海千山千
橋姫が黄泉の国で涙している頃、「天の安河原」では一悶着起こっていた。
と言っても、太古の昔、天照大神が天の岩戸に閉じこもった時のように本物の河原で集まっているわけではなく、天照大神の大宮の一角に構えられた高天原の議会堂の事を今は「天の安河原」呼んでいる。
集まっているのは「八百万の神」たちで、国会議事堂さながら、右翼には高皇産霊神の一族、天照大神の一族、大海神の一族。これで約六割強の席が埋まり、左翼には月読命ら夜の食国が賓客扱いで座り、大山祇神ら国津神との交流の深い神の一族が埋めるのが通例だ。
そして、議事堂の前方、中央付近には、静かに目を閉じた天之御中主神と、難しい顔をした高皇産霊神、それから退屈そうにしている天照大神とその傍付きの神が腰を下ろしていた。
こうした神議りはいつもなら伊勢神宮の様々な祭りのタイミングに小規模に行われる。ましてや今回のように大規模な神議りとなれば、旧暦十一月頃に行われる神嘗祭に合わせて行われることが通例だから、今回のように「死神が人魑魅をひとつ拐かした件」で大々的に召集が掛かるのは異例の事態だった。
「今回、皆様にお集まり頂いたのは、先にご連絡した通り、とある死神が人魑魅をひとつ拐かした事が報告された事に端を発します。」
多くの神々を前に議事進行を進めるのは、父親である高皇産霊神と同じように神経質そうな表情をした思兼神。それに対して「そんな事で何故神議りせねばならぬ?」と最前列で喚き立てているのが、力自慢の天手力男神だ。
二人は傍で見ても相性が悪そうだが、今日はいつも話に割って仲裁をしてくれる神皇産霊神や大山祇神がいないのもあって、神議りと言いながらも議題にまでなかなか話に至らない、酷く荒れたものになった。
「一介の死神が伊邪那美命の手足となり、許しなく人魑魅を狩っているとして、何故、我らで神議りせねばならぬ? そんなもの、死神どもに自治権の剥奪をちらつかせて、総出で探させれば済む話ではないのか?」
「それは先程もお伝えしたように、すでに対策し適切に行っております。また、今回は総出で探させるため、検非違使も動かしているとお伝えした通りです。」
「では、なぜ、死神一匹捕まらぬッ?!」
がなるようにして喚く天手力男神に向かって、思兼神が煩わしそうに「議事進行の妨げになるので召集理由についてのご意見は後ほど」と繰り返したが、天手力男神はいつになく食い下がった。
「成果が上がらぬとしても、我らに泣きついてくるのは筋違いであろうと話しているんだ! お主では埒があかぬ。我は主上や姫様のご意見を伺いたいッ!」
その発言に青筋を立て始めていた思兼神は、何か吹っ切れたようににこやかな笑みを浮かべると「確かに埒があきませんね」と宣言すると、「今回、皆様を呼び出したのはこちらが理由です」と、諸々の予定をすっ飛ばして一人の男のホログラムを議場で投影した。
漆黒の髪に漆黒の瞳――。
それ自体はこの倭の国でもよくある姿なのだが、紫色の大鎌を携えたその男の姿を目にすると、天津神でも大己貴命と面識のある多くの神々は絶句した。
「大己貴命・・・・・・ッ。」
先程までがなっていた天手力男神も、その名を漏らすとようやく大人しくなる。思兼神は
「ええ、そうです」と言うと、「それゆえ皆々様にお集まり頂いたのです」と声を大にした。
「単なる死神であれば、人魑魅の管理不足として死神協会に責を負わせておしまいにしても良き話ですが、事はこの高天原の今後にも影響が出ます。」
そう言いながら、もう一人、年若い女性のホログラムを映し出す。
「しかも、今回、拐かされた人魑魅は、長きに渡り行方知れずとなっていた須勢理毘売命のものと判明しました。」
