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11,プロの技


飛び込みでの小学校のお受験に失敗した母は、(私のせいでは断じてない。)今後は二度と同じ過ちはしまい、と心に誓った様だ。






何事も、早め早めの準備を怠らず、日々の鍛錬に非常に重きを置くようになった。






鎌倉の、1DKのアパートで、私は幼稚園のうちは足踏みオルガンをブーカブーカと奏でて楽しんでいたが、小学校に上がると、オルガンがいきなり撤去されて、代わりに真っ黒くて冷たいピアノが設置された。






茶色くて、可愛らしい音で歌うオルガンは、そこに「いる」という感じだったが、黒光りして気位の高いピアノは、要らないのに「ある」という印象だった。






狭いアパートの部屋だし、経済的な面からも、もちろんグランドピアノではなく、行儀よく壁に沿って佇むアップライトピアノであった。






オルガンで練習しながら、少し前から通い始めていたピアノのレッスンは、一学年下にあたるよし子ちゃんと二人で一緒に通っていた。






よし子ちゃんのお母さんは、幼稚園のママ友として私の母と懇意にしてくれていた人だった。






瀬戸内のお里から、遠い関東の地に嫁ぎ、夫は社畜で、子供二人の世話はワンオペ、という境遇の母を、何かと気遣ってくれていて、母も全面的に信頼して、頼りにしていた存在であった。






「習い事はきっちり身に付けさせた方がいいよ。遊び半分なら最初からやらない方がいい。元手がかかってんだから。」






園長先生の桂子おばとは、また少し違ったタイプの厳しさを備えた方で、聞く者を大いに納得させる、説得力に満ちた語り口が特徴だった。






更に、よし子ちゃんの苗字は、大田さんと言って、母の旧姓とずばりリンクした。






アパートでポツンと心細く暮らしている母の心を、頼れる大田さんがわし掴みにするのは自明の理であった。






「うちは二時間練習させてるよ。サボってたら下からほうきでドンドン突いてやるんだよ。」






よし子ちゃんの家は一軒家で、二階のよし子ちゃんの部屋にピアノが置いてあって、一階の居間でお母さんが監視して、練習をさせているという事だった。






練習に疲れて床に座り休んでいると、一階の天井をドンドンと突いて来るほうきの柄の音がお尻に響き、飛び上がってまた練習に戻る、という寸法だ。






アパート住まいの我が家の場合は、手法をそっくり真似させて貰う事は叶わず、ほうきの代わりには、竹製のものさしが小道具として採用された。






母は手先がとても器用な人で、洋裁や編み物を得意としていて、私や妹の衣服は大抵、何でも手作りしてくれた。






色違いや、お揃いなど、妹とサイズ違いで愛情いっぱいの作品をたくさん作ってくれていた。






生地屋さんに行って、布の模様を一緒に選ばせて貰うのが好きだった。






気に入った生地が見つかると、反物の様に生地をぐるぐる巻きつけてある長い板を抱えて裁断用の台まで持っていく。






するとお店の人が、「お嬢ちゃんだったら、2メーターで足りますよ。」と言いながら、ロールケーキ状に巻かれた生地をクルクル〜っと広げて、長〜いものさしを生地の端に当て、手早く測っていく。






ここまで、と目印を決めたら、裁ちバサミで一気にザ〜っと布を裁断する。






その様子がかっこよくて気持ちよくて、いつも見るのを楽しみにしていた。






長いものさしをスっと取り出して、危なげも無く取り扱うプロの仕事は、とても所作が美しく、ひとつの完成された芸術の様だった。






洋裁好きの母も、ものさしを持っていた。






玄人はだしだったから、1メートル尺の、竹製の逸品である。






時たま、洋裁以外の用途で使われる運命を持つものさしというのがある様で、たまたま我が家にやって来ていたらしいのだ。






オルガンが好きだった私としては、冷たく光るピアノの前で、優しくない椅子に座ってやさぐれているしかなかったのだが、とある日唐突に、私の視界に、場違いなそれが入ってきた。






練習の様子を監視するために、隣りにくっ付くようにして座る母の手に、それは握られていた。






手の形が違う。




指が寝ている。






その度に、ものさしは母の手に操られ私の手の甲や指を叩いた。






痛かったのか、嫌だったのか、どうだったのか、思い出せない。






実際にそんな出来事が起こっていたのだろうか?




証拠はあるのかと聞かれれば、答えようはない。






私の頭の中にしか、その場面のメモリーはない。






鍛錬。修練。






娘の将来のために。娘が人生を切り開いて行くために。






親というものは、一心にそう願って動くものなのであろう。






叩かれた指や手の甲の痛みは、記憶には残っていない。






涙を堪えて、頑なに手をグーにして両膝に押し付け、いつまでも動かずにピアノの椅子に座り続けている自分の姿を俯瞰していた事は記憶に残っている。






根比べに負けて、母がフラフラ離れて行った場面も、思い出せる。






身体の痛みは忘れても、心の痛手は残るという事なのだろうか?






もしもあの時の母がこの私だったら、黒光りする冷たいピアノと仲良くなれる様なきっかけを、娘に与えてやりたいと考えるだろうな、と普通に思っている。


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