七つの隣人 神々の愛でし民を訪ねて 序
七種族の名を知らない人は、まずいない。雷冠の民、銘肌の民、芽吹の民、天秤の民、黙坐の民、逆刻の民、黄昏の民。千年の闘争のおり、七柱の神々がおのおのの傍らに引き上げ、慈しんだと神書に記される民である。子守唄に歌われ、寓話に語られ、誓いの文句にまで顔を出す。それほどに名の知られた彼らに、では実際に会ったことのある人がどれだけいるかといえば、百人に一人もいないだろう。名は誰もが知っているのに、姿は誰も知らない。七種族とは、いまの世でそういう隣人である。
名前と実物のあいだのこの隔たりが、どれほど厄介なものかを、私の属する旅団は百五十年かけて学んできた。隔たりには、恐れと欲が棲みつく。芽吹の民が命を奪えぬことにつけ込んだ者たちの話は、金糸の教会の歴史に刻まれているとおりであるし、逆刻の民を預言の道具として囲おうとした企ては、数えるのも嫌になるほど繰り返されてきた。相手を知らないままに敬えば迷信になり、知らないままに恐れれば迫害になる。知らないままに欲をかけば、悲劇になる。
吹き流れる知恵の収集旅団は、百五十年前、ガルバディ・ルウ・バーガンディアという一人の変わり者から始まった。神書で読んだ七種族に会いたい。ただそれだけの理由で諸国を放浪し、風の止まり木を見上げ、書庫の民の戸を叩き、百年かけて開かれる掌を待った人である。初代は言ったと伝わる。知恵というものは、書き留める者がいなければ、風に吹き流されて消えてしまう。ならば風下に立って、拾って歩く者がいてもよかろう、と。旅団の妙な名は、ここから来ている。一人の憧れは、道連れを増やし、荷馬車を増やし、やがて七種族にかかわる史料を集め、編み、伝えることを生業とする一団になった。今日、七種族ともっとも深く行き来のある人の集まりはと問われれば、恐縮しながらも、我らの旅団だと答えることになると思う。ちなみにバーガンディアの姓は、血筋ではない。旅団長の座に就く者が、就任とともに初代から代々引き継ぐ名である。憧れから始まった旅団は、その憧れの主の名ごと、次の者へ手渡していくのである。近年では、人と七種族とのあいだに立って、口を利き、橋を渡す役目を負うことも多い。
本書は、当代の旅団長クローネ・ディ・バーガンディアの声がかりで編まれた、七種族についての新しい概説である。旅団には七種族について百五十年分の記録があり、それを書ける古株は何人もいる。それなのに、入団してようやく五年になったばかりの私に筆が回ってきたのは、旅団長の考えによる。曰く、古株は七種族に慣れすぎている。ダグレンの返事を半日待つことも、ターリャが初対面で泣くことも、彼らにはもう当たり前で、世間がなにを知らず、なにに驚くのかを思い出せない。初めて会ったときの驚きをまだ覚えている者が、その驚きが冷めないうちに書くべきだ、と。
だから本書は、学のある書物ではない。私はこの五年、記録係として旅団の使節に同行し、七つの民のもとをひととおり訪ねる幸運に恵まれた。本書に書くのは、その旅で私がこの目で見て、この耳で聞いたことと、旅団の書庫が百五十年かけて確かめてきたことである。及ばぬところは先達の記録に頼ったが、七つの章のどれにも、まずは私の生の体験が中心を占めている。
白状すれば、私が旅団に入ったのは、七つのときに川辺で出会った一人の逆刻の民のせいである。その老人は、初めて会う私の顔を見て、泣いた。あのときの私にはわけが分からず、いまの私には分かる。そのわけをここに書くのは、まだ早い。逆刻の民の章まで、取っておくことにする。
名前しか知らなかった隣人と、初めて顔を合わせる。本書が読者にとってその最初の一歩になるなら、記録係としてこれほどの誉れはない。
王国歴1656年 花冠の月
吹き流れる知恵の収集旅団 記録係
ユーリ・ロ・ヴェンデル




