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龍吟の琴  作者: みなきら
龍吟じて、雲を呼ぶ
20/34

誰がために 君を恋ふらむ

 琴の音が聞こえる――。


 それはとても優しく、それでいて遠慮がちな調べで龍の君は目を覚ました。


 目を覚ませば眠る前と同じように、龍の珠姫は少し苦しそうにしている。榛摺色の髪は汗に濡れ、頬に張り付き、琥珀色の瞳は閉じられたままだ。


 彼女の手を握ろうと身動き、肩からずるりと衣がずり落ちる感覚に、龍の君は戸惑いの色を見せた。肩口を見れば、いつの間にか、もう一枚見慣れぬ衣が掛けられている。


「お気付きになられましたか?」


 その言葉に驚いて御帳台を出ると、傍には銀髪の狐が控えている。見ればその手元には龍吟の琴があり、琴線を縒りをかけた絹糸で張り替え、素朴な楓の枝を琴柱としているようだった。


「琴を鳴らしていたのは、そなたか?」

「ええ、調律をするのにすこしばかり・・・・・・。それにしても見事な琴にございますね。」


 艶狐が翡翠色の琴軋を差し出すと、龍の君はそれを受け取り、びいんと鳴らしてみる。


 途端に辺りの空気は澄んでいき、もう一度鳴らすと辺りは不思議と暖かな気に包まれた。


「これは・・・・・・?」

「この琴は弾き手の力を乗せることで、辺りを浄化させる。」


 龍の君は「今は眠るあの子のために作ったものだ」と話す。艶狐はそれを聞くと、御帳台で眠る龍の珠姫の様子を窺った。


「付きっきりでいらして・・・・・・。大切な方なのですね?」


 艶狐の視線の先を追って、龍の君も御帳台を窺うと短く「ああ」と答える。長く御帳台の所に留まっていたから気が付かなったが、どうやらこの星は明るさが移ろうようで、部屋の中も外も今は暗く、天之御中主神の大宮と同様、星の欠片で作った明かりと、火が邸に移らないようにだろう、池の中程に灯された篝火が邸の周りを照らしていた。


「どれほど眠っていたのだろうか?」

「半刻か、一刻といったところでしょうか? それほど長くは、お眠りなっていませんよ。」


 話を聞けば、今宵は降り立ってから四日目の「夜」だと言う。その間、国常立尊の姿を見ていないなと思えば、艶狐は「国常立尊は天狐を伴い、外出している」と話した。


「出掛けている?」

「はい、双子星である兄様の星に向かわれると伺っております。」


 その話を聞くと、龍の君は眉間に皺を作る。


「何故、そのようなところに?」

「何でも高位の神がいらして、そこに細かな星が集っているとか。」

「高位の神・・・・・・?」

「はい。」


 と、不意に庭が眩い光に包まれて、そちらに視線を向ければ、大きな獣の影が見えてくる。そして、地狐の「主様――ッ!?」と騒ぎ、邸から飛び出す姿が小さく見え、龍の君と艶狐も顔を見合わせると広庇へと出た。


