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「奥様、そのようなことはならさぬよう願います」

「奥様、そのようなことは…。ここは今までのお住まいとは違うのです」

「奥様、わたくしどもでいたしますので、どうかそのままで」

 聖騎士の邸に移ってから、二週間が経った。

 邸が大きいわりに使用人は十数人程度と少ない。それでも、使用人たちは初対面からアリシアを聖騎士の妻として扱ってくれている。戸惑いと反感を隠しつつではあるけれど。

 最初は奥様と呼ばれるたびにくすぐったかったが、滲む敵意に気づいてからは、奥様と呼ばれるだけで背筋がぞくっとする。

「奥様」

 広間のカーテンを開けている最中のアリシアは手を止め、振り返る。

 呼び止めた女性は、予想通り侍女頭のソフィだった。眉間に皺をよせ、険しい表情と不快感をあらわにしている。母親と近い年齢だと感じていたが、怒るともっと年かさに見えるようだった。

「何度も申し上げておりますが、そのようなことはわたくしどもにお任せくださいませ。今までとは勝手が違い、戸惑われることも多いでしょうが……どうぞお控えください。あなた様は聖騎士の妻であらせられるのです」

「申し訳ありません」

「そのように使用人相手に謝罪の言葉を口になさるのもおやめください。外の景色が気になるのであれば、控えている使用人に命じてくださいませ」

 すみません、と謝りそうになり、アリシアは急いで口をつぐんだ。

 カーテンを開けるだけでも人を呼ばなくちゃいけないなんて。なんておかしいのだろう。

 ここに来てからの二週間は、疑問と不思議の連続だった。相談したいのに、ルイスはいない。彼は王女の存在を公表するか否かで王族と議論している真っ最中なのだ。それに加えて、ルイス自身が他に用意したいことがあるということで、帰宅が遅れているらしい。

 アリシアが不満を隠して窓の外を眺めると、背後からソフィのため息と小言が聞こえてきた。

「前の奥様は素晴らしい御方だったのに…。ずっとお仕えしていたかったわ…」

 前聖騎士の妻はこの侍女頭を黙らせるほどの貴婦人であったようだ。詳しい人となりは知らないが、とりあえず、アリシアよりはずっと年上であるし、貴族としても地位の高い女性だ。

 そんな女性に仕えることができたのは、侍女頭の自慢であり、誇りだったのだろう。だからこそ、このたびの聖騎士の妻が気に食わなくて仕方がないのだ。行き遅れで、世間知らずで、教養も普通。見た目も美人ではないし、気品もなければ、威厳のかけらもない。まあ、あまりの落差に我慢できないだろう。

 侍女のトップがアリシアを嫌えば、その下で働く者たちも同調する。だから、今、アリシアはこの邸で孤立しているも同然だった。侍女たちはソフィほど態度に出さないが、よそよそしい。この家で権威のある者はいったい誰なのだろう。

 しかし、侍女頭に嫌味を言われようが、そんな人と比べられたところで、アリシアの腹は立たなかった。単純に「はあ、立派な方なんですね」としか思えないのだ。残念ながら比較されるのも、下に見られるのも慣れている。賭けにだってされたくらいだ。勝ちたくても一度も勝てなかった比較対象――妹に比べれば、他は心に響かない。

 鼻息荒く出て行った侍女の背中を見送り、アリシアは外を眺めた。

 この邸は、聖騎士のために用意されたもので、十分な敷地がある。城からそう遠くない距離に位置しており、窓からは国王の住まう城がよく見える。城を守るように、他にもいくつかの塔がそびえ立っていて、物々しい雰囲気だった。

「…ルイス」

 聖騎士は基本的に城に常駐し、邸には仕事の合間に戻る程度だという。前聖騎士も最初は熱心に時間を作っては帰ってきたそうだが、年々戻ってくる時間が減り、最終的には邸に戻らなくなったそうだ。

 話には聞いていたが、やはり寂しいしこの先を考えると不安になる。しかし、ルイスはそうならないよう努力すると言ってくれた。

 先のことばかりを考えてもどうしようもない。

 今は王族の呪いのことと、聖騎士の妻は何をするのかを知らなくては。どちらも話される機会は数日後に控えているが、ただ待っているのが退屈だった。

 何もすることがないのだ。寝て起きて食べてただ過ごす。仕事もなければ、話し相手もいない。最初だけだと信じたいが、これが続くのかもしれないと思うと、怖くなった。

 せめて、一緒に過ごしてくれる人がいてくれれば心強いのに。そっけない侍女たち、嫌味な侍女頭、距離を置いている執事、自分の仕事を黙々とこなす使用人――ここには誰もいない。