その言葉に天手力男神と一緒に「そうだ、そうだ」と騒ぎ立てていた者達も、一様に貝のように口を閉ざす。
「彼の元に須勢理毘売がいる。それがどういう事かお分かりになりますか?」
今の高天原には大きく分けて三つの神がいり混じっている。かつてから高天原にいる天津神、大己貴命の国譲り以降で葦原中国から移ってきた国津神、そして、天津神にも国津神にも属さぬ八百万の神。八百万の神は丁度、付喪神や現人神、死神を総称している。
そして、それらの神々にははっきりとした序列があり、特に天津神は、大己貴命からの国譲り以降、太古の昔よりこの高天原を牛耳ってきた神々であったとして、この高天原の大部分を収めていた。
それゆえ天津神は、思兼神や天手力男神のように反りが合わない者もいるとはいえ、いずれも「高天原の中枢を担う神」という点では考えが一致しており、それが揺らぐ事態なのだと分かると、ようやく事態を飲み込み、大人しく話を聞くことを決めたようだった。
「天手力男神、話を続けてもよろしいでしょうか?」
むっすりとして腰を下ろした天手力男神は「ああ」と答え、思兼神はそれに一瞥をくれると、時系列に沿って説明するのは止めて、今の問題点と天津神の直面しうる可能性をピックアップして説明し始めた。
ひとつ、大己貴命の弱みとなる須勢理毘売命がいないこと。
それゆえ、大己貴命はかつてのように簡単には要望には応じず、大山祇神や素戔嗚尊などの国津神と結託して再び天津神と対峙する可能性がある。
ひとつ、その大己貴命が伊邪那美命の眷属となっているらしいこと。
そのため、先日来、黄泉の国との均衡が崩れ始めており、三界を巻き込んでの大戦に発展する可能性がある。
そして、最後にもうひとつ――。
それは先の議会からも話をしているとおり、心の太柱が細くなって来ている今、その強化をするか、代わりの柱を用意せねばならぬ事だと話した。
思兼神の指摘に耳を傾けながら、多くの神の視線は大海神と、龍翁こと塩土老翁、そして、空席になっている大山祇神の席に注がれている。
「殿よ、どちらに味方する心積りで?」
龍翁がそっと小声で訊ねてみる。
「我らは奴らに阿るつもりはない。我らはただ神皇産霊神の御心に従うのみ。」
そう視線を合わすことなく話している合間にも、思兼神は熱弁を振るい、このままでは統治の国は崩れ、再び領有の国と化すと警告を鳴らす。
そして、それゆえ、大己貴命と須勢理毘売命を再び捕らえて、大己貴命への牽制とし、また、二人を新たなる心の太柱の神籬として捧げてはどうかと提案する。
議場は再び一気に湧いた。
「我らとて手をこまねいているわけにもゆかない。ご存知のように大己貴命は既に目覚め、素戔嗚尊の娘も戻った。再び葦原中国を領くの地とさせるわけにはゆかぬ。」
侃侃諤諤と話が進む中、天照大神はしばらく退屈そうにしながらも話を聞いていたが、倭姫命を代役とすると、するすると神議りの間を後にした。
それの様子を見ていた龍翁は、大海神に一礼して議場を出る。そして、急ぎ天照大神の元へ向かった。
「ひいさま、どちらに向かわれるのです?」
天照大神はその声に龍翁が目敏く付いてきたことを知り、煩わしそうに「戦ごとは嫌いですから」と答える。
「しかし、あのままでは高皇産霊神や思兼神の思うままに事が進みかねません。それに神皇産霊神や大山祇神の姿が見えぬのは些か気に掛かります。」
龍翁の指摘は天照大神とて、気になっていた事だ。
「神皇産霊神は《海》の神。我が殿を含め、我ら一族は神皇産霊神に従う一族とご存知でしょう?」
龍翁の発言に天照大神は足を止め、龍翁を見上げる。龍翁はその硬い表情に金色の瞳を細めた。
「私を脅すのですか?」
