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第14話 ケラーの言い分

 王命による、検分は、ついに、筆頭医ケラーの、前に、立った。


 場所は、宮廷施療院。検分の老貴族が、幾人かの、評議の者を、連れて、施療院そのものを、検めに、来たのだ。数字が、本当に、現場と、合っているのか。帳面の数と、実際の寝台の数が、食い違っては、いないか。それを、実地で、確かめる、ために。


 ケラーは、豪奢な白衣で、彼らを、迎えた。落ち着いた、物腰で。


「ご覧の、とおり」


 彼は、施療院を、腕で、示した。


「患者は、癒し手の、手で、治療されて、おります。魔法を、かけ、傷を、塞ぎ、熱を、下げる。これが、施療の、本道。何百年と、続いてきた、宮廷医療の、姿です。……壁を作り、患者を、分けるなどという、下賎な、素人考えは、一時の、混乱を、招いただけ。数字の、食い違いは、記録の、取り方が、杜撰で、あったからに、すぎません」


 よどみのない、弁明だった。長く、権威の座に、いた男の、言葉は、なめらかで、隙が、なかった。


 だが、老貴族は、うなずかなかった。


 かわりに、手にした帳面を、開いた。エルナの、写しの、一冊だった。


    *


「筆頭医どの」


 老貴族は、静かに、問うた。


「この帳面には、西棟の、患者の記録が、ある。魔法を、かけ、隔離を、しなかった、区画だ。……この区画で、魔法を、かけたあと、様子が、悪くなって、亡くなった者が、何人、いるか。ここに、日付と、ともに、書かれている。一人ずつ、名も、添えて」


 彼は、指で、数字を、たどった。ゆっくりと、一行ずつ。


「魔法を、かけたのだ。塞いだのだ。熱を、下げたのだ。それでも、この者たちは、死んだ。……なぜだ。魔法で、治らぬ病など、ないと、あなたは、言った。ならば、この、魔法を、かけられて、なお、死んだ者たちは、何なのだ。あなたの言葉が、正しいなら、この者たちは、生きて、いるはずだ」


 ケラーの、なめらかだった、言葉が、止まった。


「それは……病が、重かったのです。魔法を、もってしても、救えぬ者は、いる。医は、万能では、ありませんゆえ」


「では」


 老貴族は、もう一枚、めくった。


「隔離した区画では、なぜ、同じだけ、重かったはずの者が、生きて、帰った。同じ病だ。同じ、時期だ。魔法士の、腕も、変わらぬ。……違ったのは、分けたか、分けなかったか。それだけだと、この帳面は、語って、いる。あなたの、"病が重かった"では、この、生死の差は、説明が、つかぬ。病が重かったのは、両方の区画、同じ、はずだ」


 施療院に、沈黙が、落ちた。


 ケラーは、口を、開いた。何か、言おうと、した。だが、言葉は、出て、こなかった。彼の医療は――「魔法をかければ済む」という、その一点で、建てられて、いた。かけたあとを、見ないこと。分けないこと。数えないこと。それが、当たり前だった。五十年、それで、頂点に、立ってきた。


 その、当たり前が、いま、たった一冊の、下働きの帳面の前で、音もなく、崩れて、いた。


    *


 エルナは、その一部始終を、少し離れた、寝台のあいだから、見ていた。


 呼ばれては、いなかった。相変わらず、下働きの、娘だった。手には、雑巾が、あり、拭きかけの、床が、あった。心臓が、静かに、速く、打っていた。


 だが、老貴族が、ふと、顔を、上げ、施療院を、見回して、言った。


「この記録を、取った者は、どこに、いる」


 癒し手たちの、視線が、いっせいに、エルナへ、向いた。


 エルナは、雑巾を、置き、進み出た。ケラーが、その姿を、見て、顔を、しかめた。「下働きが」と、その口が、動きかけた。


 けれど、その言葉は、もう、誰にも、届かなかった。かつて、あれほど、重かった、その侮蔑が、いまは、ただ、空しく、宙に、消えた。


「あなたが、毎日、これを」


 老貴族が、帳面を、掲げた。エルナは、頭を、下げた。


「はい。……ただ、誰が、いつ、どうなったかを、書いた、だけです」


「なぜ、書いた」


 エルナは、少しのあいだ、考えた。それから、静かに、答えた。


「同じ死に方を、繰り返さない、ためです。記録が、なければ、去年、拾えなかった命を、来年も、拾えません。誰が、いつ、悪くなったか。それが、分かれば、次は、そこに、人を、置けます。……私は、魔法が、使えません。使えないので、せめて、数えることに、しました。それしか、できることが、なかったので」


 老貴族は、しばらく、エルナを、見つめて、いた。無能と呼ばれた娘の、汚れた手と、静かな目を。


 それから、ケラーのほうを、見た。豪奢な白衣の男は、もう、何も、言えずに、いた。反論の、言葉は、尽きて、いた。かわりに、その目には、初めて、"恐れ"が、浮かんで、いた。地位を、権威を、その、すべての土台を、たった一冊の、帳面に、崩されようと、している男の、恐れが。


 エルナは、叫ばなかった。指も、ささなかった。


 ただ、数字を、そこに、置いた、だけだった。


 そして、数字は、勝手に、語りはじめて、いた。


第14話、ありがとうございます。

「魔法をかければ済む」――その一点で建てられていたケラーの医療が、たった一冊の帳面の前で、崩れていきます。エルナは、最後まで叫びません。事実だけを、静かに置きます。

次回は、いよいよ第二の区切り。数字が、すべてを語る回です。続きを、ぜひ見守ってください。


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