第7話 癒し手が倒れる
治す手が、一つ、減った。
西棟の若い癒し手が、隔離された。腕の斑を見て、他の癒し手たちは、あからさまに、動揺した。自分たちも、いつ倒れるか、分からない。傷なら、少しも怖くない者たちが、うつる病の前では、青ざめ、震えていた。
恐怖は、病より、速くうつる。
エルナは、それを、見て取った。恐怖に呑まれれば、施療院は、止まる。手が動かなくなれば、拾えたはずの命も、落ちる。ならば――恐怖に、目に見える「形」を与えて、抑えるしかなかった。得体の知れないものは、怖い。だが、道筋の分かるものは、いくらか、扱える。
「区画を、分けます」
エルナは、施療院の見取り図を、床に広げた。炭で、線を引きながら、続ける。
「東の一角を、隔離区画に。斑のある人と、まだない人を、はっきり分けます。壁を立てて、みだりに人が行き来しないように。……そして、誰が、どこを通るか。動線を、決めます。担架の通り道と、水を運ぶ道を、分けるんです」
「そんな勝手が、許されると思うか」
背後で、冷たい声。ケラーだった。腕を組み、床の見取り図を、蹴るように、見下ろした。
「施療院を、下働きが、仕切る。壁を作り、人を分け、道を決め――まるで、牢だ。患者を、罪人のように、隔てるなど。施療の風上にも、置けん。……すぐに、元へ戻せ」
「戻せば、増えます」
エルナは、床の図から、目を上げなかった。
「もう、癒し手様が、一人、倒れました。分けなければ、次は、もっと。治す手が、全部倒れたら――この施療院は、ただ、人が死ぬのを、眺めるだけの部屋に、なります」
「口を、慎め!」
ケラーの手が、上がりかけた。
その手首を、横から、掴んだ者がいた。
*
「――防疫措置だ」
ラインハルト・フォン・アシェンバッハ。軍医団長は、ケラーの手首を掴んだまま、静かに、言った。
「戦場で、うつる病が出た陣は、真っ先に、区画を分ける。分けなければ、部隊が、全滅するからだ。俺は、それを、何度も見てきた。……この隔離は、俺が、軍の名で、追認する。防疫は、軍の管轄だ。文句があるなら、王命で、来い」
ケラーの顔が、こわばった。
伯爵位の、軍医団長。しかも「王命で来い」と言われれば、宮廷の一医官には、もう、これ以上、手が出せない。
「……好きに、するがいい。責めは、貴殿らが、負うのだぞ」
ケラーは、手首を振りほどき、去っていった。豪奢な白衣が、廊下の奥へ、消える。去り際、その目が、エルナと、そして、ラインハルトを、憎々しげに、射た。
ラインハルトは、それを、見送って、エルナに、向き直った。
「壁は、どこに引く。人は、何人、要る。……言え。俺の隊から、出す」
エルナは、少しだけ、面食らった。命じられることには、慣れていた。だが、こうまで即座に、力を貸されることには、慣れていなかった。差し出された手を、どう握り返せばいいのか、一瞬、分からなくなるほどに。
「……ありがとうございます。まず、東の廊下に、仕切りを。それから、区画を通る人には、印を」
エルナは、色札の残りを、手に取った。赤、青、そして、新しく――白。
「白い札の人は、隔離区画の担当です。区画から出るときは、必ず、手を洗い、着替える。白の札を持たない人は、区画へ、入らない。……それだけで、うつる道が、細くなります。誰が斑に触れたか、誰が触れていないか。それを、一目で、分けるんです」
ミラが、白い札を、抱えて、走り出した。誰が、どこにいて、どこを通ったか。少女の、速い足と、確かな記憶が、目に見えない病の道を、一本ずつ、たどっていく。
施療院に、境界線が、引かれはじめた。
*
だが、その境界線を、信じない者も、いた。
ある貴族の付き添いが、区画の仕切りを、勝手に、押しのけた。「魔法をかければ、治るのだろう」と、鼻で笑って。白の札も、持たず、隔離された患者のそばを、平然と通り、また、表へ、戻っていった。
エルナは、それを、遠くから、見ていた。
止められなかった。下働きの言葉で、貴族の付き添いは、止まらない。呼び止める声は、届く前に、身分の壁に、跳ね返された。
三日後。
その付き添いが、赤い斑を持って、運ばれてきた。
そして、その者が立ち寄った先から、また、新しい患者が。
エルナは、帳面に、その線を、書き足した。一本の、越えられた境界線が、何本もの、新しい線を、生んでいた。ひとつの油断が、幾人もの、明日を、削っていた。
――分ける、ということが、どれほど、命を左右するか。
この施療院は、まだ、それを、知らなかった。
病は、境界を越えたところから、静かに、けれど、確かに、勢いを増していく。
第7話、ありがとうございます。
「治す」より先に「分ける」――エルナの運営が、うつる病と、正面からぶつかります。そして、彼女の盾になる軍医団長ラインハルト。
筆頭医ケラーの妨害、境界を越える者たち。次第に、事態は最悪へ向かいます。続きも、ぜひ見守ってください。




