14,アカデミック
いとこの知恵ちゃんの家にも、我が家と同じ様にアップライトピアノがあった。
広い一軒家だったから、居間の隣の六畳間に、ドーンと単独で置いてあった。
知恵ちゃんがピアノを始めたのは、私が始める少し前の時期で、我が母と同じ様に、手に職を、を考えた桂子おばが、きっかけを与えた様だ。
おば自身も、幼稚園の教諭の採用試験に備えて、ピアノのレッスンを受けた事はあった様だが、娘に手ほどきするだけの技量と余裕はなかったと思われる。
おばの遠い親戚にあたる女性が、東京の音楽大学を出られて、おばと同じ郷里の島で、ピアノ教室を開いておられた。
卒業されて間も無い、お若い先生だった。
一度、知恵ちゃんのレッスンに着いて行った事があるが、レッスンが終わって帰途に着く知恵ちゃんを、手を振って見送ってくれていた先生の姿が印象的だった。
親戚の娘さんが、音楽大学を卒業後に、生家に帰って来てピアノ教室を開く、というシナリオを、おばはいたく気に入って、いわゆる跡継ぎの男の子が産まれなかったおば家の、将来の保険にしようと考えたという流れだろうか。
家で練習にいそしんでいる知恵ちゃんの姿はあまり見た事はないが、週に一回のレッスンには、ちゃんちゃんと通って行っていた。
園長先生をしていたおばは、日常の勤務に慢心する事なく、常に探究心を持ってアンテナを張り、教育関係の研修などにも積極的に参加し、勉強を続ける人だった。
東京で開かれる研修会に参加するために、二人の子供の世話を夫に託し、単身、泊まりがけで上京する事も、一度や二度ではなかった。
御茶ノ水あたりの学生会館はしょっちゅう利用していた様だ。
時には、鎌倉の我が家に泊まって行く事もあったが、島で見る快活さを更にアップデートさせた様な、職業婦人モードのおばは、まるで別の世界から飛び込んで来た人の様に、眩しかった。
当時、女性が大学まで進学する事は、相当恵まれた環境と、涙ぐましいまでの本人の努力と根性が必須であった事だろう。
大田家では、6人兄弟のうち男子三名は大学に進学したが、女子は長女しか行かせて貰えなかった、と、母がよく言っていた。
女子の中で唯一、進学させて貰えた桂子おばは、自分も学びたかったと感じているであろう妹達に顔向けする意味もあったのか、幼児教育の真髄を学びたい、とまで言って、本当に努力を重ねている人だった。
熱い向学心や、限りない探究心。
家の中には、いつもおばがかもし出すそんなアカデミックな雰囲気が溢れていた。
いつもボーッとしている私などは、端っから場違いな存在であったのである。