 すぐ弱気になってしまうのは、ホームシックだろうか。アリシアは暗くなる気持ちを切り替えるように、顔を上げた。

「邸の中はだいたい見て回っちゃったし、何かしたいなぁ。ちょっとだけ外に行ってみようかな。でもダメよね、ルイスに迷惑かけちゃうし、ソフィに小言を…これはまあいいわ。言わせるくらいのことでもしないと」

「おやおや、私の可愛いお嬢様がお困りのようですよ」

「え…?」

 後ろから聞こえた声が信じられず、アリシアは振り返るのをためらった。

 本当に? 本当なの?

 でも、違ったらどうしよう。振り返った先にいたのが、違う人だったら。

「パンケーキがつぶれていたのかもしれませんな、旦那様」

「そうか? だが、もう機嫌は直るだろう。アリシアの好きなものを作るんだろ?」

「どうでしょうなぁ。お嬢様が私の料理の味を覚えてくださっているか…国一番のシェフたちがふるう料理を召し上がっていたのでしょう? 私の料理など、かすんでしまって」

「――覚えているに決まってるじゃない! ビリーったら、ひどいわ」

 泣き笑いの表情を浮かべて、アリシアはビリーの胸に飛び込んだ。彼は抱えていた荷物を悩むことなく床に落とすと、アリシアを抱きとめる。

「お嬢様、少し見ないうちに立派になられて…」

「何も変わってないわ。動かないから太ったかもしれないけど」

「そのようなことはありませんよ。今も昔も、可愛いお嬢様のままですよ」

 ぎゅうと抱き着くと、ビリーは優しく頭を撫でてくれた。このあたたかい大きな手が、嬉しくて仕方がない。喜びをあらわにするアリシアに対して、隣に立つルイスが呆気にとられた顔をしていたが、彼はすぐに口角を上げる。

「喜んでもらえただろうか?」

「ありがとう! ルイスが呼んでくれたのね」

「ああ、説得に時間がかかったが、成功して何よりだな」

 ビリーに視線を向けてルイスは笑うが、ビリーは複雑な顔をしていた。

「お嬢様。この男は度胸はあるし、なかなかの性格をしておりますぞ」

 声を潜めてビリーは言う。聞こえているはずなのに、ルイスは素知らぬ顔をしてビリーの落とした荷物を拾い上げていた。

 どんな説得をしたのだろう。

 ビリーは、聖騎士の妻となるアリシアの立場を思いやって、もう自分とは関わってはいけないと言っていた。頑固な一面のあるビリーは、たとえアリシアが泣いてお願いしても譲らないところがある。その彼を説得するのは骨だったと思う。

(…なかなかの性格って、誉め言葉じゃないわよね)

 聞きたいけれど、ルイスは知らんぷりをしているし、説得に負けたビリーは少し悔しそうだ。時間が経つのを待つしかないのかもしれない。

 しかし、二人の間にはわだかまりはないようで、もう今後の仕事内容について話し合っている。

「明日は来客がある。込み入った話になるかもしれない」

「では話の邪魔にならないよう、飲み物を中心に用意しましょうかね。使用人たちが出入りしなくてもよいよう、お湯や氷のものは避けて…。しかし、新参者の私が決めていいものですかな?」

「俺はあなたを料理人としてだけじゃなく、この邸全体を見てくれる人間として雇ったんだ」

「年寄りをこき使うおつもりのようで。…人使いが荒いのは困りますなぁ」

「基本的には契約時と同じだ。――頼んだぞ」

「……かしこまりました。旦那様」

 ルイスの声が真剣なものへと変わると、ビリーもそれに応じるように変化した。

 頃合いを見てやってきた執事が案内のためにビリーを連れていく。

「ビリーを呼んでくれて本当にありがとう。少し、寂しくなってきていたの」

「どういたしまして、だな。戻れなくてすまなかった」

 忙しい彼が自分のためにビリーを呼んでくれたことが嬉しくて、胸のあたりがあたたかくなる。

「ううん、お仕事大変なのにごめんなさい。…あの方はどうなるの?」

 王女様、と口に出してよいものか悩む。ルイスには伝わったようで、頷いた。

「大々的には公表の場を設けないが、公表されることになった。明日、そのことも含めて話をしようと思っている」



 翌朝、王女や前聖騎士たちが馬車から静かに降り立った。



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