三一.18時間前
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
コンテナ貨物船の甲板には、横幅 2.4メートル、奥行き6メートル、高さ2.6メートルの箱のような形をした海上コンテナが左右(横)に4列、前後(縦)に8列並べられ、3段になって積み重ねられていた。
密閉されたコンテナに人が入る場合、どこかに必ず通気口があるか、酸素を供給できる空調が施されているはずだった。また海上コンテナの扉は前面一か所のみとなっていることから、健とハヤトは扉が開けられそうな場所にあるコンテナから先に調べて回った。
ハヤトは聴診器をコンテナの壁に当て、中で物音がしていないか慎重に探っていった。おおよそ半分のコンテナを調べ終わったところで、夜が明け始めた。健とハヤトは捜索を切り上げ有生と合流し、談話室へ戻った。
「健さんと僕で約半数のコンテナを調べましたが、それらしきものは見当たりませんでした。でもまだ時間があるので、残り全部調べられると思います。」
ハヤトの報告に、「日没を待ってから残りのコンテナを調べよう。」と健が答えた。
「有生はどうだった?」
「はい、衛星電波から接続されているWi-Fiルーターは、この居住棟3階の操舵室にありました。…しかし、操舵室には日中は船長が、それ以外は当直の甲板員が四六時中見張りに就いているようで、侵入するのが難しいです。」
健は無言で有生の報告を聞いていた。
「ただ、幸いこの船のトイレはここ談話室に一か所と、2階に一か所あるのみでして、現在は2階のトイレを6名の乗組員全員で使用している模様です。」
「ではそれを利用しよう。」健が頷いた。
談話室のバンクベッドからは、仮眠しているキリコのいびきが聴こえていた。
(キリコ姉さん…色を仕掛けるときだけは、あんなに妖艶なのに…)とハヤトは思った。
有生が談話室を出ようとした時、健が有生、と呼び止めた。
「仮眠はちゃんと取るように。」
健が囁くと有生は頬を赤らめながら頷き、ドアの外に出てから南京錠を施錠した。
―
18時間前。
午前11時、船長の男は居住棟3階 操舵室のデスクでブランチを取っていた。
食事は会社から支給されている冷凍弁当をレンジで温めたものだった。男はいつものように自前のカップにインスタントコーヒーを淹れた。
食事を始めて10数分ほど経った頃、男は腹部に違和感を感じた。気のせいかと思っていたが、やがてその違和感は無視できないほどの腹痛へと変わっていった。
食べる物には気を付けていたはずなのに…。腹を下したかもしれないと男は思い、急いで下階の洗面所へ向かった。
洗面所の扉を開けて個室に入ると、便器に張ってあるはずの水がすっかり抜けて無くなっていた。男は慌ててレバーを回したが、水は一滴も流れて来なかった。
男は愕然とした。下腹部のそれはもう自分ではコントロールできない所まで来ていた。男は冷や汗を拭いながら、さらに下階へと走って行った。
予想通り、船長の男はキリコたちのいる談話室へトイレを貸して欲しいと駆け込んできた。健はもちろん、と言って船長の男を部屋へ招き入れた。
船上で仕事をする者たちは密閉された空間で集団生活を行うという特性から、衛生管理には特に気を遣わなければならなかった。
それゆえに、水の流れないトイレを使用して雑菌を繁殖させるような行為など、もってのほかだった。
すべて出し切ったあとは体調が元に戻ったようで、船長の男は口笛を吹きながらトイレから出て来ると、バンクベッドで仮眠をしていたハヤトをサングラス越しにじーっと眺めていた。
有生には、操舵室へ侵入し配線に細工をするのに10分は欲しいと言われていた。船長が部屋を出てから、まだ4分ほどしか経っていなかった。キリコは船長に話しかけようと近づいた。
待て、と言って健がキリコの腕を掴んだ。
「ハヤトに行かせよう」
健が小声でつぶやくと、キリコは「ハヤトや!」と声を掛けた。ハヤトはすぐに起き上がった。
「船長どんと6分間、楽しゅうおしゃべりしやんせ!」
キリコが言うと、ハヤトは目の前で自分を眺めている男に向かい、はにかみながら「は…はろー。」と手を挙げた。
船長の男は会話の途中からサングラスを外し、ギラギラとした目で真っ直ぐにハヤトを見つめていた。そして15分を経過しても、操舵室に戻ろうとはしなかった。
ハヤトはキリコの色戦術を真似て、男に愛想良く接しすぎたかもしれないと思った。
「も…戻らなくて、大丈夫なんですか?」
ハヤトが尋ねると、男は得意げな様子で何かを語った。
「船は自動操舵だから、実は船長が操縦しているわけではないそうだ。」
健が訳すと、ハヤトは「そうなんですねー!知らなかったー!すごーい!」と大げさに感動する素振りを見せた。健は訳していなかった。
船長の男は嬉しそうに笑ったあと、何かを言いながらハヤトの手を取りドアに向かって歩き出した。
え?と戸惑っているハヤトに対し「ハヤトにだけ、特別に見せたいものがあるから付いて来い、だそうだ。」と健が通訳した。続けて「うまくかわすんだ。」と小声で伝えた。キリコは「そんた、ラッキーやなあ!」と笑っていた。
船長の男はハヤトに同行しようとした健を手で制し、口に指をあててシーッと言うと、ウィンクをして出て行った。邪魔をするな、という意味だと思われたが、ハヤトは状況がよくわからない、といった様子で手を引かれるがままにドアを出た。
健は2人を追いかけながら、背後から「キャプテン」と呼び止めているようだった。船長の男は健の呼びかけを無視しながら、ハヤトを連れて居住棟裏のコンテナへひた向かっていった。
健は何度か「サー」と呼び掛けたがやはり無視をされ続けたあと、最後に大きな声で「ヨォ!」と叫んだ。健の口から出たとは思えないほど、粗暴な響きがした。
健の荒々しい呼び掛けに、ようやく男は歩みを止めて後ろを振り返った。
ハヤトは向かってくる健に今にも怒られそうな気がして、思わず身構えた。健は船長の男に英語で何かをはっきりと伝えると、ハヤトの肩を掴み、自分の胸元へ力強く抱き寄せた。
ハヤトは一瞬、心臓が止まりそうになった。前半は聞き取れなかったが、最後に「マイ、ベイブ」と言ったように聞こえた。ベイブ、は恋人という意味だと何かの映画で知っていたハヤトは(自分のことを、恋人だと言ってくれているんだ!)と推測し、心が躍った。
船長の男は肩をすぼめて笑いながら、しばらく健と言葉を交わしていた。そして「オーライ、オーライ」と言うと、手を払ってもう戻れ、というようなジェスチャーをした。
健に戻るぞ、と言われるまで、ハヤトはどさくさに紛れて健の胸に顔を埋めていた。
自分の額が健の頬に触れていた。これが恋人同士の距離なんだ、と思うと、興奮しすぎて頭がのぼせそうになった。
そして、いつか本当の恋人同士になれたらいいのに、と心から思った。
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