四十一話 火急
その頃……。
「フッフーン。フフン。フフフーン。フンフン……」
歩幅を合わせ、俺の隣を歩くエメは上機嫌に鼻歌を口遊んでいた。
「なぁ、エメその歌……」
「んー? いいでしょ。少し悲しそうな曲だけど、エメこの曲好きなんだぁ」
何処となく聞き覚えがある鼻歌に俺は問う。
「エメね。おじいちゃんと暮らす前は孤児院で育ったって話したじゃない? その孤児院が遊び行く公園で、たまーに見るお婆さんがね歌ってたの。それこそ三回くらいしか見た事無いけど」
「……! おい、それは……それは本当か!?」
我を忘れる程心臓が高鳴り血流が早まるのを感じる。俺が今朝からずっと考えていた事が、曖昧な不確定要素が、明白な確信へと変わりつつある。
「痛い痛い! そんなに掴まないでよ!」
そんな地獄に垂れるか細い蜘蛛の糸を見たような気分になり、俺は思わずエメの肩を強く掴み上げていた。
「……すまねえ」
苦虫を噛みつぶしたような気分になり、俺は直ぐに手を放して項垂れる。
思えば、期待するだけ期待してどん底まで突き落とされる人生だった。
そうだ。期待するな。歌だってどこにでもあるし、知ってるやつなんていくらでもいる。
やはりイディアと似ているエメの容姿は、ある意味毒なのかもしれない。
「んもー。おじいちゃんとは思えない握力だったね」
エメは怒ったような様子もなく、ヘラヘラと笑う。
「悪かったな。ついつい熱くなっちまった」
「んーんー。いいの。そんな事より、この歌が気になるの?」
「随分と昔……。俺の惚れた女が口遊んでいた歌に似てただけさ」
嬉しい時、イディアはよくこの歌を口ずさんでいた。
前にどんな歌かを聞いた事がある。
その時は、悲しい恋人の歌って言われたっけか。
それこそ、好きに理由はないとだけ言われたのを思い出す。
「ね。エメがたまに見てたお婆さん。ひょっとしたら無敵ちの好きだった人かもよ!」
「……そうだといいな」
エメの精一杯の励ましなのだろうが、返って期待が薄れた俺は生返事で返してしまう。
そんな訳が無い。確かにあの日、イディアは死んだ。俺は消えて行くイディアを目の前で見たんだ。
その光景は五十年経った今でも明晰に思い出すことが出来る。
けれど……俺が消え、魔王が結晶となり跡地に残された。
それじゃイディアは? イディアは何処に消えた……?
ダメだ。これ以上はやめておいた方がいいだろう。
いざ教会に辿り着いて全くの別人だった時、俺は今まで生きてきた中でも最大の肩透かしを食らう。
そうなっちまえば、俺は立ち直れるだろうか。
「あ、そろそろヘカテ教会へ到着だよ!」
「…………おう」
俺はエディアと同じように、何処かでイディアは生きているかもしれない。
という勝手な幻想に縋りついてるだけだ。
それがイディアの死と言う確信に迫るにつれ、生きる希望を見失いそうな気がしてならない。
だからこそ、教会へと赴く足取りは重くなっていく。
だが実際に自分の眼で確かめるまでは分からねえ。
仮に教会に居るという巫女がイディアだろうがそうでなかろうが、関係ない。
先ずナルグ王の居場所を知らなくっちゃならねえ。
……今やるべき事はそれだけだ。
「ついたぁ!」
「……っけ。昔となんら変わらねえな」
聖ヘカテ教会。白亜の壁を基調とし、まるで豆腐を大小と重ねたような形をしているこの建物は、五十年前となんら変わっちゃいない。強いて言えば、所々白壁に汚れが目立つくらいだ。
此処に……神の力を勇者へと授ける巫女がいる……。
俺は念のために胸ポケットの葉巻を確認した。
使う事も無さそうだが、用心に越したことは無い。
「あっ。誰かいるね」
「教会だし人の一人や二人位いるだろ」
