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〜母と過ごす 15,感服


父の意見は盛り込まれる余地もなかったのだろうと予想されるが、母は娘に、小学校の六年間を真っ黒いランドセルで過ごすという苦行を問答無用に課す事を、自分自身に許した。






あくまでもNOと言い続け、断固登校を拒否し、赤いランドセルを所有する権利をとことんまで主張する資格は私にだってあったはずだ。






未使用であったら、購入した店舗に事情を話して、商品を交換してもらう事だって決して難しい事ではなかったはずだ。






しかし私は、どういった訳か、好きになれないピアノの様に冷たく黒光りのする、高級本革製の重たいランドセルを背負って、新一年生となった。






100名以上の新入学児達がコロコロじゃれ合いながらの登下校時に、紺のスカートとピンクのシューズをはいた、前面から見ると間違いなく女児と思われる児童が、背面に回るなり、黒のランドセルを背負っている。






基本的に、身体とランドセルの大きさの対比として、背負われていると表現する方がふさわしいというのは他の子と同じではあるが。という風に眺めた教員も少なからずいたであろう。






お兄ちゃんのお下がりかな、と児童の家庭の経済状況を案じる人や、のっぴきならない家の事情について想像を巡らす人もいたかも知れない。






兎にも角にも、私のランドセル姿を目にした人物は、(新一年生なり。前途に幸あれ!)という様な祝福のエール以外に、何かしらの思いに、心を波立たせたのではないだろうか。






普段からボーッとして過ごすのが好きで、出来れば大勢の中に埋もれて目立たず、みんなと一緒に漂っていたいだけの子供だった私なのに、ランドセルに関わる記憶をたどるとそこには、対面する相手の、戸惑いにも似た表情や感情を感じ取ってしまい、逆に、ご心配おかけしてすみません、という様な、申し訳ない気持ちを抱いてしまう自分がいた事に気付かされる。






入学した、鎌倉市立の小学校では、判で押した様に、黒いランドセルは男児しか背負っていなかった。






少なくとも市内の小学校の新入学児童の中に、私学を除いて、例外はいなかったであろう。






そういう時代だった。






私自身、受け入れられない気持ちが燻っていたのではないかと思い出されるエピソードがある。






ある朝、登校前に母が、私の耳掃除をすると言った。






私が、耳の中で何か音がする、とでも言い出したのだろうと思われるが、耳かきを探している時間がないと母は判断し、自らの髪からピンを外して、それを使って私の耳の中を調べた。






それが痛かったらしい。




ヘアピンの尖った先端が耳の中を引っかいた程度だろうと思われるが、そこまで泣く程の痛みではないだろう、というくらいのわめき声を、私はあげ、そして泣き続けた。






一緒に登校していたマリちゃんが玄関先に来てくれたので、靴を履いて出かけながらも、泣き続けている。






いつもは玄関で見送る母が、心配して、泉水橋の所まで着いて歩いて来た。






泉水橋を渡って、バス通りの歩道に出ても、滑川を挟んだ向こう岸にいる母にまで届けとばかりに、一層大きな声で泣きわめく。






泣きながら、マリちゃんにおはようも言っていないと気付いているのに、泣き止むタイミングが掴めなくて、意地になって泣いているのだ。






青砥橋、浄明寺とバス停をやり過ごし、観音様の下まで行けば学校は目の前だ。






子役の様にわあわあ泣きながらも、着実に歩みを進められたのは、途中からマリちゃんが私の手をしっかりと握ってくれていたからだった。






歩道で行き合う大人が、号泣している子供に驚いて視線を落とす度、マリちゃんはバツが悪そうな顔をしてうつむいていたが、そのうちに、埒が明かないと察したのか、私の手を取りずんずん歩き始めた。






引き摺られる様に歩いていたわからず屋の私も、校舎が見えるくらいの場所まで来ると、ようやく泣き止む努力をし始めた。






波が引くように泣き声が収まると、何事も無かったかの様に手を放すマリちゃん。






面倒かけてごめんね。




還暦越えのおばちゃんが、あの時の小さな可愛いマリちゃんに心からお礼を言います。






私はと言えば、もちろん感謝していた。




今日はマリちゃんが学校に連れて来てくれたと思った。






ただ、感服していた。




あんなに賢くてしっかりした、赤いランドセルを背負った女の子の様には、私は一生なれない、と思っていた。


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