26,笹の葉
小学3年生の年度開始と共に転校をした私であった。
右も左もわからぬ新しい学校の新3年生のクラスで、様々な取り決めをする為の学級会が連日行われた。
色々な委員を決めて行く中で、立候補者が積極的に名乗りを挙げて、日々順調に会議は進んでいた。
最後に残った、学級委員の枠組みで、クラス全員がシーンと黙り込むまでは。
それまで活発に手を挙げていたクラスメイト達が、急に静まり返って、進行役の日直さんの声が虚しく宙を漂っていた。
「立候補する人はいませんか?」
「推薦する人は手を挙げて下さい。」
スイセンって何だろうか、とぼんやり考えていると、3列前の席の古山さんがいきなり振り返って私を見た。
(誰か、古山さんを呼んだ?)
謎に思って、私も後ろを振り返って見ようとした時、一瞬微笑んだ様に見えた古山さんが「はい。」と言って手を挙げたので、クラスの皆の注意もそちらに向いた。
古山さんは、私の苗字を述べて、「吉川さんがいいと思います。」ときっぱり言った。
(いきなり何?何が、いいんだろう?)
意味が全く分かりません!と疑問をぶつける相手がわからず、誰も異論を唱えてもくれず、私は学級委員のポストに都合よくはめ込まれてしまった形になった。
古山さんは、私の転入直後から随分と優しくしてくれていて、陶芸教室を営んでいたお家の、工房の部屋にも出入りさせてくれ、陶芸の先生であるお父さんに紹介をしてくれて、小さな陶芸の作品をお土産に持たせてくれたりしていた。
貝殻を模した白い陶器のかけらを、可愛い小箱に詰めて渡してくれたのが、私は嬉しくて、それから毎日の様に、箱から出したり入れたりして眺めていた。
古山さんは、他の子達より少し身体付きが大きくて、成績も良くしっかりしていて、先生とのやり取りなどもソツ無くこなすタイプだった。
自分がスイセンされない為には、都合の良い誰かをスイセンするのが鉄則、という真理を心得ていて、着々と準備を進め、機を逃さず実行に移す力を備えていた、やり手の小学生だったのだ。
一方、黒いランドセルを背負って鎌倉の学校から転入して来た子は、おとなしくてあまり喋らず、やりたいのかやりたくないのか、自分の気持ちも表に出さず掴みどころのないタイプ。
来たばっかりでアウェイな所をどさくさに紛れてターゲットにされているのに、顔色ひとつ変えず呑気な物である。
皆、遠巻きに様子を伺っていた。
与えられたポジションの居心地の悪さにスポットを当て続ける程の集中力や持続力を全く持ち合わせていない私は、学級委員なぞという肩書きを他人事の様に遠くに聞き、感じていた。
表情一つ変えず向き合っているとも見えるその姿に、この子は満更でもなさそうだと、クラスメイト達はまんまと合法的に責任逃れを果たし、皆がホッとしていた。
一学期も終盤となる、ちょうど梅雨の頃だったか。
朝の校内放送で、学級委員向けの放送が流れた。
「七夕の笹を昼休みに配りますので、各クラスの学級委員は取りに来て下さい。」
寝ぼけた頭で聞いていたので、自分が行く訳だ、と即座には気付かなかった。
反応の薄さを憂いた近くの子が助言をしてくれ、(昼休み、笹、取りに行く。)と脳に書き込んだ。
給食を時間内に無事食べ終えて、友人達と梅雨の晴れ間の校庭に出て遊んだ。
貴重な青空をたっぷり味わって、自然と笑顔になっている時間。
(ああ、楽しかった〜。)と教室に戻ってみると、キツい目をして女の子達が咎めて来た。
「うちのクラスの笹は?!」
目の前が真っ暗になった。
慌てて走って取りに行くと、たった一本、元気の無い笹がぽつねんと残されていた。
贔屓目に見ても、見栄えのしない余り物。
「福がある」と切り返すのは、一休さんでも無理があると思われた。
あの時はさすがに凹んだ。
皆に悪い事をしたなあ、と心が傷んだ。
ただ、次期からはもう二度と、学級委員にはスイセンされない様になったのだった。




