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24,サイフォンの原理


父の会社の社宅は、敷地内に二棟建っていて、1号棟は13階建ての大きなビルで、立派なエレベーターを二基備えていた。






それに対し、私の住んでいた2号棟は4階建てで、エレベーターなぞは付いておらず、1号棟の裏に、後からひっそりと建てられ、日照権など元々主張する権利も与えられていないも同然の立地であった。






ビジュアル的にも、1号棟の陰に隠れているオマケみたいな2号棟だったが、こじんまりとして小さい分、入居者同志の距離は近くなり、顔なじみの人達がたくさん出来て、それは楽しい日常生活であった。






年齢的にも似たり寄ったりの奥様達は、顔を合わせればにこやかに挨拶を交わし、ウイットに富んだジョークを交えながらのおしゃべりに花を咲かせる。






そんな場面に私が居合わせると、ちょうど小学校の中高学年という微妙な年齢であった事もあり、大人達に無邪気に絡んで行く事は出来ず、かと言って、ツンケンするのも無理があり、身の振り方にいつも困惑していたものだった。






結果的に、母の身体の後ろに何となく隠れるようなスタンスを取って、気配を消している事になる。






立ち話はたちまち井戸端会議へと発展して行き、所在無さげに突っ立っている私の立場は、ますます難解なものになって行く。






ひたすら俯いて、井戸端会議に決着が付くまで耐え忍ぶのが常であったが、「ではまた後ほどね。」というお別れの言葉の後に、必ずと言って良いほど、「お姉ちゃんは、本当に大人しいのねえ。」と付け加えられてしまう。






「私に似て内気なのよ。」と母が返すのも、飽きもせず毎度の事であった。






内気?内気ってなんだろう?






少しモヤッとしながら、まるで人生の難問を熟考するが如しに、舌の上で飴玉を転がす様に繰り返し考えていた、思春期手前のオタク女子であった。






仲良し奥様グループで、と言っても、窓からひょいと顔を出せば誰彼となく声をかけられて、顔を出さなくとも窓の下から大声で呼び出されて、2号棟裏の物置の前のスペースで、何かとイベントが組まれていた。






ある時は、バーベキュー大会。






お父さん達は出勤している平日に、昼間から一杯やっていたかどうか定かではないが、奥様達がチビッ子達を連れて、青空バーベキューを楽しんでいた。






思春期予備軍の私は、母に促されても、その場に行く事を断った。






留守番してる、と言い張り、母が届けてくれるお肉や焼きそばのご相伴に預かった。






焼きたてのアツアツ、とはいかない少し冷めた焼きそばを頬張ると、バターの香りが鼻をついて驚いた。






どこかのお宅の若い奥様が、焼きそばをバターで炒められる習慣なのかな。






よそのお宅の中の家庭事情を垣間見るのは少し恥ずかしい様な、後ろめたい様な気がして、底抜けに、美味しい!と感じられない自分を持て余していた物だった。






夏休みが来ると、大きなビニールプールが設置されて、子供たちが存分に水遊びを楽しむイベントもあった。






1階の我が家のお風呂場の小窓を開けてホースを通し、プールまで渡して水を張る。






花壇の縁に置かれたプールに、なみなみと水が溜まっていったが、飛び込んだ子供たちは、冷たい!と言って飛び上がっている。






さあ、水温を上げるためにどうしようかという話になって、様々な策が練られた。






やかんで熱湯を運ぶ、バケツリレーをする等、各々がワイワイ言っている。






すると、手にしたホースの先をじっと見ていた母が、黙ってトイレにでも行ったかと思ったらすぐに戻って来て、やおらホースを口にくわえた。






そこにいた人達の視線を独り占めしながら、渾身の力を込めて、ホースを吸い始めた。






思いっきり吸っては、息をつく。間髪入れず、また吸い付く。






何度繰り返していただろうか、「ペッ。」と言って母はホースを口から外し、プールの中に投げ込んだ。






見ると、ホースの先からはしおらしく水が出ている。




いや、水じゃない。お湯だ!






みんなが、歓声を上げた。






お湯が引けてる!どういう事?






魔法使いは因島の和子おばちゃんだと思ってたのに、まさかママも魔女だったなんて。






大袈裟でなくそのくらい驚いた。






タネを明かせば、母はさっき一旦お風呂場に行って、水道の蛇口にはめてあったホースを外して、温かい残り湯が溜まっている湯船の中に突っ込んで来たのだと言う。






そしてもう片方のホースの先をプールに放り込めば、浴槽より下の位置にあるプールの方に、お湯がホースを伝って流れ落ちて行くのだと言う。






ただ、それには条件があり、ホースの中を気密状態にしないといけない。






その為、ホースを吸ってお湯を導き、ホース内を水分で満たす事に成功したという事だった。






結果、浴槽との高低差が2〜3mは優にあったプールをめがけ、我が家のお風呂の残り湯が延々と注がれ続けた。






原理的には、浴槽のお湯は残らずプールに流れ落ちた算段となる。






奥様方の賞賛の声に包まれ、嬉々として遊び始める子供たちの姿を嬉しそうに見やりながら、「昔、学校で習ったから。出来るかな、と思ってやってみたのよ。」






母はそんな風に言っていた。






後々になって、中学校の理科で習う、サイフォンの原理という物を実践したのだという事がわかった。






学校で習った事を、机上の事として済ませる事無く、日常生活の場面で実際に生かせるなんて、ママはすごい人なんだなあ、と漠然と思った出来事であった。


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