第17話 数え方が変わる
新しい取り決めは、たった、一枚の紙で、来た。
施療院の壁に、それは、貼り出された。エルナの色札の、すぐ隣に。同じ高さに。まるで、並べて、貼ることに、意味があるかのように。
ミラが、それを、見上げていた。
「エルナ様。これ、なんて、書いてあるんですか」
エルナは、読んだ。
二度、読んだ。
*
――運び込まれてより、一日のうちに、亡くなりし者。これを、施療院の死者に、数えず。
そう、書いてあった。
文字は、美しかった。理由も、添えてあった。運ばれた時点で、すでに手の施しようがなかった者を、施療院の死者に数えるのは、施療院の働きを、正しく測る、妨げになる。ゆえに、分けて、数える。
筋は、通っていた。
美しく、正しく、通っていた。
「……エルナ様?」
ミラが、心配そうに、顔を、覗き込んだ。
エルナは、壁の紙から、目が、離せなかった。
――嘘は、書いていない。
誰も、殺していない。誰の死も、消していない。ただ。数え方が、変わった。それだけだった。
*
その日から、ヴィクトルの帳面では、死者が、減りはじめた。
実際に、死んでいる者の数は、一人も、変わらないのに。門前で息を引き取った者。運ばれて夜のうちに冷たくなった者。彼らは、もう、施療院の死者では、なかった。「運ばれる前に、すでに」亡くなっていた者に、なった。
ヴィクトルは、その帳面を、評議に、上げた。
新しい筆頭医が、着任して、わずか、半月。宮廷施療院の死者は、目に見えて、減っていた。
王宮は、それを、褒めた。
そして――褒めたぶんだけ、削った。
*
「布が、来ない」
ハンナが、空になった棚の前で、言った。
「熱冷ましの氷も、半分だ。癒し手も、二人、王宮づきに、引き上げられた。……死人が減ったんだから、そんなに要らんだろう、ってさ」
エルナは、帳面を、閉じた。
からくりが、見えた。
死者が減る。減ったから、施療院は、余裕がある、と、見なされる。余裕があるなら、物も、人も、減らしてよい。減らせば――門前で、夜のうちに、死ぬ者が、増える。
だが、その者たちは、もう、死者に、数えられない。
だから、帳面の上では、死者は、また、減る。
*
「回るのですよ、それが」
ヴィクトルは、穏やかに、言った。
執務の卓に、エルナの写した帳面と、自分の帳面を、並べて。彼は、少しも、慌てて、いなかった。
「お嬢さん。私は、一つも、嘘を、書いていない。あなたも、読んだでしょう。門前で亡くなった方を、この院が、救えましたか? 救えなかった。ならば、それは、この院の、死者ですか?」
「……死者です」
エルナは、静かに、言った。
「その方が、門の前で、亡くなったことに、変わりは、ありません」
「感情の話を、しているのではない」
ヴィクトルは、微笑んだ。
「数え方の、話です。数え方を決めるのは、数える者だ。……あなたが、赤と青と黒に、分けたようにね。あなたも、決めたでしょう。誰を先に診るか。誰を、後にするか」
エルナの、喉が、詰まった。
同じだ、と、この人は、言っている。同じ武器で、同じことを、しているだけだ、と。
「違います」
やっと、それだけ、言った。
「私が、分けたのは。……一人でも、多く、生かすためです」
「私が分けたのは」
彼は、羽根ペンを、置いた。
「一人でも、多く、予算を、通すためです。……それの、何が、いけない? 予算が通れば、この院は、続く。院が続けば、人は、救われる。……お嬢さん。あなたのやり方は、正しい。ただ、金が、要る。私は、その金を、取ってきているのですよ」
*
その夜、ラインハルトが、軍の帳面を、持ってきた。
戦線から運ばれた兵の、名と、刻と、生死。軍は、軍で、数えている。そちらでは、誰も、数え方を、変えていなかった。
二つの帳面を、並べた。
ヴィクトルの帳面では、死者は、二十一人。軍の帳面と、施療院の門前の記録を、合わせると――
「三十四だな」
ラインハルトが、短く、言った。
「十三人。消えたわけじゃ、ない。数から、外されただけだ」
エルナは、その、十三という数を、見ていた。
名前が、あったはずだった。運ばれた刻が、あったはずだった。誰かが、その手を、握っていたはずだった。
「団長」
「なんだ」
「私、怖いです」
エルナは、初めて、それを、口に、した。
「ケラー様は、数字を、燃やそうと、しました。……あの方は、数字が、怖かったんです。だから、私は、勝てました。でも、あの人は」
ヴィクトルは、燃やさない。
抱えて、可愛がって、飼い慣らして、思うとおりに、語らせる。
「……あの人は、数字を、怖がって、いません」
ラインハルトは、しばらく、黙っていた。
それから、エルナの帳面の上に、そっと、手を、置いた。触れたわけでは、なかった。ただ、その、頁の上に、大きな手のひらが、覆いのように、置かれた。
「なら、こっちの数を、絶やすな」
低い声だった。
「飼い慣らされていない数が、一つでも、残っていれば。……そいつが、いつか、勝手に、語る」
*
三日後。
評議から、召喚状が、届いた。
呼ばれたのは、エルナでは、なかった。ヴィクトルでも、なかった。
――エーミール・ケラー。
もう、任を解かれた、あの老いた男が、たった一人で。疫病下の、すべての死者の、責を、問われる、ために。
第17話、ありがとうございます。
今回の敵は、嘘を書きません。数えるのを、やめただけです。「数え方を決めるのは、数える者だ」――エルナが自分の武器で、初めて逆に斬られる回でした。
そして、次回。ダーレム侯は、ケラーを守りません。切り捨てます。
第15話で「魔法をかければ済むと、五十年、そう教わって、そう教えてきた」と言い残したあの人が、最後に、エルナに何を残していくのか。見届けていただけたら嬉しいです。




