12,おんぶ
母の長兄である年雄伯父ちゃんの事が、私はとても怖かった。
年雄伯父ちゃんのすぐ下の、桂子おばの怖さと似通っている部分があるからという理由は、まず挙げられるだろう。
つまり、声が大きくて、周りの者に理不尽な命令を威圧的にして来るから。という物だ。
うっかり近くに寄ると百発百中、餌食にされるという結末までよく似ていた。
「ビービー言わんようになってから来い言おんのじゃー。」
切れ長の、意志の強さがよく表れている目で、キッと睨まれる。
恐怖で息も詰まりそうになり、私は蛇に睨まれたカエルどころの醜態ではなかった。
エメラルドグリーンとトルコブルーをブレンドして、気持ちだけ金粉をまぶした様な瀬戸内の穏やかな海が、真っ青に抜ける空を写しているそのすぐそばで、道路一本を挟んだ大田商店の、店先からも良く見える部屋の、海に沿った窓際に、年雄伯父ちゃんはいつも座っていた。
木の床の上にゴザを敷き詰めてある様な部屋であったから、伯父ちゃんが座る場所には、座布団が敷かれていた。
定位置が決まっていて、窓枠に肘などを預けながら身体を支えて、お店に来るお客さんや、隣の居間にいる家族などに、大きな声でいつも話しかけていた。
三人の子供たちに、何かと難癖を付けては小言を言っていて、聞いているだけで心臓がバクバクしたものだった。
大人の男性の声にしては甲高くて、キンキンと響く様な感じの話し方だったから、伯父ちゃんの視界にはとにかく入らない様にと、私はコソコソと隠れる様にして動いていた。
それでも勘が鋭い伯父ちゃんは瞬時に私の動きを察知して、「珠代はそこでなんしょんね?!」と、居間や台所にいる人がわざわざ見に来る程に、甲高い声で暴露する。
悪事がバレた様な気持ちになって、すごすごと伯父ちゃんの前に歩み出て、公開処刑の憂き目を見る事は往々にしてあった。
そんな伯父ちゃんが大きい声で呼びつけなくても、時おり伯父ちゃんの所に行っている人物がいる事には、たいがい呑気物の私でも、気が付いていた。
伯父ちゃんが座っている場所に、和子伯母ちゃんがしゃがみこみ、「ヨッコラセ!」と掛け声をかけながら、伯父ちゃんをおんぶするのだ。
伯父ちゃんの身体は、とても痩せていて骨ばっていた。
座る、と言うより、しゃがむという感じで定位置に収まっていた。
お正月に何度か家族で初詣に行った事がある川崎大師の参道で、同じ様にやせ細ってしゃがんだり座ったりして道端に並んでいる人々を見た事があり、その時の光景を思い出してしまい、恐怖がよみがえる様な気がしていた。
大師様の参道にいた人々は、戦争で怪我をして困っている人たちなんだよと、母が教えてくれていた。
手足の一部を失い、装具を付けている様子を、怖々盗み見ていた。
年雄伯父ちゃんは、装具は付けていなかったけれど、両方の足の自由を失っていた。
用を足したくなると、連れ合いにはピピッと伝わるのか、毎回、伯母ちゃんが「はい行きまっせ。」と言いながら台所から居間を突っ切ってやって来る。
そして軽々と伯父ちゃんをおんぶして廊下を闊歩して行く。
豪快な和子伯母ちゃんだけど、お手洗いから帰って来て伯父ちゃんを定位置に戻す時は、優しく衝撃が少ない様に気を付けている風に見えた。
「もっと優しゅう置いてくれ!」と伯父ちゃん。
「ちゃんと座っときんさい。」と言いながら台所に戻る伯母ちゃん。
伯母ちゃんは、いつも目が笑っていたなあ。
「伯父ちゃんも戦争に行って怪我したの?」と一度母に聞いた事がある。
広島の街も遠くない。
学校で教わった、大きな爆弾が落ちた時は、ママはいくつだったの?
6歳。と言って教えてくれたけど、伯父ちゃんの足の怪我の原因は、結局はっきり教えては貰えなかった。
怖い怖いと隠れていないで、伯父ちゃんの隣に座って、お話したら良かったのになあ。
そんな事を50数年越しで、考えている。




