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22,母と自転車と私


社宅から最寄りの鉄道駅まで、バスの路線があるにはあったが、遠回りのルートになっていた。




家からは、単純な一本道を辿れば駅までつながっているのだ。






そこで母は、日常の買い出しに中通り商店街まで繰り出すために、自転車を便利に使い始めていた。






買い出しに一緒に行きたがる小学生の娘のためにも、奮発して、新品の自転車を買ってくれた。






補助輪の音をガラガラガラガラ言わせながら、社宅の敷地内のアスファルトの道で、毎日の様に練習をした。






まっすぐ走る事が出来る様になると、補助輪付きでもお買い物デビューが許されるかと思われた。






ただ、颯爽と走る母の後ろから、娘が危なっかしくガラガラと着いて行く事態に、私は特に不都合を感じる事はなかったが、見栄っ張りな母にとっては、無論不具合なのであった。






買い出し同伴禁止令発令の後、じっくり月日をかけて練習し、ようやく補助輪から開放された私は、身も心も軽く、母と並んで自転車を走らせ、駅前の西友に向かっていた。






意気揚々と、西友の入口付近の自転車置き場に駐輪して、足取りも軽く買い出しに同行した。






帰り道にてくてく歩いたり、遠回りのバスに乗ったりしなくても良いのだ。






一直線に我が家に帰るのに、ものの10分しかかからないではないか!と、ちょっぴりサバ読みながら意気込んで駐輪スペースに出て来ると、私の置いた場所に、自転車が無い。






母が止めた自転車の隣に私も止めたのだが、母の自転車の隣にあるはずの、赤い自転車は、なくなっていた。






駐輪スペースを見回すが、どこにも無かった。






私の身体の大きさにピッタリ合うサイズの、こぎやすい自転車だった。






何より、その日は補助輪を外せた後の、最初の外出の日なのだった。






「無いね。」




しばらくあちこち探していた母は、間もなくそう言って自分の自転車のスタンドを蹴った。






「歩いて帰りなさい。」






ノロノロ運転で進む母の後ろに着き、早歩きで歩いた。




鍵だ。




あの自転車には、鍵が付いていなかったのだ。






初めて乗ってお出かけした日に、いきなり盗まれてしまった訳だった。






赤い、乗りやすい、やっと補助無しで乗れるようになった私の自転車には、お別れを言う時間もなかった。






社宅は、駅の方面から幹線道路までの間を結んで新しく整備された、直線の道沿いに建っていた。






そのため、所々にある路地に入って行くと、細めの旧道に抜ける事が出来た。






旧道沿いを歩くと、小さな川が流れていて、道端の雑草も心地よく、古くからある文房具屋さんの佇まいも素朴で、時々消しゴムやシールなんかを買いに寄っていた。






一人で百円玉を持って行くこともあったし、宏代ちゃんと二人で行く事もあった。






旧道に沿って流れる細い川が、ほぼ90度進路を曲げる区域があった。




そして、曲がった川に沿う様にして、小道が伸びていた。






ちょうど川が進路を曲げるそのポイントの所で、一度宏代ちゃんと立ち話をしていた事があった。






細い道なので、ガードレールはなかった。




川の方で話していると危ないのでなるべく離れて、そこの角に建っていたいつもの文房具屋さんの壁に二人で並んでもたれて話していた。






ほぼ直角に曲がる川の水の動きが目の前に見下ろせる。






一旦、直進して来て勢いよく岸辺にぶつかった水が、もんどりうって慌てふためいた挙句、新しい方向へと吐き出されて行く。






次々と水が流れて来て、方向転換に苦戦している。




見ていてちっとも飽きなかった。






随分と長い時間そうしておしゃべりしていただろうか、旧道を、向こうから自転車に乗ったおじさんがこちらに向かって走って来るのが見えた。






そして私達が壁にもたれて足を投げ出し気味にしていた曲がり角を、自転車のスピードを緩めずに曲がって来た。






宏代ちゃんと二人、慌てて足を引っ込めたのだが、曲がり角の先はとても細い小道。




宏代ちゃんの足に、おじさんの自転車の前輪が接触してしまった。






あっと思う間もなく、おじさんの自転車はバランスを崩して、川の曲がり角の水の中に落っこちてしまった。






一瞬、反応出来ずに成り行きを見守ると、おじさんは何やらたくさんの悪態をつきながら、自力で自転車を道に持ち上げ、自らも陸に上がって、無傷で走り去って行った。






「びっくりしたねえ。」






でもおじさんが怪我しなくて良かった。事故になっていたら、それはそれは恐ろしかっただろう。






事故。




事故と言わないまでも、私もその後、文房具屋さんの前で、自転車で転ぶ事になる。






西友の駐輪スペースで盗まれた自転車について、ガッカリはしていたものの、未練たらしい事を言った覚えはないのだが、私は新しい自転車を買い与えられていた。






今度は身体の大きさにピッタリの物ではなく、成長後もしばらく乗れる様にと、少し大きめの物を与えられた。






大きめなので、足をスっと地面につく事が難しく、バランスを上手く取るのは難易度が高かった。






その新しい愛車で、いつもの文房具屋さんに、可愛いシールや鉛筆を買いに行った時の事だった。






お目当ての商品をゲットして、店を出て自転車にまたがり、こぎ出そうとしていた時、私とすれ違う形で車が通った。






狭い旧道で、車の幅は道いっぱいいっぱい、と子供の目には写っただろう。






私は大きめの自転車にまたがったまま、まだ走り出していなかったから、バランスが取れない。






足をつこうにも、車側についたらひかれちゃうじゃないか!






自転車から降りる空間的余裕も無く、私はバランスを崩して自転車毎倒れた。






ガシャン、と派手な音がして、私は自転車と共に文房具屋さんのガラス窓に突っ込んだ。






きっと車は止まってくれるはずだと、顔をあげて期待して見たが、車は何事もなかったかの様に、スルスルと行ってしまった。






お店の中から、おばさんが出て来たので、事情を話した。




怪我はなかったし、自転車も壊れていなかったが、文房具屋さんのガラス窓にヒビが入っていた。






私の手落ちで転んだのではないし、わざわざガラス窓をめがけて突っ込んだのでもないのだが、おばさんは、弁償、という言葉を放った。






親を呼んで来る様にと言われて、私は徒歩で一旦帰宅した。






ああもうおしまいだ。




大目玉を食らうだろう。そしてまた自転車とはサヨナラだ。




どこまで自転車に縁がなかったのだろう。




そんな事より、後でまたママに叩かれる。




頭かな、腕かな。この前は足だったな。怖いな。






恐怖で身もすくむ思いで、その後の運びはほとんど上の空だった。






夜になり、翌日になった。






何も起こらない。






身構えて過ごしていた私の、頭も腕も足も、叩かれる事なく、無事である。






拍子抜けした。






どんくさい娘のせいで弁償させられて、母は怒っているのではないのか?






私はそれからもしばらくは母の一挙一動に気を張って生活したが、どうも、今回の件に関して母は怒りを感じていない様だった。






今思えば、娘が車にひかれず、ガラスで怪我もせず、無傷であった事だけで、母は安堵したのかも知れなかった。






それはそうと、転んでショックを受けて呆然としている私に、「車のナンバーを覚えてないの?!」




とまくし立てたのは、母だったのか、お店のおばさんだったのか。






キーハンターのドラマでもなし、市井の小学生が、そんな芸当はやってのけられないだろう。



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