 近付いてくる獣の様子に龍の君が警戒を露わにすると、艶狐が袖を引く。


「あれは天狐にございますゆえ、ご安心くださいませ。」

「天狐・・・・・・?」


 白金色の大狐に転じている天狐は、ぐったりとして身を委ねている国常立尊と、優雅に横座りする神皇産霊神を背に乗せている。


 神皇産霊神は龍の君を見付けると、にっこりと微笑み、それから重さがないかのようにふわりと天狐の背から飛び降りると、龍の君のすぐ近くに降り立った。


「無事にこの星に着いていたのだね。」

「なぜ、神皇産霊神がこちらに?」

「なぜって、あの子に呼び出されたからさ。」


 そういうと、神皇産霊神は天狐に背負われたままの国常立尊を指差す。


「私を遥々、天之御中主神の大宮から呼び出したからね、今はカラッケツといったところだろうよ。」

「それはまた豪気な神威の使い方をしたのだな。」

「まあ、消えるようなことはないけれど、しばらく役立たずだろうね。」


 他の狐は主の危機を感じてか、次々と天狐の周りに集まっていく。しかし、隣にいる艶狐は微笑みを湛えたまま控えていて、動く気配はなかった。


「お主は行かなくて良いのか?」

「私が行って、どうなるものでもありますまい。それに私は荒ぶることのないように、名を縛られたに過ぎませぬゆえ。」


 ゆらりと青火が揺らめくような艶狐の瞳には、国常立尊から解放されたいと願っているのが見て取れる。


 天狐、地狐、赤狐、白狐、空狐――。


 五狐は天狐に背負われたままの国常立尊の元に集い心配そうにしているが、艶狐をはじめ、話に聞いた八狐には数が合わない。


「なるほど、向こうも一枚岩ではないけれど、こちらも一枚岩というわけではないのだね。」


 そう言って神皇産霊神はくすくす笑って、「どれ、国常立尊の気付けに行ってこようかね」と言うと、傍に降り立った時と同じようにして、池のほとりで腰を下ろした天狐の元へと去っていく。


 艶狐はそれを見届けると「お客様が増えたのであれば、もうひとつお部屋を用意せねばなりませんね」と、野狐に袖を振る。


「五狐は国常立尊に心酔しているようですが、私は野狐や風狐までもが国常立尊に従ったと聞いたので、彼の神に従ったに過ぎません。」


 それを聞くと龍の君は「なるほど」と合点したように呟く。


「力を抑えられて、国常立尊が憎いか?」


 その言葉に艶狐は微笑みを消す。


「だとしたら、何だと言うのです?」

「いや、その割には我には優しくしてくれるのだなと思うてな。」


 龍の君が「衣をかけてくれたのはお主であろう?」と訊ねれば「お客人に失礼があってはいけませんから」と返してくる。


 それを聞くと龍の君はくくっと喉を鳴らし、それから「自分以外の他の誰かのために生きるのは悪いことではないぞ?」と話した。


「貴方に何がわかるというのです。」


 艶狐が苛立ちを露わにすれば「その方がお主らしいな」と笑った。


「お主は昔の我に似ている。力を持て余していた頃の我に。」


 巨大な渦の力を手にしながらも、天之御中主神の元からは離れられず、上辺だけは主上として接しながらも、銀河(他の誰か)のために使うように強いられることを苦痛に感じていた。


「主上の言うままに数多の星を産んで、同じくらい数多の星を喰らってきた。」


 自ら産んだ星々の断末魔のような悲鳴を何度聞いて、その度にどれほど心痛めてきただろう。


「このように辛い事をしなければならぬのなら、いっそ総て喰らって消えてやろうとも思った。」


 だが、その日々を龍の珠姫の存在が変えたのだという。


 初めて宇宙(そら)に灯った淡く美しく光る星に心奪われ手を伸ばせば、その瑠璃の歯車の力で自らを助けてくれた。


「彼女は我を兄と慕い、常に助けてくれた。我もそれ故に、この力を使い、彼女を庇護し守ってきた。」


 龍の君は一度、御帳台を振り返り「自分以外の《他の誰か》のために生きるようになって、この力を持てたことを漸く受け容れたのだ」と話す。


「国常立尊に形だけ従っていると言うが、それならそれで良い。だが、自らの気持ちにまで気付かぬふりをしてはならぬ。それは、いずれ苦しくなるからな。」


 そう言って悲しげな笑みを浮かべる龍の君の様子に、艶狐はいつになく心が揺れた。


「さて、この邸の主たる国常立尊があの状態だ。神皇産霊神は我が応対せねばなるまい。」


 龍の君にそう言われて、付き従って艶姫も階から庭へ降りる。天狐に背負われたままの国常立尊は「このような姿で申し訳ございません」とぐったりした姿のままで話した。


「兄星のところに行っていたと聞いたが、穏やかには済まなかったようだな。」

「ああ、だが、片付いた――。」


 龍の君の問いに神皇産霊神が代わりに答える。


「このように直ぐに呼び出されるとは思わなかったよ。」

「それで国常立尊はこの状態か。」

「ああ。」


 「すみません」とはにかむようにして笑う国常立尊に、神皇産霊神は「これを戻してやって、お前もお休み」と言って手に持っていた袋を一つ手渡す。しかし、国常立尊は龍の君を見て酷く目を泳がせた。


