夏越の祓え
六月も後半になり、だんだんと蒸し暑さが始まる頃。加代子は愛宕神社のほおずき市に柊吾と来ていた。
「青い鬼灯なんだね。可愛い。」
「さっきから可愛い、可愛いって言ってるんだが、他に表現方法はないのか?」
柊吾が嫌味のように言えば、加代子は口を尖らせて、「こんな日になんで柊吾兄と来てるんだろう」とぼやく。柊吾はむっすりとしながら「こんな日になんで加代子のお守りをしなきゃならないんだか」と悪態を吐くから、加代子はプイッと顔を背けた。
水無月の夏越の祓えをする人は、千歳の命、延ぶというなり。
そう三回唱えて茅の輪を八の字にくぐれば、厄が払われるらしいが、二人の場合は鳥居を潜った途端、違う異空間に引き込まれ、祭りの喧騒から切り離された。
「加代子、久しぶりじゃのッ!」
人懐っこい笑みを見せる火産霊神は、いつものみずら結い姿ながら、水干には金糸が使われており、髪にはオレンジ色の髪に映えるようにして青い鬼灯の挿頭をつけていた。
ブンブンと腕を振る火産霊神の姿に、柊吾の口から「可愛い」と思わず漏れると、加代子は「他に表現方法はないの?」と尋ねられる。
「なんだよ、じゃあ、お前ならなんて言うんだ?」
「そんなの決まってんじゃん。」
そう言って火産霊神に向かって「尊いッ!!」と言って抱きつく。
「何、この可愛さ、何、この愛らしさッ!! 柊吾兄はそれを《可愛い》で片付けるというのッ?!」
「あ、いや・・・・・・、うん。加代子、ひとまず、落ち着け。火産霊神も面食らってる。」
その言葉に加代子は腕を解き、キョトンとしていた火産霊神の顔を見る。
「面、食らってた?」
「いや、加代子はいつもこんな感じじゃのう?」
そして、火産霊神はにこりとすると「褒めてくれて嬉しいぞ」と言って、無邪気に柊吾に手を振った。
「炬と煌に用意してもらったんじゃ。似合うかの?」
見た目年齢こそ十歳そこらだが、その実、須勢理毘売命の父である素戔嗚尊の兄のはずなのだが、加代子といると姉と弟といった雰囲気でどうも調子が狂う。
「うわ、炬ちゃんも、煌ちゃんもおめかししたのね。」
加代子は社のうちで控えていた二人を見つけると「鬼灯柄の着物なのね」と躊躇いなく神域の奥へと進む。一方、柊吾はいつになく辺りが清浄な気に包まれているからか、落ち着かない心地がしていた。
「熾久、どうかしたかえ?」
「いや、いつになく綺麗だなと思いまして。」
「それはそうじゃろ。今宵は夏越の祓えぞ?」
夏越の祓えは彷徨う魂の欠片を集め、魂送りする日なのだという。
「あれ、雅は明日来るって言ってたけど、もしかして間に合わない?」
炬と煌と話していたとばかり思っていたのに、加代子が振り返って訊ねてくる。すると、火産霊神は「葦原中国では明日の昼頃、こちらは夜を迎えるゆえ、間に合うはずじゃ」とにこりとして答えた。
「一昨年は代打、去年は見送りだった分、今年は雅信にきっちり魂送りしてもらわねば。」
火産霊神はそう言うと「主役が来ねば祭りは出来ぬ」と笑う。
「鬼灯の古名は《酸漿》。かつて同じ名で呼ばれていたのが《蛇》なのは知っておるか?」
加代子が首を横に振ると、火産霊神はにんまりとして庭に落ちていた枝を取ると「彼が霊」と地面に書き記す。
「彼が霊――?」
「そうじゃ。名前を言うのも畏多き、古の神が宿る器。」
それが動物では蛇であり、植物では鬼灯だと火産霊神は話す。
「蛇という事は、八岐大蛇ですか?」
柊吾が言い挿すと、火産霊神は「そうじゃ」と話す。
「鬼灯はかつて速佐須良比売が八岐大蛇を眠らせるのに使ったもの。渦は魂が入ると錘と成す。今宵の鬼灯はそれと同じように彷徨うている魂を落ち着かせるのに入れる容れ物なのじゃ。今はまだ半分も入っていないが、見てみるかえ?」
そう言うと火産霊神は庭に敷かれた飛び石を、トントンとスキップするかのように歩んでいく。加代子はそれに続いてカラコロと下駄を鳴らして続いた。
「こんな風になっていたんだね。」
現世の愛宕神社の境内に似ている部分もあるものの、弁天池はもう少し奥行きがあり、更に奥に広がる庭には鬼灯が飾られた棚が続いていた。
青い鬼灯ものも、赤く熟しているものも約半数に小さな火が点り始めている。
「魂送りする頃には、もっと増える。」
そう言いながら、火産霊神が透かし鬼灯を振ると光が集まってきて、淡く光るそれを加代子の髪に挿してくれる。
「雅信からは遅れていくとしか聞いていないのだが、何か急用かえ?」
「ええ、何でも兄様に呼び出されたらしくて。」
