を伸ばす。しかし、火産霊神の姿を借りた何かに「()()()」と呼び止められると、雅に時を止められた時とは逆で自分だけが縫い止められたように動けなくなった。


 習ったばかりの繭糸の呪は間に合わない。


 柊吾を火の玉が勢いよく飲み込んでいく。


 加代子は目の前の出来事に頭の中が真っ白になり、やがて柊吾のいた辺りで黒い人型の消し炭がぼろぼろと崩れていくのを目にすると顔面蒼白になった。


「何とまあ、他愛ない。」


 火産霊神によく似た何かは加代子の袖を引き、「おや、まことの名で縛られていても意識はあるのね」と憐れみを込めた声色で話しかけてくる。


「いっそ意識などない方が、神籬とされる時には苦しまずにすむでしょうに。」


 そして、加代子の胸元に手を伸ばし「せめてもの慈悲です。苦しまぬようにしてあげましょうね」とにこりとして言われると、加代子は紅玉を前にした時のような恐怖を覚えた。


 指先ひとつ動かすことも、瞬きひとつすることも出来ない。


(嫌・・・・・・。)


 だんだんと遠のきかける意識を手放すまいと必死に抵抗する。


 と、突如として加代子の足元から青い焔を伴った風が螺旋状に巻き起こって、加代子に伸ばされていた手を弾いた。


「妹に手を出すな。」


 声のする方に視線を移せば、宙に浮いた少彦名命ともう一人の火産霊神がいて、いつになく厳しい表情をした柊吾の傍らにいる。


「お前、先程の一撃に斃れたのではないの?」


 驚きの声を偽物の火産霊神が上げる。もう一人の火産霊神は、再びふわりと地面に降り立つと、「我が神使に手を出すとは何事ぞ」と声を荒らげた。


「人の身で神使になど、火ノ御子の兄様こそ何をお考えかと思いましたが、()()でも神使の端くれ、少しは呪が使えるのですね。しかし、先程のは兄様のとは御力とは違った様子。」

「ああ、あれは俺の力だ。咄嗟に槐の花の塊と熾久の位置を入れ替えたのさ。」


 柊吾の代わりに、脇に浮かぶ少彦名命が答える。そして「そちらに坐わすのは、天照大神とお見受けするが、我らと事を構えるおつもりか?」と、いつになく緊張感のある声色で訊ねた。


「私の邪魔だてをなさるのであれば、それも致し方のないこと。お二人共、お相手致しましょうか?」

「そうか・・・・・・。だが、まもなく大己貴命がやってくると言っても、事を構えるおつもりか?」


 その言葉に天照大神は片眉を上げる。


「この神使は、火産霊神の神使や俺の神使でもあるが、もともとは大己貴命の神使だ。在りし日に、大己貴命の傍に控えていた実直な男がこいつだ。日ノ巫女(ひのみこ)よ、我らに加えて大己貴命が相手とあっては、さすがに分が悪かろう?」


 すると、天照大神はふっと笑みを漏らし、加代子の頬にそっと触れる。加代子は目を泳がせた。


「既に須勢理毘売命は私の支配下にあるというのに。まだ来ぬ大己貴命を理由に私を脅すというの?」

 

 それはほんの一瞬の出来事――。


 天照大神は加代子の胸元をとんと叩く。


 途端、糸が解けるようにして加代子の姿は瑠璃色の珠に変わり、天照大神が手にした透かし鬼灯の中に収まる。


「加代子ッ?!」


 柊吾が思わず叫んだが、天照大神は加代子の収まった透かし鬼灯の実を持ったまま、地を蹴ってふわりと宙に浮いた。


「呼びかけても無駄よ。もはや須勢理毘売命には聞こえない。高皇産霊神はこの魂さえ手に入ればと言っていたけれど、何をこんなに手間取っていたのかしら。ねえ、火ノ御子の兄様?」