「中身はあの子の歯車か?」

「ああ、回収できるだけ回収してきた。」


 龍の君はそれを聞くと、胸苦しさを覚えながらも「姫についてやっていてくれ」と国常立尊に話した。


「ですが・・・・・・。」

「あの子のために取り返してきたのだろう?」


 龍の君にそう言われると、国常立尊はひとつ頷き、天狐に降ろしてもらって袋を持って急ぎ足で御帳台へと向かった。


 神皇産霊神は龍の君の隣に立つと「良かったのか?」と訊ねる。


「お主も勧めたくせに。我があの子をこの星に連れてきた理由は知っているであろう?」

「ああ。知ってて聞いた。」


 艶狐は龍の君と神皇産霊神の話を聞くと、龍の君の悲しげな笑みの理由を悟った。


「艶狐よ、神皇産霊神をお通しできる部屋があれば案内してはくれまいか?」


 しかし、艶狐は表情を取り繕う事も出来ずに「何故?」と呟くようにして訊ねた。


 神皇産霊神と龍の君は顔を見合わせる。


「何故、貴方こそご自身の気持ちに蓋までなさって、あれほど大切になさっている姫様を、主様に託すような真似をなさるのです?」


 その問いに龍の君は苦笑して「それがあの子の望みだからだ」と答える。そして、今にも泣き出しそうな艶狐に「やはりお主は優しい子だね」と微笑んだ。


 ◇


 それからどれくらいの時が流れたであろう。


 橋姫は真夜中にふっと目を覚ました。傍には淤加美神の寝顔があり、そこに至って傍に控えたまま眠ってしまった事に気がついた。どうやら疲れが溜まっていたらしい。


 橋姫が黄泉の国に戻ってきたのは、こちらの時間で二日ほど前のこと。


「罔象女神より文を預かって参りました。」


 橋姫は罔象女神の元ですっかり浄化され、神使としての尊厳も取り戻し、淤加美神の傍を長く離れてしまった非礼を詫びた。


「罔象女神の神使となったのか?」

「はい、ですが、これは不可抗力にございます。」


 罔象女神の文には、橋姫に呪が掛けられ鬼と化していた事、そして、その呪を解くために罔象女神に名を縛られ、眷属と化したことが書いてあった。


 淤加美神は橋姫に「近う」と呼ぶ。そして、橋姫の袖を引くと、すぐ傍に座るように促した。


「お主がここに来てから、もうどれほど経つだろうか・・・・・・?」


 橋姫の美しい銀の髪を指で梳きながら、ひと掬いする。そして、須勢理を失い、探し彷徨った日々を思って淤加美神は深紅の瞳を細めた。


「随分と長い間、お主を我が神使として留め置いてしまったものだ。その身の苦しみも哀しみも洗い流された今なら、お主を輪廻の輪に戻す事も叶おうが如何せん?」


 淤加美神はそう伝えたが、橋姫は首を横に振る。


「妾は左様な事、望みませぬ――。」


 そして、淤加美神の手をとると、そっと手のひらに口付ける。


「妾は主様の忠実なる(しもべ)。迂闊にも我を失い一時は悪鬼と化しましたが、再びお傍に置いて頂けるなら、神使として傍に侍り、きっと主様のお役に立ちましょう。」


 その言葉に淤加美神は哀しげに「何故、そこまで我に尽くす?」と訊ねた。


 橋姫はそう問われると微笑み「自分以外の他の誰かのために生きるのは悪いことではございませぬ」と答える。


「主様の幸せこそ妾の望み。たとえ主様が妾を選ばずとも、傍に置いてくださればそれで良いのです。」


 橋姫が「主様とて、そうでございましょう?」と話せば、淤加美神は目を細めた。


「愚かな事だな・・・・・・、お主も、我も――。」


 辛そうな、それでいて、愛おしそうな瞳で見つめられると、橋姫は胸が締め付けられるような心地になる。


 愛しいヒト――。


 時間を隔て、今は静かに眠っている淤加美神の姿を前にすると、橋姫は愛しくも手の届かぬ人を前に、物狂おしく、その頬に手を伸ばした。


(本当に、なんと愚かな事・・・・・・。)


 罔象女神の神使となって、心穏やかになったのに、加代子の決意を聞かされて、橋姫はこうして淤加美神のところに戻ってきてしまった。


 その名目は「宇陀の呪の結び直しの依頼と、須勢理毘売命からの伝言を伝えに行く」だったが、罔象女神は自分が戻らぬ事を知っていたのだろう、「再び誰かに心の弱味を晒さぬように」とだけ告げられた。


「主様。」


 恋ひわびて、募る想いに自分が自分出なくなってしまうような心地になる。


 今だけ許して欲しい。


 龍の君(淤加美神)の秘めた想いに涙する事を。橋姫は溢れてきた涙で袖を濡らした。

 

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