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第13話 ギルベルトの崩れ

 ヴェルマー伯爵が、亡くなった。


 斑を「消され」、熱を「下げられ」、治ったと言われて、屋敷へ、帰った、あの伯爵だった。消えたはずの病は、体の奥で、静かに、根を張り、広がり、そして――半月ののち、伯爵の、命を、奪った。


 伯爵を「治した」と、大勢の前で、公に、誇った男が、いた。


 ギルベルト・フォン・ローゼンハイム。


 王命による、真偽の検分は、疫病の広がった経路を、たどりはじめていた。誰から、誰へ、病が、渡ったのか。その経路を、記した記録が、王都に、ただ一つだけ、あった。エルナの、帳面だった。


    *


 検分の者が、施療院を、訪れ、帳面の伝播経路を、写して、いった。


 伯爵の屋敷を、起点に、線が、放射状に、伸びていた。使用人。出入りの、商人。見舞いに、訪れた者。その、一人ひとりが、また、新しい線を、生んでいた。まるで、水面に、落ちた滴の、波紋のように。


 そして、その起点――ヴェルマー伯爵が「治った」と、された日から、線は、止まるどころか、増えて、いた。


「魔法を、かけて、斑を、消した。だが、隔離は、されなかった。……伯爵は、治ったと、思い込んで、人と、会い続けた」


 検分の老貴族が、線を、指で、たどりながら、つぶやいた。声に、苦いものが、にじんでいた。


「治療が、かえって、病を、広げた。治った、という言葉が、伯爵から、身を退く機会を、隔離の機会を、奪ったのだ。……皮肉な、ことよ」


 その言葉は、静かに、けれど、確かに、一人の男の、名を、指していた。


    *


 ギルベルトが、施療院に、現れた。


 もう、あの、非の打ちどころのない、笑みは、なかった。金色の髪は、乱れ、目の下には、濃い隈が、あった。彼は、エルナの前に、立ち、しばらく、何も、言えずに、いた。唇だけが、震えていた。


「……お前の、帳面の、せいで」


 やっと、絞り出した声は、掠れていた。


「私が、伯爵を、死なせたことに、なっている。私は、治療した。魔法を、かけ、斑を、消した。それは、間違いでは、なかったはずだ。私は、正しく、施療した。……なのに、なぜ。なぜ、私が、責められる」


「間違いでは、ありません」


 エルナは、静かに、言った。


「斑を消したことは、間違いでは、ありません。ただ――消したあとに、隔離を、しなかった。それだけです。魔法は、その人を、治せます。でも、その人が、次の人に、うつすことまでは、止められない。……あなたは、それを、教わって、いなかった。ただ、それだけの、ことです」


「教わって、いない、だと」


 ギルベルトの顔が、ゆがんだ。


 怒りでは、なかった。もっと、深い、幼い頃からの、何か。


「……そうだ。教わって、いない。名門ローゼンハイムでは、魔法で治せぬ患者は、"見なくていい"と、教わった。塞げば、終わり。塞げないものは、才の、外だから、忘れろ、と。見るな、覚えるな、気にかけるな。……私は、ずっと、そう、して」


 声が、途切れた。


 エルナは、その男を、見ていた。かつて、自分を「無能」と、広間で捨てた男。けれど、いま、目の前に、いるのは、勝ち誇った、宮廷ヒーラーでは、なかった。「才さえ、あれば、すべて、解決する」と、信じ込まされ、そう信じたまま、初めて、その信仰の底が、抜けたところに、立ち尽くす、一人の、迷子だった。


「私は、あなたを、責めていません」


 エルナは、繰り返した。


「ただ、これから、隔離を、覚える人が、増えれば、いい。それだけです。……あなたも、覚えれば。次は、伯爵のような方を、死なせずに、済みます。あなたの魔法は、本物です。あとは、その、あとを、見るだけです」


 ギルベルトは、エルナを、見つめた。


 何か、言おうとして――言葉を、見つけられなかった。かつて、自分が「無能」と、呼んだ娘に、いま、道を、示されている。その、事実に、耐えられないように、彼は、顔を、伏せた。


 そして、逃げるように、去っていった。


 その背は、もう、光っては、いなかった。ただ、ひどく、小さく、見えた。


    *


 残されたエルナに、ハンナが、ぽつりと、言った。


「甘いね、あんたは。あんな男、もっと、いい気味だと、言ってやれば、いいのに。散々、あんたを、無能と、蔑んだんだ。ひれ伏させて、やってもいい」


「言っても」


 エルナは、去った背を、見送りながら、答えた。


「伯爵は、戻ってきません。……それに、あの人が、隔離を、覚えて、次の誰かを、救うほうが、ずっと、意味が、あります。私は、あの人が、憎いのでは、なくて。人が、死ぬのが、いやなだけ、なんです。それだけなんです」


 ハンナは、しばらく、エルナを、見ていた。それから、太い腕で、乱暴に、エルナの頭を、一度、撫でた。ごつごつした、けれど、温かい、手だった。


「……あんたみたいなのが、上に、立つ世の中なら。あたしは、もう少し、この仕事を、続けても、いいと、思うよ。長いこと、辞めどきばかり、探してたけどね」


 夕暮れの施療院に、静かな、時間が、流れた。


 崩れたのは、一人の男の、傲慢だった。けれど、その崩れ方は、留飲を下げるだけの、痛快なものでは、なかった。もっと、静かで、少しだけ、哀しいものだった。勝った、という気は、どこにも、しなかった。


第13話、ありがとうございます。

かつてエルナを捨てたギルベルトの「治した」が、崩れました。ですが、この作品のざまぁは、相手を叩きのめして終わりにはしません。エルナは叫ばず、ただ道を示します。

次回、いよいよ筆頭医ケラーの「魔法至上」が、数字の前に立たされます。続きを見守っていただけると嬉しいです。


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