 その言葉に火産霊神は口を引き結び、いつもは明るいオレンジ色の眼が飴色に翳る。


「ここを何処と心得る――。」


 火産霊神の周りは熱されてゆらゆらと陽炎が立ち上りはじめ、風もないのにオレンジ色の髪は焔のように靡き始める。


 天照大神は珍しいものでも見たと言わんばかりに微笑んだ。


「火ノ御子の兄様もお怒りになることがあるのね。ねえ、兄様。兄様はなぜ須勢理毘売命を庇い立てなさるのです? 私は少ない犠牲で多くのものを助けたいだけですのに。」


 そして、畳み掛けるようにして「私の力が先の日蝕より大きく削られているのは、この姿を見ればお分かりになるでしょう?」と袖を振ってみせる。


「我らはまもなく大峠を迎えましょう。けれど、今ならこの魂ひとつで、それを避けられるかもしれないのですよ?」


 天照大神がまるで幼子を諭すかのように「できる限り少ない犠牲で済ませるのは上に立つものの勤めにございましょう?」と話せば、火産霊神はにこやかに話す天照大神を睨みあげた。


「お主、本気でそのような事を言っているのか――?」


 火産霊神の周りに魔法陣が浮かび上がる。その様子に慌てて少彦名命は二人の間に入る。


「火産霊神、落ち着けッ! こんなところで力を暴発させたら、都内一帯、火の海になるッ!」


 その様子に天照大神は「あら、仲間割れですか?」と、さらに一段高く宙に浮く。


「加代子を返せッ!」


 柊吾が叫んでも、天照大神はどこ吹く風といった様子で「それでは、ご機嫌よう」と余裕の笑みを浮かべる。しかし、その言葉の最後の方はひょうっと吹いてきた風に掻き消された。


 薄紫の細やかな稲妻を伴った風が渦を巻き、不意をつかれた天照大神の元へと真っ直ぐに吹き抜ける。


 咄嗟に腕をクロスさせ、風を防いだ天照大神の手から、加代子の魂の入った透かし鬼灯の実が庭へと零れ落ちていく。


「あ・・・・・・。」


 しかし、それを捕らえようと手を伸ばした天照大神は、すぐ目の前に迫った大鎌の刃に身を固くした。


「熾久の呼び出しに急ぎ来てみれば、これは一体どういう事態です――?」


 天照大神の首元に大鎌の刃を突きつけたまま、雅は背後にいる少彦名命に訊ねる。


「お前、分かっててやってるんじゃないのか?」

「分かるわけがないでしょう? ただ、どうやらこちら側が敵のようだと踏んで動いただけです。」


 少彦名命はそれと気が付かずに高天原の一の姫に刃を突きつけている雅の様子に思わず苦笑いを浮かべたが、「そちらにいらっしゃるのは天照大神だ」と答える。その答えには雅も驚きの色を隠せなかった。


「天照大神? なぜ天照大神が火産霊神の姿でこちらにいらっしゃるのです?」


 天照大神はその僅かな戸惑いの隙を突いて、分が悪くなったのを悟ったのか、雅の問いには答えぬまま淡い光を伴って姿をくらます。


「あ、ちょっとッ?!」


 わけが分からぬままの雅の手をすり抜けて、天照大神の気配が完全に消え去ると、少彦名命は「お前の登場で日ノ巫女が諦めてくれて良かった」と話した。


「さて、そんなわけで功労者のお前に、良い報せと、悪い報せがあるぞ。」

「良い報せと、悪い報せ?」

「ああ、良い報せは須勢理の魂が天照大神に盗られず済んだこと。悪い報せはその魂の入った鬼灯が庭の鬼灯に紛れたことさ。」


 雅は眼下に広がる鬼灯の庭を見下ろす。あたりは夕暮れ時。鬼灯の実には八割近く、光が入ってきており、加代子の入った鬼灯をその中から目視では探せない。


 雅は大きくため息をつくと、「それは、また随分と難儀な話ですね」と項垂れた。


「ああ、しかも、鬼灯に閉じ込められる前、須勢理は恐らく名縛りを受けている。」

「なるほど、加代子さんは自力では鬼灯からは出られないと来ましたか・・・・・・。」


 そう言って考え込む雅の様子に、柊吾は申し訳なさそうに謝罪する。


「傍についていながら、申し訳ございません・・・・・・。」

「いや、相手が相手です。少彦名命のはったりが効いてなければ、正直、この人数でも太刀打ちできたかどうか分からない御仁でしたから。」

「我もすまない・・・・・・。結局、日孁(ひるめ)を逃してしまった。」

「火産霊神もそんなに気に病まないでください。」

「しかし、今日中に加代子を探し出して、その上、魂送りなど出来るのだろうか?」


 火産霊神が心配そうに訊ねると、少彦名命が「まあ、大己貴命(そいつ)なら何とかするだろうよ」と軽口を叩く。それを聞くと雅も「何とかせざるを得ないでしょうね」と苦笑した。