「いいえ、ひいさま。逆にございましょう? 我らは脅されている側にございます。」
龍穴を今よりさらに塞ぐなど、大海神や龍翁にとっては、「力を削ぐ」と言っているのも同じだ。
「まあ、もちろん、ひいさまの御身の為と言われてしまえば、我らはひいさまに恭順を示した神皇産霊神のお考えに従わざるを得ません。」
大己貴命が幽世に封印され、瓦解した任那の国を憂いて、神皇産霊神はその地にこれ以上危害を加えぬ事を願い出て、その代わりに他の天津神、国津神の見ている中で天照大神に恭順を示した。
それ以降、大海神の一族は天照大神の下に下り、大山祇神らとはまた別に姫を差し出しては天孫を支えてきた。
「そのような苦言を呈しに、妾を追っていらしたのですか?」
天照大神の射るような視線を受けて、龍翁は老獪な笑みを浮かべる。
「取り引きをしに参りました。」
「取り引き?」
「ええ、この翁にご命令くださいませ。」
天照大神が「何を」と問えば、龍翁は「神皇産霊神の探索を、です」と話す。
「見返りは?」
「我らはこの後も大海神とその眷属はひいさまには歯向かいませぬ。ひいさまも、これ以上、大己貴命の擁護派が増えるのは避けられたいでしょう?」
「つまり、現状維持は確約するということですか?」
「ええ、左様です。ですが、今のひいさまには一番欲しい確約ではございませぬか?」
髪飾りに付けた鈴をちりりと鳴らし、天照大神は龍翁を見上げる。
「口約束ではご心配であれば、鱗をもって約束しましょう。」
龍翁の言葉に天照大神は結い上げた髪に手を伸ばすと、鈴の付いた簪を引き抜いた。髪は解け、はらりと解ける。
「それでは、私はこの簪にて保証しましょう。」
そう言って呪を施すと龍翁に渡し、龍翁も翡翠色の薄板を袂から取り出すと呪を施して天照大神に渡す。
「龍翁、約束を違えれば、その簪は貴方の心の臓を貫きます。今の約束、ゆめゆめ違えることのなきよう――。」
「仰せのままに。」
そして、再び天照大神は歩き出し自分の宮へと戻っていく。一方、龍翁は簪を懐にしまうと踵を返し議場へと戻った。
「首尾はどうだ――?」
群青色の袍を身につけた大海神が熱弁を振るう思兼神の様子を見ながら訊ねれば、龍翁は「天照大神は神皇産霊神を探すことをご承諾下さいました」と同じように思兼神を見て答える。
「引き続き《大海神とその眷属はひいさまに歯向かわぬ》ことでお約束くださいましたのは助かりました。」
「《ひいさま》が誰かや、お主が我の眷属かは問われなかったのか?」
「ええ、こうした時のために何千年も彼の姫神を《ひいさま》と呼んできたのですから、気づかれる由もないかと存じます。」
大海神は「まずは重畳」と囁くように話すと、龍翁は思兼神を指し「ところで、あちらはいかがですか?」と訊ねた。
「何、相変わらずだ。ああ、だが、高皇産霊神の主導で差し向けた軍が黄泉の国で大己貴命に手酷くされたようだぞ。密かに小隊を消され、さらには中隊をひとつ竜巻で吹き飛ばされたらしい。」
大海神が「その話だけは痛快だった」と口の端を上げれば、龍翁も込み上げてくる笑いを噛み殺すようにして「それは面白そうな話ですね」と目尻に皺を寄せる。
「手放されてしまっていればそれまでですが、彼の神としての記憶が戻っていれば、渡した鱗や三名狭漏彦を通じて渡りを付ける事も出来ましょう。」
「では、その辺りはお主に任そう。我は引き続き高天原を牽制しつつ、今日は来ていないようだが大山祇神や罔象女神と渡りを付けておく。」
海に千年、山に千年生きた蛇は龍となる。
ましてや何千年も前に龍となった二人が組めば、大抵のことは上手く運ぶ。龍翁は懐にしまった簪をどのように使うか、考えを巡らせた。




