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第6話 うつる、という言葉

 その病は、傷のふりをして、忍び込んできた。


 最初は、一人だった。門前に運ばれた、貧しい身なりの男。高い熱と、腕にひろがる、赤い斑。傷ではないから、癒し手は、面倒そうに手をかざし、熱を下げて、帰した。斑も、少し薄くなった。それで、済んだと、誰もが思った。


 三日後、同じ斑を持つ者が、四人、運ばれてきた。


 エルナは、帳面を繰った。運ばれた日。住んでいた場所。誰と、近くにいたか。ミラに走って聞いて回らせ、一つずつ、書きつけていく。すると、ばらばらだった点が、静かに、線でつながった。


 最初の男の住む、路地。そのとなり。そのまた、となり。


 斑は、傷のように「負う」ものではなかった。人から人へ、水が低いところへ流れるように、移っていくものだった。


「――うつる」


 エルナは、その言葉を、声に出した。口にした途端、背筋が、冷えた。


 癒し手たちの手当てを、思い返す。斑の患者に触れたその手で、次の患者に触れ、また次へ。手を洗う者は、いない。洗う理由が、これまで、なかったからだ。傷は、うつらない。だから、誰も、そんなことを、考えたこともなかった。


「これは、うつる病です」


 エルナは、近くの癒し手に、帳面を見せた。


「魔法で熱を下げても、その人が、誰かにうつしていれば、また増えます。塞いでも塞いでも、追いつきません。……手当ての前に、手を洗ってください。それだけでも、道が、細くなります」


「たわけたことを」


 声は、廊下の奥から、来た。筆頭医ケラーだった。豪奢な白衣を揺らして、こちらへ、ゆっくりと歩いてくる。


「病は、魔法で治る。熱があれば、下げればいい。斑が出れば、消せばいい。……下働きが、うつるだの移らぬだの、根も葉もないことを触れ回るな。患者が、いたずらに怯える」


「怯えるべきです」


 エルナは、退かなかった。ケラーの、権威に満ちた目を、まっすぐに見返した。


「怯えて、離れて、むやみに近づかないこと。それでしか、この病は、止まりません。魔法は、傷を塞げます。熱も、下げられます。……でも、うつること、それだけは、止められないんです」


 ケラーの顔が、朱に染まった。


 魔法に「できないこと」がある――それは、この男にとって、最も認めがたい言葉だった。魔法こそが施療であり、施療こそが、彼の権威の、すべての土台なのだから。


「戯言だ。魔法で治らぬ病など、この世に、ない」


 そう吐き捨てて、ケラーは、去っていった。


 斑の患者たちは、いつものように、他の患者と並べて、寝かされたままだった。隔てられることも、なく。手を洗う者も、ないまま。


    *


 その夜、黒い外套の男が、隔離の話を、聞きにきた。


「うつる、と言ったな」


 ラインハルトは、腕を組み、帳面の点と線を、じっと見ていた。目が、数字を追っている。


「戦場でも、あった。傷では死ななかった者が、陣で寝ているうちに、次々と、同じ熱で倒れる。……手の施しようが、なかった。魔法士を何人つけても、追いつかん。片端から倒れて、片端から、死んだ。……あれは、うつっていたのか」


「おそらく」


 エルナは、うなずいた。


「傷は、その人ひとりのものです。手当てすれば、それで、その人だけの話が、済みます。でも、うつる病は、違います。一人を治しても、その人が動けば、次へ、運ばれます。だから――治すより、先に、"分ける"んです。うつす人と、まだうつっていない人を」


 ラインハルトは、しばらく、黙っていた。それから、低く、言った。


「お前の勘は、勘じゃない。数字だ。……侮る気は、ない。何が要る。言え」


 短い言葉だった。けれど、その一言が、エルナの胸に、静かに落ちた。


 誰も、信じなかった。ケラーも、癒し手も、みな「魔法で治る」と言った。この人だけが、戦場で見た地獄を、エルナの帳面に、そのまま、重ねてくれた。信じる、ではなく、知っている、という顔で。


「……ありがとうございます」


「礼は、いらん。手を打て」


 その、迷いのなさが、心強かった。


 少し離れた寝台で、ハンナが、患者の額を拭いていた。太い腕の看護人は、こちらを見て、ふん、と鼻を鳴らした。


「あたしは、あんたのその帳面を、信じるよ。……昔、選ぶしかなかった夜に、記録さえあれば、拾えた命が、あった気がするからね。あのときは、誰が、いつ運ばれたかも、分からなかった」


 棘は、もう、なかった。反発から始まった人が、いま、いちばん近くにいた。


    *


 だが、夜が明けて、状況は、一変していた。


 斑を持つ者が、倍に、増えていた。


 昨日、隔てられずに並べられていた寝台。その、まわりから、順に。エルナの警告どおりに、けれど、誰も聞かなかったせいで――病は、静かに、隣へ、隣へと、渡っていた。


「エルナ様!」


 ミラが、青い顔で、駆け込んできた。足の速い少女の声が、震えていた。


「西棟の……癒し手様が、熱を出しました。腕に、赤い、斑が……!」


 エルナは、息を、呑んだ。


 治す側が、倒れた。


 傷を塞ぐ手そのものが、この病の前では、無事ではいられない。治す手が、一つ、また一つと、減っていく――それは、この施療院が、いちばん恐れていた、形だった。


 もう、猶予は、なかった。


 エルナは、帳面を握りしめ、立ち上がった。


第6話、ありがとうございます。ここから疫病編に入ります。

「魔法で治らない病」の前で、エルナの"分ける"力が試されます。そして、彼女を信じる軍医団長ラインハルト。二人の距離も、少しずつ縮まっていきます。

続きもぜひ、ブックマークで見守っていただけると嬉しいです。


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