第48話 三十年ぶんを並べる
広間の寝台を、片側へ寄せた。空いた床に線を引いた。炭で、三本の帯を作った。
左が三十年前、真ん中が十七年前、右が此度である。帯の中をさらに横に割って、上を売った側の記録、下を受け取った側の記録とした。
「ミラ」
「はい」
「箱から出して、年を見て、帯に置いてください。置くだけでいいです。並べ替えは私がします」
「はい!」
「走らないでください。紙が飛びます」
「はい……」
ミラは歩いた。歩きながら、明らかに走りたそうな顔をしていた。
*
ハンナは仕分けを取った。この人は札を仕分けてきた人だから、手が速い。表書きを見て、年を見て、置く。見間違いが無い。三十年、寝台の脇でやってきた仕事と、やっていることが同じだった。
「あんた。字が読めなくてもできるね、これ」
「読めています」
「年しか読んでないよ」
「年が読めれば、置けます」
エルナは言った。
「段取りというのは、そういうものです。全部読める人が一人いるより、年だけ読める人が十人いるほうが、速く終わります」
ハンナは鼻を鳴らした。
「あんたのそれ、いつ聞いても、腹が立つほど当たってるね」
*
三日目の朝に、ギルベルトが戻ってきた。誰も呼んでいない。徴発は解けている。彼は荷を門の内側に置いて、そのまま広間へ入ってきた。床の帯を見て、しばらく立っていた。
「ローゼンハイム家は、なんと」
「言わせておけ」
彼はそれだけ言って、真ん中の帯の前に座った。束を開いて、読みはじめた。それきり、その日は一度も口を利かなかった。
*
四日目に、ケルンが来た。供は連れていなかった。外套も着ていなかった。前に来たときと同じだった。彼は広間の入口で足を止めて、床の三本の帯を見た。
自分の商いの三十年が、炭の線の中に並んでいた。
「……お嬢さん」
「ケルンさん」
「これは、私を吊るす縄でございますな」
「はい」
エルナは正直に言った。嘘をつく相手ではなかった。
「あなたの記録が無ければ、三十年は並びません」
ケルンは目を伏せた。それから、袖をまくった。薬研を挽く胼胝のある腕が出た。
「首が飛びましょうな」
「飛ぶかもしれません」
「飛びましょう」
彼は言い直して、右の帯の前に座った。
「ですが」
「はい」
「余った六十包の四軒ぶんを、まだ覚えておりますので」
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五日目に、テオドールが来た。老人は杖をついて、床の左の帯——三十年前の帯の前に立った。長いこと立っていた。
その帯には、彼が三十三だった年の紙が並んでいる。
「エルナ」
「はい」
「わしは、あの年、何もせなんだ」
「存じています」
「知っておって、なぜ、わしをここへ入れる」
エルナは筆を止めた。
「入れておりません」
彼女は言った。
「院長先生が、ご自分で、敷居を跨がれました」
*
老人の肩が、少し動いた。
彼は杖を持ち直した。持ち直して、床の紙を見下ろしたまま言った。
「エルナ」
「はい」
「わしが、証言する」
広間の音が、一瞬だけ止まった。
「三十年前、あの評議で何が決まったかは知らん。呼ばれておらんからな。……だが、その前の月に、この院で何があったかは知っておる。婆さんが何を書いて、誰がそれを笑ったかも知っておる」
彼はエルナを見た。
「三十年、蓋に手をかけては、やめてきた」
老人は言った。
「今日は、開ける」
*
六日目の夜に、ラインハルトが来た。彼は箱を一つ抱えていた。院のものではない。軍の刻印が押してあった。
「軍の帳面だ」
彼は箱を床に下ろした。
「三度の疫の年に、軍が薬種をいくらで買ったか。どこから買ったか。全部ある」
エルナは箱を見た。
「団長。それは」
「持ち出しではない。写しだ」
彼は言った。
「写しを作るのに、五日かかった。本営の書記に頭を下げた」
「頭を、下げられたのですか」
「下げた」
彼は素っ気なく言った。
「軍医団長が頭を下げると、あれは、よく効く」
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軍の帳面が加わって、形が閉じた。売った側の記録があり、受け取った側の記録があり、そして王国でいちばん大きな買い手の記録がある。三つが同じ年、同じ月、同じ値で噛み合った。
値は、疫の報せの二日後に上がっている。三度とも。
上がる前に買い占めた者がいて、その名が、四軒の屋敷であり、その四軒に金を出したのが誰かは、ケルンの帳面に書いてある。
「三度です」
エルナは言った。
「三十年前と、十七年前と、此度。同じ形が、三度」
*
七日目に、書状を書いた。王命の検分を請う書状である。宛先は検分の長。会計を通さない。評議も通さない。通せば、あの椅子の前に出るからだった。
だが、施療院の運営を司る職が一人で請うても、それは一人の声にしかならない。一人の声は、一人ぶんの重さしかない。
エルナは、控えの束を一つずつ開いた。
どの控えにも、いちばん下に二つの名前が書いてあった。看たる者、二名。北の峠の下。東の川向こう。西の港。名も知らない土地の、名も知らない二人一組。
彼女は、その名前を全部、書き写しはじめた。
*
書き写すのに、二日かかった。紙は十一枚になった。名前は、四百を超えた。
エルナはその十一枚を、書状の後ろに綴じた。綴じてから、表に一行だけ書き足した。
――右の者ら、連名。
筆を置いて、彼女はその一行を見た。
三十年前、一人の声が「下働き一同」に書き換えられた。書き換えたのは、そのほうが重かったからだ。一人の悲鳴では、人を追い出せない。総意なら、追い出せる。
あれは、嘘ではなかった。ただ、数え方を変えただけだった。
「ハンナさん」
「なんだい」
エルナは十一枚を持ち上げた。
「今度は」
彼女は言った。
「本当に、一同です」
*
その夜、書状を封じてから、広間の隅で少しだけ座った。
床にはまだ紙が並んでいる。ギルベルトは真ん中の帯で寝ていた。ケルンは帰らずに、右の帯の脇で帳面を繰っていた。ミラは箱の上で丸くなっていた。
ラインハルトが横に来て、腰を下ろした。
「終わったら」
彼は言った。
「話がある」
エルナは彼を見た。
「いま、してください」
「いや」
「なぜです」
彼はしばらく黙っていた。それから、床の紙のほうを見たまま言った。
「終わってからに、したい」
広間の寝台を寄せて、床に炭で三本の帯を引きました。三十年前、十七年前、此度。上が売った側の記録で、下が受け取った側の記録です。
ここからは、この作品がいちばん得意なことをやります。診て、分けて、並べ替える。物が紙に変わっただけで、手つきは第一話から何も変わっていません。
人が集まってきます。誰も呼んでいません。徴発が解けているのに戻ってきた男が、その日は一度も口を利かずに読み続けます。吊るされる側の人も、それでも座ります。
そして最後に、この回でいちばん書きたかったところです。三十年前、一人の声が、一同に書き換えられました。一人の悲鳴では人を追い出せないけれど、総意なら追い出せるからです。嘘ではありません。数え方を変えただけです。
今度は、四百を超える名前を、エルナが一つずつ書き写します。十一枚になりました。
次回、三度目です。




