第3話 診て、分けて、並べ替える
負傷兵の波は、昼過ぎに来た。
昨夜の警告どおりだった。いや、警告を超えていた。担架が、途切れない。入口の前に、傷ついた兵が積み上がっていく。うめき声が、施療院の壁を震わせた。
癒し手たちは、走り回っていた。
だが、走り回るほど、手が回らない。重そうな者から順に、傷に手をかざす。光を灯す。塞ぐ。そして――塞いだそばから、次へ。塞がれた兵は、また隅へ運ばれ、忘れられていく。
昨日と、同じだった。ただ、桁が違うだけだ。
「順番が、めちゃくちゃだ」
エルナは、廊下の隅で、思わず声に出していた。
軽い傷の者に、先に魔法がかかっている。声の大きい者、身分の高そうな者から診られている。そのあいだに、静かに悪くなっていく者がいる。声も上げられないほど、重い者が。
入口の右手で、若い兵が、こぼれるように床にずり落ちた。
誰も、気づかない。
エルナは、駆け寄った。
――まだ、息がある。
「魔法士様!」
通りかかった癒し手の袖を、つかんだ。
「この人を、先に。この人のほうが、待てません」
「順番がある! 手を離せ!」
「順番が、逆です」
エルナは、袖を離さなかった。
「声を上げられる人は、待てます。声を上げられない人が、待てないんです。――お願いします。この人が先です」
癒し手が、舌打ちして、それでも膝をついた。若い兵に、手をかざす。光が灯り、傷が塞がる。兵が、大きく息を吸った。
助かった。
エルナは、それを見届けて、立ち上がった。
もう、迷っている暇はなかった。
*
「ミラ!」
「はいっ」
少女が、飛んできた。
「入口を見てきて。運ばれた人を、三つに分けたいの。すぐ手当てすれば助かる人。少し待てる人。……もう、静かに看るしかない人」
ミラの顔が、こわばった。最後のひとつの意味を、この子も分かっている。
「あたし……分けるなんて、できない」
「あなたは分けなくていい。誰がどこにいて、どんな様子か、私に教えて。分けるのは、私がやる」
ミラが、うなずいた。そして、走った。
エルナは、入口へ向かった。積み上がった担架のあいだを、縫うように歩く。膝をつき、額に手を当て、呼吸を見る。魔法は使えない。使えないから、よく見た。誰よりも、よく見た。
熱の高い者から、寝台を入口の近くへ寄せる。声を上げられない者を、癒し手の手が届く列の先頭へ。まだ待てる者を、奥へ。
「ハンナさん!」
太い腕の看護人が、険しい顔で立っていた。
「あんた、何のつもりだい。勝手に患者を動かして」
「順番を、組み替えています」
エルナは、手を止めずに言った。
「魔法士様の手は、四つしかありません。四つの手が、いちばん多く命を拾えるように、運ばれる順を変えるんです。……手伝ってください。あなたの腕が要ります」
「――選別だって?」
ハンナの声が、低くなった。
「選別だなんて。見捨てる順番を決めるのと、同じじゃないか。あたしは、それを……」
言いかけて、ハンナは口をつぐんだ。その目に、一瞬、遠いものがよぎった。かつて、選ぶしかなかった夜の記憶。
エルナは、まっすぐにその目を見た。
「見捨てる順番では、ありません。一人でも多く、拾う順番です。……いま、何もしなければ、声を上げられない人から死にます。それだけは、いやなんです」
ハンナは、しばらくエルナを見つめていた。
それから、大きく息を吐いた。腕まくりを、直した。
「……札を作りな。赤、青、それと――黒。あたしが仕分ける。あんたは、全体を見な」
「はい」
施療院が、動きはじめた。
ミラが走り、様子を伝える。エルナが分ける。ハンナが患者を運ぶ。空いた癒し手の手へ、いちばん待てない者から送り込む。冷やす。待たせる。順を組み替える。魔法は、一度も、エルナの手からは出ない。
それでも――床に落ちていくはずだった命が、一つ、また一つ、拾い上げられていった。
*
「――匙を投げた患者だぞ、あれは」
ざわめきの中に、誰かの、かすれた声がした。
施療院のいちばん奥。もう助からないと、癒し手が手を止めた兵がいた。腹の傷が深く、光を灯しても塞がりきらない。順番から、外された者だった。
エルナは、その兵のそばに、二人がかりで手を回していた。
塞ぎきれない傷を、布で強く押さえる。血が止まるまで、体を冷やしすぎないよう、位置を変える。そして、いちばん腕のいい癒し手の手が空く、その一瞬を待って――押さえた布を、離した。
「いまです。もう一度、ここへ」
癒し手が、半信半疑で、手をかざした。
止まっていた血の上に、光が、今度こそ、届いた。
兵の胸が、ゆっくりと、上下しはじめた。
施療院が、静まりかえった。
誰もが、その光景を見ていた。助からないと、匙を投げられた兵が――息を、している。
「……お前」
背後で、低い声がした。
エルナは、振り返った。
黒い外套の男が、そこに立っていた。昨夜、名も告げずに兵を運び込み、去っていった、あの男だ。腕を組み、じっとエルナの手際を見ていた。返り血をあびた顔に、初めて、感情が浮かんでいた。
「お前、何者だ」
冷徹な、と噂されていた男。戦場で、救える者だけを選ぶという――軍医団長。
あとで、その名を聞いた。
ラインハルト・フォン・アシェンバッハ。
その男が、床の血と、並べ替えられた寝台と、色のついた札を、ゆっくりと見渡した。そして、もう一度、エルナを見た。
「戦場では、選ぶしかない。選んで、切り捨てる。……それが医官の仕事だと、俺は思っていた」
男の声が、わずかに、掠れた。
「だが、お前のそれは――選んだ全員を、生かそうとする段取りだ」
エルナは、血に汚れた手を、握りしめた。
「私は、治せません」
静かに、答えた。
「治せる人が、間に合うように、場を整えることしか、できません。……でも、それで、間に合うなら」
ラインハルトは、しばらく黙って、エルナを見つめていた。
その目の奥に、何かが――エルナには読めない、遠くて重いものが、ひとつ、揺れた気がした。
男は、それきり何も言わず、負傷兵のもとへ歩いていった。
エルナは、震える手を、もう一度、握り直した。
無能と呼ばれた娘が、魔法をひとつも使わずに、この日、幾人もの命を拾い上げた。
それを見ていた男が、いた。
第3話、勝負回をお届けしました。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
エルナの武器は、最後まで「魔法ではない段取り」です。そして、冷徹な軍医団長ラインハルト――彼がなぜあんな目をしたのか、その理由はこの先で明かされます。
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