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43,選ばなかった道


桂子おばのおうちで過ごす日々は、たとえこれと言ったイベントがなくても、ただいるだけで快適で、気持ちが落ち着いて、楽しかった。




お風呂好きなおばの希望で温泉宿のように風情豊かに作り込まれた浴室で、毎日ゆっくり湯船に身を沈めていると、疲れ切った魂にじわじわと英気が蘇り、自分本来の力が身体中に満ち満ちて来るような有り難さを感じていた。




おば夫婦は、二人とも大の晩酌好きで、夕刻になると淡々とルーチンの酒盛り支度にかかり、新鮮なお刺身をお供にちびちびやりながら、ご機嫌な夜を迎える。




病の後、お酒を受け付けられなくなっていた私は、シラフでお相手をする。




お二人の馴れ初めや、新婚時代のエピソードなど、興味津々の話題を次々と引き出し、笑いの渦を巻き起こしながら多分に興が乗っていたある日の事だった。




「大田の家の上にお寺さんがあったろう?知っとる?」




おばが、少し顔の表情を引き締めて、私に視線を合わせて切り出した。




「上ゆうて、あの大田の家の坂をどんどん上がった上ゆうこと?」


私は島で数日過ごした事で、すっかり昔取った杵柄のお国言葉を思い出しており、ここぞとばかり駆使する。




「あっこの住職さんが、みっちゃんを嫁にもらいたい言うとったんよ。」




「……!」


「そうじゃったかのう。ほいでも昔の話じゃけ、いらん事言わんでもええわ。」




そう言っておじが制止する様子を見て、私の好奇心がやおらムクムクと、夏も盛りの入道雲のごとく湧き上がっていた。




何?なんて言った?




母の人生に、もうひとつの道があったという事?




しかもそれが、絵空事ではなくて、具体的に現実に起こり得るレベルの話だったという事?




実際に求婚などの動きはあったのか?




子供の頃、くみこ姉ちゃんに着いて一生懸命に坂を上って行ったあのお寺のご住職が?!




大田の両親は了解していたのか?していたとしたらどの程度まで??




渋い顔で押し黙るおじを尻目に、私は矢継ぎ早におばに詰問した。




単なる噂話や、好いた腫れたの浮いた話ではなかったらしいという事の裏付けと受け取れる程、意外にもおばは私の要望に寄り添ってくれて、その人に会ってみたいという気持ちを抑えられなくなって行く私を尊重してくれた。




然して、桂子おばがお寺さんにアポを取ってくれたある初夏の日、私はものものしくお寺の住職を訪ねたのだった。




「今は住職になっとるけど、あの頃はお寺の息子じゃゆうだけだったんよ。」




そんな、合点承知の分かり切った事をつぶやいた後、桂子おばは「ほな行ってきんさい。みっちゃんの娘が行きますゆう事は電話してあるけえ、すぐわかる思うわ。あたしゃ腰が痛いけよう歩かん。ここで待っとくわ。」と続けた。




駐車場を取り囲む竹垣が綺麗に手入れされているなあ、きちんとした由緒あるお寺さんなんだろうな、と漠然と思いながら、私は桂子おばの言葉をやり過ごした。




車のドアを開けて足を下ろした。体重を移動して両足で立ち上がり、歩き出す。




地に足をつけるという事はこういう感じの事を言うのかと感じていた。




確実な、大きな目標に向かって、まっすぐに、恐れずに突き進んで行くという行動が、今まさに体現出来ているのだ、と思った。




ある意味、武者震いを体現していたとも言えるかも知れなかった。


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