「少し目を離しただけだというのに、本当に加代子さんには困ったものですね・・・・・・。」


 ぼやく雅の横で、柊吾は「魂送りするのは明日ではいけないのですか?」と訊ねる。


「ええ、愛宕神社の縁日は毎月二十四日ですからね。」

「縁日・・・・・・?」


 縁日は「有縁の日」だと雅は説明する。


「有縁の日は一番、その神の力が葦原中国に影響を及ぼせる日なんです。明日では、火産霊神の力だけで、この数の魂を送る事はできないでしょう。」


 かといって、ひと月もの間、魂を鬼灯の中に閉じ込めて置くわけにもいかない。


「加代子さんの閉じ込められた鬼灯を見つけねばなりませんが、一つ一つチェックするのは時間的に厳しそうですし・・・・・・。」


 葦原中国の時間で今は丁度、二十三日から二十四日に切り替わった時分だ。火産霊神の力を考えると、葦原中国の時間で半日程度。この神域の中の感覚だと三時間程度で片を付けないといけない。


「とはいえ、人海戦術で探すにも、長く神域に留まっていると人の身である熾久さんには負担になるでしょうし。」

「そうだな・・・・・・。一旦、熾久は葦原中国に戻した方がいいだろう。」


 少彦名命が言い挿すと、火産霊神も「何より神威を使い過ぎだしの」と賛同する。


「しかし・・・・・・。」

「ここで倒れられたら、下手すると熾久まで鬼灯に閉じ込められて、幽世に送られかねない。」


 少彦名命は「休むのが寛容だ」と諭したが、話を聞いていた雅はぽんと手をひとつ打った。


「その手がありましたね。」


 にっこりと微笑む雅の様子に少彦名命が嫌な顔をする。


「おい、今、何を思い付いた・・・・・・?」

「加代子さんを助けに行く方法ですよ。外から助けられないなら、中から助けようかと思いまして。」

「いや、待て、待て・・・・・・。お前、まさか他の魂の諸共、お前も須勢理も幽世に送ってから対応しようとか、無茶苦茶な事を思ってないだろうな?」


 少彦名命が焦った声を上げると、雅は「幽世はどうせ行かねばならぬところですし、一石二鳥でしょう?」と微笑んだまま返す。


「幸い、加代子さんが魂結びして下さったおかげで、和御魂の状況ですし、向こうに行って大物主神に力を借りるのが、手っ取り早いかと思いまして。」

「だが、下手するとその肝心の魂が輪廻の輪に乗るぞ?」

「ええ、ですから、事前にリークするんです。そうすれば高皇産霊神か天照大神あたりが全力で輪廻の輪を止めてくれますよ。」


 須勢理毘売命の魂がなければ世界が滅びる。それなのに、輪廻の輪に載せるようなことは高皇産霊神も天照大神もする事はないだろう。


 雅は懐から龍の鱗を取り出すと「こんなに早く使うとは思いませんでしたが」と苦笑いをしながら「龍翁」と呼び掛けた。


「なんじゃ、それは?」


 火産霊神が傍らに来て覗き込む。雅は「秘密の連絡手段です」と言うと龍の鱗を見せた。


《あー、あー。聞こえるか?》

「ええ、よく聞こえますよ。」

《その声は雅信だな。火産霊神のところはいかがだった?》


 その言葉に龍の鱗はホログラムを生み出し、龍翁の姿が映し出される。


「それがかなり困った事態に陥ってまして。」

《困った事態?》


 そして、簡単に事のあらましを説明する。


《なんだ? もう我らの力が必要か?》

「ええ。天照大神に働き掛けて、輪廻の輪を一時的に止めて頂けないでしょうか?」

《また、えらく面倒な依頼だな。何か無茶をするつもりか?》

「何、火産霊神の神域に、火産霊神の格好でやってきた天照大神よりは無茶はしないですよ?」


 その言葉に龍翁は「それは確かに、だいぶ無茶だ」とカカッと笑う。


「では、お願いできますでしょうか?」

《良いだろう。他ならぬ()()()()のためだ。》


 雅は龍翁に「よろしくお願いします」と言うと、鱗の影をふっと息を吹きかけて消した。

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