44,島のお山にみちしるべ
おじ「どうもお忙しいところすまん事です。これがどうしても住職にご挨拶したい言うとりますもんで……みちこの娘なんです。」
住職「はい。お電話いただいて聞いております。今、私が住職をやらせていただいています。
そうでしたか〜。娘さんは、お住まいはこっちの方なんですか?」
私「初めまして。珠代と申します。今日はわがままを申しまして、お忙しい中お時間をいただきましてありがとうございます。
私は母が関東に嫁いだ関係で、ずっと関東で暮らしております。」
住職「ずっと関東でしたら、今回は遠いところわざわざお運びでしたか。それはまた大変な事で。」
おじ「島へ遊びに来る言うんで、ほんならまあゆっくりして行ったらええ言うとるんですわ。」
私「小さい子供の時から、毎年母に連れられて、お里帰りしていたんです。妹が一人いますもので、一緒によく島に伺っていました。
父は仕事が忙しかったので、時々しか来られなかったのですが。」
おじ「みちこは病気してだいぶ前に亡くなりまして。」
住職「ええええ。聞いております。まだ若いのに辛い事だったですねえ。ご自分の母親より先に逝ってしまいましたからねえ。」
私「その後、父もだいぶ一人で頑張っていたのですが、少し前に後を追うように亡くなりました。」
住職「ご両親とも亡くなられて、お寂しい事ですね。」
私「おじやおばが良くしてくださるので、いつも甘えてこうして来させてもらっているのです。
お墓参りもさせてもらっていますけど、今日はご住職様にまでお会いする事が出来て、とても嬉しかったです。」
住職「ご先祖さまもお喜びでしょう。お参りご苦労さまでございました。」
おじ「ほな、ええか?
これで失礼します。おおきに。」
お寺さんの本堂の隣の、住職のお住まいの玄関は、ゆったりと広めにしつらえてあり、大人三人が顔を付き合わせて立ち話をするには十分なスペースであった。
もっとも住職は、上り框の上に膝を付いて腰を落としていた姿勢ではあったが。
お寺まで車で連れて来てくれた桂子おばの連れ合いの功おじと一緒に、玄関を出た。
特に見送り等はなかったので、自分達で引き戸を閉めるその時、ふと改めて、空気の匂いがある種、記憶の奥底を掻き乱して来る物である事に気付いた。
戸を閉める私の手が止まったのは、たった一瞬であったが、機を捉えた私の瞳は、玄関の先の廊下に続くスペースに鋭く視線を走らせた。
記憶の奥底にホコリを被って置き去られていた、この香り、色、形、その存在そのもの。
大きな花弁と強い芳香を特徴とする、それ。
百合の花。カサブランカであった。
更に私の瞳は、目の前のカサブランカの花の背景に、不思議な光景を映し出して見せた。
鎌倉の実家の応接間や、居間、仏間に、びっくりするほどたくさんのこの花を活けて、まるでこの花たちに家の中いっぱいにグルっと囲まれている様にして、満足そうに過ごしていた母の気配であった。
住職は既に、廊下の奥に戻って行かれた後であった。
「このお花、お好きなのですか?」と一言だけ聞いてみたかった。
その返事が、どんな言葉だったとしても、ただ、このお花がここに、この住職のお宅の玄関に置かれている、という事実があったというだけで、私にとっては何よりも雄弁なメッセージとなっていた。
仮に、住職がこのお花に顔を向けて目を細められるお姿を目にする事が出来たとしても、それは私の想像の世界の出来事だけで十分な事のように感じられた。
功おじが島の言葉で会話を進めているのに、ご自身は頑なに標準語でお話されていた住職。
懐かしい、とか、例えば、可愛らしい子でした、とか、ご自身の感情的な部分の内容については一切言及が無かった。
もちろん、その事で肩すかしをくらった様な気分になり、釈然としない不満を持て余す事を余儀なくされた私であったが、もはや今では、目の前の視界がはっきりして来て、物の輪郭がくっきりと見え、360度どころか、時空を超えた真理がすっぽりと私の手の中に収まった様な気がしていた。
桂子おばにはもう少し待っていて貰うこととして、私たちは墓地の方に足を伸ばしてお墓参りをした。
墓石に向かって手を合わせながら、その後ろに広がる風景に目を奪われるのは常であった。
「いつ見てもびっくりするわ。ほんまに映画に出て来そうな景色じゃねえ。」
