三十.33時間前
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
―
海に落ちたのだ、ということは、海水が目に入ってきて初めて理解した。
どこからか、金属をカットしているような甲高い音が激しく鳴り響いていた。
キリコは水面に浮かび上がると、自分の首元に巻き付いている腕の主を振り返って確認した。そこには、血だらけになった健が浮いていた。
キリコは健さん!健さん!と叫んだつもりだったが、声が金属音にかき消され、ちゃんと届いているか分からなかった。
ハヤトー!有生さーん!どけおっどーーー?!
キリコは力いっぱい叫んだが、鳴り続ける金属音が邪魔して、自分の声すら聴き取れなかった。
やがてその金属音は、自身の耳鳴りだということに気が付いた。キリコはしばらくの間、聴覚を失っていた。
貨物船から生じる水しぶきに煽られ、健を抱えたままキリコは波に翻弄された。
そして、先ほどまで乗っていたはずの船が目の前から離れていくのを、ただただ傍観するしかなかった。
(ああ、いったい何が起きたのじゃろ?)
キリコの頭は混乱していた。
—
33時間前。
キリコ、健、ハヤトの3名は北九州の門司港から貨物船に乗船した。時刻は午後8時になるところだった。
貨物船は全長が約80メートル、横幅は約12メートルの中型コンテナ船で、床一面真っ平らな形状をした甲板には海上コンテナが積み木のようにぎっしりと積み上げられていた。
キリコは髪をタイトにまとめ上げ、光沢のある黒い着物を着用していた。健とハヤトは黒のスーツを着用し、大きなボストンバッグを運んでいた。
搭乗口で褐色の外国人船員によるボディーチェックが終わると、金色の階級章が肩に付いた白いシャツに紺のスラックスを履いた、船長とみられるアジア系外国人が近づいてきた。
「うちゃ御門塚の久子て申します。今回は通訳と、うちん若かもんば連れて参った。どうぞよろしゅうお願いいたします。」
キリコが丁寧に頭を下げると、船長の男はガムを噛みながら無表情で頷き、視線を健とハヤトに向けた。
健は英語で通訳をしながら船長の男と握手を交わし、その場で何かを話していた。
「ハヤト、ボートを彼らに渡してくれ。取引が成立するまで預かる決まりだそうだ。」
健に言われてハヤトは頷き、肩にかけていたボストンバックを近くの船員に差し出した。
船員の男は受け取ったバッグが見た目よりもはるかに重かったことに驚き、感心した様子でハヤトに声を掛けた。ハヤトは意味は分からなかったが、笑いながら小刻みに頷いて返した。
それを眺めていた船長は初めて笑顔になった。そしてすぐに真顔に戻り、キリコのスーツケースを指さした。
「こりゃうちん荷物やけん、部屋に置く。」
キリコが言うと、健が訳した。船長はまた無表情で頷くと付いてこい、とでも言うように歩き始めた。
貨物船には、船尾付近に地上3階、地下1階建ての細長いビルのような居住棟が建てられていた。
3人は柵の代わりに2本の細いワイヤーがリングのように張られただけのサイドデッキを通り、居住棟1階部分にある窓の付いていない談話室に案内された。
入口ドアには、後付けと思しき南京錠のぶら下がったスライドロックが部屋の外側から取り付けられていた。船長はスライドロックを指さし、健に向かって何やら説明していた。
13畳ほどのその部屋には、ナットで床に固定されたテーブルとチェアのほか、二段式のバンクベッドが数台設置されていた。最後に船長の男は健と2、3言葉を交わし、部屋を出て行った。
キリコはスーツケースをそっと横に倒し、チャックを開けた。するとスーツケースの中から黒のスウェットを着用した有生が出て来た。
「有生さん、窮屈な思いばしたことかろう。ごめんなっしぇね。」
キリコが小さく声を掛けると、「いえ、大丈夫ですよ」と言って有生が笑った。
「仲介屋が到着する明後日の明け方までは、我々をこの部屋から出さない決まりだそうだ。」
健が声を低くして話し始めた。
「彼らは、…犯罪組織なんでしょうか?」
ハヤトが口を開いた。
「いや、ごく普通の海運業者が、手数料をもらって協力している程度だろう。船長はどこに何が積まれているかすら知らなそうだった。」
「現在この船には海上コンテナが100個ほどある。被害者たちのいるコンテナは出入りがしやすい外側に積まれている可能性が高い。『仲介屋』が到着するまでの約32時間のうちに、護衛対象でもある”カリスマジェンジー”を確認しておこう。」健が続けた。
「ハヤトは俺と手分けして被害者のいるコンテナをしらみつぶしに捜索、有生は船内を偵察しつつWi-Fiルーターの確認を。キリコはそのまま部屋に残って待機。」
健が手短に指示を出すと、メンバーは小声ではい!と返事をした。
「準備が出来たら有生を先に出す。キリコ、適当に船員の注意を引いて。」健がそう言うと、有生は即座に「行けます」と答えた。
キリコは頷き、「誰かー、来てんしゃーい!」と大きな声を上げた。有生はハヤトの背後に身を隠した。
やがて近くにいた船員がキリコの声に気づき、南京錠を外し部屋の扉を開けた。船員が談話室に入ってくるとキリコはすかさずテーブルの上に置いてあった電気ラトルを手に取り、潤んだ瞳で船員を見つめた。
「お兄しゃん、…こん電気ラトル、ぱげとーと。」
船員はキリコの顔を見た途端、固まったように動きを止め数秒間キリコに見とれていた。
「………うん?」健は独り言のようにつぶやき、キリコを見た。
「お兄しゃん、うちん言いよーことが…分からんと?」
キリコはそう言って船員に歩み寄り、上目遣いで船員に微笑みかけた。船員はキリコにつられてゆるんだ笑顔になり、健を見た。
健は「久子さん。」とキリコに声を掛けた。
「訳すのは英語だから、博多弁で話さなくてもいい。そして今のは、俺にも分からない。」健は真面目に言っていた。
有生はその隙にドアを出て、物陰に身を潜めた。それからしばらくして船員が出て行ったのを確認した後、再び談話室に戻りキーピックを使って南京錠を外した。
談話室のドアを開けると、上下黒のスウェットに着替えたハヤトと健が素早く外に出て来た。
アーティフィシャル・2nd・ライフ©2025 ジョウ
本作品の内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。




