17,鈴と涙
私の住んでいるアパートがある集落を貫いている小道の奥の方から、毎朝、登校時に玄関まで迎えに来てくれていたお友達の名前は、カタカナで書く、マリちゃんだった。
垢抜けた名前は、そのままマリちゃんの人物像を明確に表していて、目尻の少し上がった勝気そうな目元と、常にキュッと閉じた口元が印象的な、見るからに利発そうな子供だった。
マリちゃんのランドセルには(言うまでもなく赤い色のそれだが)、小さな鈴が結び付けてあって、歩く度に、一歩一歩進む足の運びと同じリズムで、鈴が一緒にシャンシャン、と元気に鳴るのだった。
毎朝、学校の支度をして待機していると、アパートの建物の角くらいから、数世帯分の玄関前を通り過ぎて、一番奥である我が家に向かって、シャンシャン、シャンシャン、と安定したテンポを保った鈴の音がクレッシェンドで聴こえて来る。
鈴の音が一層盛り上がって、いざフォルテとなると同時に、「たーまちゃん!」と、半分透き通ったビードロガラスの様なマリちゃんのソプラノが響く。
待ってました、とばかりにおもむろに玄関のドアを開ける私。
「おはよう!」
マリちゃんの美声に連られて、私も元気な声をあげた。
シャンシャンシャンシャンシャン、「たーまちゃん!」
今でもありありと思い出して口ずさむ事が出来るフレーズである。
登校時はマリちゃんと一緒でも、時々、下校時は一緒でない事があった。
そういう日は決まって、母が、バスに乗って帰って来なさいと言った。
バス停をいくつも通り過ぎて、小学校低学年の女の子が一人で歩いて下校するのは、安全とは思えなかったのだろう。
「泉水橋で降りるのよ。いつも通ってるからわかるでしょ。」
確かに、ひとつ学校寄りのバス停に近いおばあちゃんの家に行く時も、道路を渡った向こう側の集落に住んでいる、ピアノ友達のよし子ちゃんの家に行く時も、何度となく歩いているバス通りであった。
その日は、初めてバスに乗って帰る日だった。
母に持たせて貰っていた運賃の小銭を、何とか無事に取り出して握りしめ、バス停に立った。
バスを待っている人がいたので、乗る時はその後に着いてスムーズに乗り込んだ。
「発車オーライ!」
当時は、車両の中ほどのドアから乗車も降車もするシステムで、ドアの所には車掌さんがいた。
私は、乗り込むとすぐ、車掌さんの近くの手すりを持って立ち、降りるバス停を間違えない様に、と早々に身構えていた。
「次は、浄明寺。」
車掌さんが、車内アナウンスをする。マイク越しではなく、肉声だった。
まだ大丈夫大丈夫。
しかし、歩いて移動する道路と、バスの中から見る景色とは、全く別物だった。
あれよあれよという間に、私は自分が降りるバス停をやり過ごしてしまった。
あ、景色が違う!見た事もない所だ!
焦った私は、車掌のお姉さんの方を向いて、「今、降りるんだった。」と半泣きで訴えた。
「降りるんだったの?」
車掌さんは、「十二所、次、止まりまーす。」と、前方の運転手さんの方に向かって大きい声で言った。
運賃を渡して、バスから降りた私は、既に涙腺が崩壊していた。
パニックになっても、来た道を戻れば帰れる、という事には気付いていたので、さっきまでバス代が乗っていた手のひらに、今度は不安でいっぱいの心を握りしめながら、一生懸命に歩いた。
知らない道を、くねくねしたカーブに沿って、ガードレールの中を急ぎ足で歩いた時間の、長く感じた事。
このまま、天涯孤独な生涯を送るのではないかと、天の神様にもすがりたい気持ちになった。
足が宙に浮いた様な感覚のまま、半べそをかいて歩き続けていると、遠くに見慣れた顔が見えて来た。
降りるはずのバス停で待っていた母が、乗り過ごした娘が徒歩で引き返して来るであろう方角を見据えながら立っていた。
「ダメじゃないの。」
母の口から出た第一声は、こうだった。
言われた私も、(本当にダメだ。私はダメだ。)と思ったけれど、ママが待っていてくれて嬉しい、という安心感の方が大きくなって、半泣きが大泣きになった。
「大変だったね。でも頑張ったね。一人でバスで帰って来られて、すごいね。次からはもう、間違えないで降りられるよ。今日は間違えても、歩いて戻って来られたね。偉かったね。」
母が娘に伝えたかったのは、本当はこういう言葉だったのではないかと思う。
昔は、子供を甘やかす物ではない、という不文律があったのではなかろうか。
厳しくしつけるのは、子供が人に甘えず、自立した人間になる様に、との願いが根底にあったのだろう。
ただし、人は自分だけで生きて行かれるものではない。
周囲にきちんと甘える事が出来て初めて、自立への道が開けるのではないだろうか。と、もっぱら厳しくしつけられた私は、そう思っている。