晴天に恵まれた、初夏の生き生きとした空気が、山の上のお寺さんから、下の海の船、周りの島々にまで全てに行き渡り、瀬戸内の優しく上品な景観や雰囲気を見事にひとつにまとめあげ、存在を守っている。
空の青さを丸ごと受け入れた海の色の鮮明さと、島々の木々の瑞々しくも奥深い緑。小さな船のゆったりした往来と、白く残る引き波。
子供の頃から数え切れないくらい、何遍見てもちっとも飽きさせやしない。目を閉じてもずっと瞳に残っている景色なのであった。
桂子おばの家に戻り、私はどこか以前とは違う、満たされた気持ちで短い午睡をした。
まだ早いけど、夕ご飯の支度でもするかな、と思い立ち、和室でまどろんでいるであろう桂子おばを起こさないように足音を殺して台所に向かうと、驚いたことに桂子おばがいつものスタイルで、椅子に座った姿勢でお料理をしている。
ひじきの煮付けやきんぴらごぼうが、お皿に盛られて調理台に鎮座していた。
「あらおばちゃん、もうおかず作ってくれたん?今ご飯しよう思って来たんよ。」
「あんた一寝入りできたん?疲れたんじゃろう。」
「そがーな田舎のおかず作ってから、どうなりゃあ。」と功おじからは塩コメントが飛ぶ。
「この子はこがーな島のおかずが食べたいんよ。」
桂子おばの言葉に、うっかり涙が溢れそうになるのだった。
その通りなのだ。私は島のご飯が食べたかったのだ。
お寺さんへの訪問について、桂子おばは何も聞いて来なかった。
ただ、身体を休めるための大事な午睡の時間を削って、姪っ子のためにせっせと野菜を刻み、出汁を取り、美味しい醤油で煮込み、私の好きなお惣菜を調理してくれたのだった。
それが本当に、ありがたくて、嬉しくて、自分は大切にされている。唯一無二の存在なんだと、ふんわりと柔らかく、しみじみと感じる事が出来た、宝物の様な一日なのであった。
私の母は、亡くなる時に自分自身の人生を抱き締めて、幸せに逝ったのだと信じたいとずっと思って来た。そうであって欲しいと願っていたが、どこかに疑わしい要素が見え隠れしていた事は事実であった。
人生の大海原に、見境なく丸腰で単身飛び込み、無茶な大博打を打って出た母であった。
数々の逆境の荒波にもまれ、溺れかけた事は数え切れないのである。
だが、失望はしても、決して希望は捨てていなかったのだという事がはっきりわかったのだった。
失望はしても、決して絶望はしていなかった。
母を希望へと繋ぎ止めていた物が、あのカサブランカの香りだったとしたら、私の心はどん底から一気に救われるのであった。
地獄の底で、足掻き苦しんだ末、希望を繋ごうとした術の中で、娘の私に焦点を絞り、明るく力強い将来への希望を託して、生きる力に変えていたのかもしれない、と思った。
ただ、私は母とは別の人格を持つ、別の人間であった。そこに軋轢が生じるのはごく当然の事で、摩擦や衝突が絶えない日々が営まれ続けたのであった。
その事に気付いてからなのだろうか?母がかの百合の花の香りに包まれて安堵を求める様になったのは。
それとも、もっと前から、百合の花の形を取って、お寺さんの息子からの便りが届いていたという事なのだろうか?
かの花に囲まれて穏やかに笑っていた母を想う時、私は無条件に幸福を感じるのである。
島のお寺に、あの日行って良かった。
ご住職にお会い出来て、本当に良かった。
島の山の上にちんまりと佇むお寺が、紛れもなく母と私のみちしるべとなったのである。
母を想う時、百合の花々に囲まれた穏やかな表情がよみがえる。
鰹節削り器で指を怪我して、血が止まらなくて止血剤を打ってもらっただけなのに、C型肝炎までもらってしまって、どんどんガンになっていった日……
遠くに嫁いだ先で、夫は社畜でワンオペ育児が延々と続いて、義理の両親や兄弟には辛く当たられていた日……
見返してやりたくて、長女を厳しく育てて将来は家でピアノ教室を開かせようと決めていたのに、全然言う事聞かなくて……
母が生前、落胆していたであろう出来事は枚挙にいとまがないのであるが、さあ、それが今や何が不都合であろうか?
あの、甘い、自信に満ちた、深い百合の香り。カサブランカの香りの中に、全ては溶け出して、きれいに解かれて行くのであった。
そして、32年前の、母の出棺の時に口走っていたあの言葉を、今では少しだけ違った、安らかな気持ちで、口にする事が出来るのだった。
「産んでくれて、ありがとう。」