そのの言葉に柊吾が「兄様?」と怪訝そうな顔になると、加代子は「柊吾兄とは違いますう」と言いながら「八嶋士奴美神のところに言ってるのよ」と話した。
◇
「良くお似合いですね――。」
ほおずき市に出かける少し前、朝顔の柄の浴衣を身に付けた加代子は、ダイニングで分厚い本を何冊も積んで読み漁っている雅に声をかけられた。
先日、少彦名命と龍穴に行ってから、雅は連日図書館通いで、そこでも大量の本を読み漁ってきているというのに、帰ってきてからも沢山の本に囲まれる生活をしている。
「そっちは見つかった?」
「いいえ、古文書も読み漁っていますが、まだこれといった成果はないですね。」
雅は眼鏡を外すと、眉間を摘むようにして答える。加代子が肩揉みを提案すると、雅は嬉しそうに「お願いします」と笑った。
「何をそんなに調べているの?」
好奇心のままに雅に尋ねれば「籠目の紋を邪魔せず、桔梗の紋を結ぶ方法について、何か参考になる文献がないか調べていました」という。
「こうした事は葦原中国で伝承として残ったり、神社の起源で残っていたりするケースもあるので、そちらも調べてはいるんですが、いかんせん八万社以上ありますからね。まだ幾ばくも調べられていません・・・・・・。本当、八百万の神とはよく言ったものです。」
変体仮名を読みなれている雅でも、古文書によっては読みにくいものもあるらしく、解読には時間を要しているらしい。
「後世の方が出鱈目に書いたものもあれば、失われた話を踏まえたものもあって、それらを整理しながらまとめるだけで三年を使ってしまいそうですよ。」
「そっか・・・・・・。じゃあ、まだまだ掛かりそうだね・・・・・・。」
そう言うと、加代子は一旦、肩を揉む手を止めて、後ろから腕を絡ませて雅の背に抱きつく。
「どうかしましたか?」
心配そうに雅が訊ねると、加代子は「今の内にちょっと充電させて」と囁いた。
「今日もこれから別の所にお出かけだって言っていたでしょう?」
加代子の話に「ええ」と雅が残念そうに口にする。
「加代子さんをほおずき市にお連れしたかったんですが、八嶋士奴美神から呼び出されていまして。やはりお断りしましょうか?」
急に甘やかな声で囁く雅に加代子は思い切り眉根を寄せる。一方、雅はそれが愛おしいと言わんばかりに目を細めた。
「そういうの、ずるい。」
「土壇場になって本音が出るところは、昔も今も同じですね?」
沼河比売や建御名方神のところが心配な自分を慮って、苦手な裁縫までして衣を誂えてくれるのに、出がけになって憂い顔で「私には貴方だけ」とあまやかに歌う須勢理に心折られた日を思い出す。
「出がけにお断りしたら、それこそ兄様に私に何かあったのではと心配をかけてしまうでしょう? それに龍穴関連の話じゃないの?」
ややこしいながら八嶋士奴美神は兄様、柊吾の事は柊吾兄で一旦呼び名が落ち着いたわけだが、いずれの兄も加代子の事を大事にしている。
「ええ、三河の龍穴の件で相談したい事があると文が届いていますが・・・・・・。」
「八嶋士奴美神に会うのはまた後日でも出来ますよ」と雅が言い出すから、加代子は「愛宕神社の夏越の祓えのメインは明日だって言ったじゃない」と答えた。
「明日には来てくれるんでしょう?」
「ええ、中祭式には必ず。」
「それなら兄様の所に行って?」
「分かりました。用事が終わったらその足でそちらに向かいますから。」
そう言って指切りをすると、ようやく加代子も笑みを零す。
「愛宕神社のほうずき市は普通に出かけても楽しいところですが、神域のそれは幻想的でとても美しいですから、加代子さんも気に入ると思いますよ。それに《甘露》もお裾分けしてもらえるでしょうし。」
「甘露?」
「ええ、鬼灯の実を醸したお酒で、大きな青鬼灯の実に溜めて寝かしてあるのをお披露目するんです。」
その解禁日が愛宕山でほうずき市の立つ夏越の祓えの時期なのだという。
「今年は、去年、火産霊神のところで療養している合間に、少彦名命が仕込んだものらしいですから、美味しいと思いますよ。」
「そうなの? それは楽しみッ!」
喜色満面といった様子の加代子に、雅が「飲み過ぎには気をつけてくださいね」と言ったところで玄関のチャイムがなり、インターフォンの画面に柊吾の姿が映し出される。
加代子は「噂をすれば何とやらだね」と笑いながら、オートロックの解除と内鍵の解除のためにパタパタと玄関の方へと去っていく。
だから、まさかほおずき市であのような事態になるとは、この時の加代子はおろか、雅さえも思っていなかった。




