28,何の涙?
朝起きたら、母が泣いていた。
子供が泣くみたいに、「ええん、えんえん。」という風な、いわゆる嗚咽の様な声を押し殺しもせず、涙が出るに任せてきっちり泣いている。
嗚咽を漏らしながらも、手は動かして働いており、いつも通りに朝ごはんを作って子供達に食べさせ、学校に送り出す。
子供達は、もちろん大いに違和感を感じていた。
とりわけ私にとっては、えんえん泣くのはいつも私の方なのに、立場が逆転して母が泣いていて、私は泣いていない。(不思議な感じ。)と思っていた。
さて、普段通りに学校で放課後を迎え、家に帰って来るのだが、「ただいま。」に返してくれる母の「おかえり。」が聞こえない。
部屋に入るとようやく母の声が聞こえたが、驚いた事に、朝聞いた嗚咽の声がそのまま再現されている。
(朝からずーっと泣いてるの?)
むしろ母が朝に泣いていた事なんておおかた忘れて帰宅しただけに、予想もしなかった事態を目の前にして、数時間前の母の異変が現実に起こっていた事なのだと改めて思い知らされ、驚きと強烈なショックを覚えた。
おやつを食べたり、形だけピアノの蓋を開けて練習のフリをしたり、洗濯物を畳むお手伝いのアピールをしたりしている間も、母の嗚咽がBGMの様に聞こえている。
何かの演技でもしているのかと疑って、母の顔を見ると、クシャッとした泣き顔とは違って、どちらかと言うと目を虚ろに開いた無表情に近かった。
無表情のまま、嗚咽が口から漏れて、大量の涙が後から後から出て来るという状況の様だった。
「真面目に練習しなさい。」
「宿題しなさいよ。」
「丁寧に畳みんさい。」
その他数々の注文を言い付けて来るはずの母の口が、機能不全に陥っている。
様子を伺っていた私だったが、その状況が二日続くとさすがに不安になり、自分からは珍しく、母に言葉をかけた。
「どうしたの?」
「なんで泣いてんの?」
「ねえ、なんで泣いてんの?」
母は聞こえていないはずはないのに、無視である。
と言うより、涙を止める術を見失ってしまっている様だった。
とうとう三日目に入った。
嗚咽も涙も衰えるところを知らない。
どうした物かと考えあぐねながら母を遠巻きに観察する事しか出来なかったのだが、夜になって父が帰宅すると、正に三日ぶりに母が嗚咽以外の声を発するのを聞く事が出来た。
父に対して、何か訴えている様だ。
注意して聞いてみる。
謝っている様な父の声。静かな声だ。
それに続いて、嗚咽混じりの母の声。
「もうあんな事言っちゃダメよ。」
「うん。」とか「わかった。」とかいう内容の、父の返答。
翌朝からは、母の嗚咽も涙もきれいさっぱり消えて無くなった。
私には訳を話してはくれなかったが、一体父との間に何があったのだろう?
どんな事を言われて、三日三晩涙が止まらなかったと言うのだ?
私は本気で母を心配して、言葉をかけたのに、見事なまでに相手にもしなかった母であった。
夫婦の事情で子供に余計な心配をさせたくない、という考えが働いていたのかも知れないが、そうだとしたら一体どこまで立派な、親のかがみの様な人だろう。
ただし、娘としては、出来れば、泣いている訳を少しでもいいから教えて貰いたかった。
あの時勇気を出して母に言葉をかけた時は、きっと私の中では、母は母であると同時に、一人の、ヒトであったのだろう。
(訳を聞かせて。何が悲しいの?何か私に出来ることはないの?)
しかしあくまでも母は母の立場を死守したのだった。
守られた立場だったとも言える私だが、一方で、母に信頼して貰えない、取るに足らない、存在価値の危うい自己イメージが形作られる、基礎的な体験をしてしまったのかも知れなかった。




