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21,女優さん


「後で、持って来るね。」




「バイバーイ。」




転校先の小学校で、クラスも通学経路も同じ宏代ちゃんと仲良しになった。






宏代ちゃんとは、月刊の少女漫画雑誌を交換し合って、お互い二種類の雑誌の読者になっていた。






私が「りぼん」を買って、宏代ちゃんが「なかよし」を買う。




読み終わった頃、取り替えっこをして、お互いの雑誌を読み合う仕組みだ。






月刊の分厚い漫画雑誌をランドセルに忍ばせて行く事ははばかられ、下校後や土曜日の午後などに、私が住んでいる社宅の敷地入り口の門の所で受け渡しをしていた。






学校ではとても仲良しなのだが、放課後は意外とお互いの家に行って遊ぶ事があまり無かった。






宏代ちゃんは、北鎌倉の駅にほど近い、見るからに歴史のある古民家に住んでいて、小高い山の裾部分の切り通しが目前に見える場所だった。






切り通しの岩壁が歴史を雄弁に物語っている、子供心にもどこか特別な佇まいを感じる土地だった。






読み終わった「りぼん」を渡して、「なかよし」を受け取る。




部屋に帰って読んでいると、こちらの雑誌のラインナップの方が面白くてゴージャスな様な気がしてくる。






手元に置いておく物が豪華な方が良いに決まっている。




私が「なかよし」を買う方なら良かったのに。






毎月、そんな事を思いながら読んだものだ。






隣の芝生はかも果てしなく青いのであった。






さて、いつもの様に、読み終わった雑誌の受け渡しを終えた私たちが、社宅の敷地内に設置されたブランコやジャングルジムなどのある広場でとりとめのないおしゃべりをしていると、学年が下の子供たちが、にわかに色めきだって歓声を上げ始め、私たちの所にも駆け寄って来て、耳より情報を伝えてくれた事があった。






社宅在住以外の子供たちも、遊具のある広場には日常的に出入りしていて、それはにぎやかな社宅であった。






普段見かけない子まで集まって来て、何やら駅前の焼き肉屋さんに行くと言う。






地元では美味しいと評判のお店で、引っ越して来て間もない我が家も、家族で行った事があった。






その焼き肉屋さんが一体どうしたのかと言うと、ドラマの撮影をしているらしい。




厳密に言うと、撮影が終わった人達が、焼き肉屋さんに入ったという情報だったのである。






カメラマンや、色々と道具を持って運んでいる人達がみんなで焼き肉を食べに入ったらしいと。






極めつけは、主演の女優さんの名が飛び交った事だった。






放送日の翌日は、「見た?」の一言でお友達とわ〜っと盛り上がる程、みんなハマっていたドラマに出ている、あの女優さんが?






情報の真偽にこだわっている場合ではない。




焼き肉を食べ終わってお店を出て行ってしまう前に、何としても駆けつけなければ!






「サインもらおうね!握手してくれるかなあ?」






宏代ちゃんも当然、一緒に駅までひとっ走りする物と思い込んで聞くと、このあと用事があるから行かれないと言う。






「サインもらって来てね!頑張って!」






取るものも取りあえず、ノートと鉛筆だけ持って、子供たちの集団に加わり走りに走った。






駅まで結構な距離があったので、休まず走っても15分はかかったはずだが、問題のお店の前に到着すると、先着組の子達が、「いるいる!」と口々に言っている。






半信半疑で、店の入り口のガラスドアの中を覗くと、なるほど本当に見慣れた顔の女優さんがいた。






こちら側に向かってテーブルに着き、お隣の人と話したりしながらお肉を焼いている。






焼いているんだから、まだまだ出て来ないだろうな。






知らない年下の子達と、お店の前で突っ立って待っていた。






すると、思いのほか早く、一行がお店から出て来たのだ。






子供たちはわっと女優さんを取り囲み、手に手に持っている紙にサインを書いてもらっている。






感心なことに、ちゃんと色紙を用意していた子が結構いたので驚いた。




あの短い時間で、どうやって調達したのだろう、と考えているうちに、私の番が回って来た。






ほぼ最後の方で、待っている子はちらほらしかいない。






立派な色紙と違って、使い古しのノートの紙面を差し出すのが、申し訳ない気がした。






ものをハキハキと言う習慣が身についていない小学生だった私は、サインを書いてもらってノートを手渡してもらったあと、お礼の言葉もモゴモゴと不明瞭なままに、ノートのページをめくって不躾な要求を述べる。






「もう一枚下さい。」






撮影終了後でお疲れの所だったろうに、女優さんは再び私の手からノートを受け取り、サラサラとサインをしてくれた。






宏代ちゃんの喜ぶ顔が浮かび、飛び上がりたいほど嬉しかったのだが、次の瞬間には胸が詰まってしまうのだった。






女優さんのきれいなお顔を真近に見上げて、ドキドキしていた私の目に、あからさまにしかめっ面になった表情が飛び込んで来たのだ。






「二枚も必要なの?」






ノートを返してくれる時には、ため息混じりにそう言っていた女優さんだった。






来る時とは打って変わって、帰り道は一人とぼとぼ歩いた。






手にしたノートは、大切な物の様でもあり、あまり見たくない物の様でもあり。






家に着くと、「サインもらえたの?」と母が楽しみに待っていた。






「二枚も必要なの?って言われた。」






自分の部屋で机に向かい、宏代ちゃんの分のサインを見つめた。






(ひろちゃん、頑張って行って来たよ。)






きれいな女優さんをムッとさせてしまった事が、悲しかった。






一緒に行かれなかった宏代ちゃんのために、勇気を振り絞ってお願いした事で、女優さんを怒らせちゃって、私も怒られちゃった。






なんだかやり場のない気持ちである。




こういうのをやるせないって言うんだろうな。






行き場の無い私の心。






解決策としたのは、女優さんのサインの紙の裏に、私のサインを鉛筆で書き込む事であった。






多少遠慮して、筆圧は軽めに。相当なくずし字である。






「私のサイン。わかるかな?」




などと添え書きして、次の日学校で宏代ちゃんに渡してあげた。



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