俺達が出入口へ向かおうと足を進めた直後、教会入り口の二枚扉がゆっくりと開き、中から頭を下げつつ男が出てくる。鎧を着こんだ身形からして騎士やその類だろう。
此処が勇者達の絡む教会だと予め知ってる俺は、一旦足取りを止めた。
――その時だった。
俺の懐に微かな振動を感じ、急いで取り出す。
あの時インツより受け取ったリンククリスタルって奴だ。
使い方も良く知らないので上着の胸ポケットに入れたまま忘れてたぜ。
「ど、どうやるんだ!?」
「無敵ちいつの間にリンククリスタル持ってたの? 耳に当てるだけでいいよ!」
エメに言われるまま自身の耳に当てると、ピタリと振動が止む。
『無敵さん。私です、インツです。巫女の居場所は分かりましたか?』
耳に当てた直ぐ、淡々と平坦な抑揚を保った声がまるで直ぐ耳元で話しているかのように聞こえる。
俺がいた世界の電話より断然聞き取りやすい。
流石魔道具って所だろう。
「ああ、巫女がいるとか言う建物の目の前にいる。そんな事よりどうした」
『今日は訪問を控えてください。守護の勇者が巫女の元へ向かっています』
「すまん……。後で掛け直す」
先程、出入り口より頭を下げていた男がグリーブの足音を鳴らしながら徐々に近づいてくると同時、只ならぬ雰囲気に俺はリンククリスタルを急いで胸ポケットへと仕舞った。
「こんにちは。良いお天気ですね」
俺達の直ぐ目の前へ立つと、鎧の男は静かに微笑んで小さく会釈する。
「こんにちは、鎧とマントが暑そうですね!」
「ハハハ。これも職務の一環でね、上が形式に煩いのだよ」
俺は返事もせずに黙っていたが、エメの一言に男は失笑していた。
一見、その様子に敵意は感じられないが、底知れぬ何かを俺は感じ取っていた。
「何か用か?」
俺が牽制するように訊ねると、男は表情を崩さぬまま応える。
「それは此方の質問ですよ、異国風の御老人。お孫さんを連れてお祈りですかな?」
「そんな所さ」
「それは良い。是非祈願なさってください。見た所、人魔戦線を体験されたご年齢と謁見いたしますが、此処のシスター……光の巫女様とはお知り合いか何かで?」
「……そうかもしれないな」
何か、探りを入れる様なわざとらしい男の質問に俺は唾棄しつつ応える。
インツの情報や諸々の噛み合わせが正しければ、こいつが現守護の勇者と見て間違いはないだろう。
「ごめんなさいね。おじいちゃん歩き疲れて不機嫌みたい」
話を合わせるエメは仰々しく俺の背を叩く。痛いっつーの。
「いやはや、失礼。光の巫女様の描かれた若かりし頃の肖像画と、そちらのお嬢さんが大変似ている物でして……。てっきり血縁の方かと」
――――こいつ。
――――今、何て――――――――?
「失礼、」
俺が硬直していると、男は耳に何かを宛がっていた。
リンククリスタルだ。
「……分かった。直ぐに向かう」
男は深刻そうな面持ちを浮かべるとリンククリスタルを仕舞い、俺達に会釈する。
「では御老人とお嬢さん、またお会いしましょう」
男は踵を返し俺が尋ねる間もなく、そそくさと歩いて行く。
いつもなら十も百も出てくる減らず口がこの時ばかりは何も出てこなかった。
むしろ、頭が真っ白になっていた。
……イディアが、生きている?
「無敵ち、無敵ちったら! ねぇ!」
「イディア……が、生きている?」
あの男は言った。
この教会に居るシスターの若い頃に、エメがそっくりだと。
どういうつもりかは分からない。
俺を誘い出す罠かもしれない。
けれど、そんな事は、もうどうでも良くなっていた。
残された答えは一つだ。
――――――直接、確かめに行くしかない。
「もう! 無敵ちってば!」
「なんだ! 手を放せ!」
「すっごい怖い顔して! どうしたの!?」
「邪魔をするな……!」
必死に手を振り解こうとするが、悲しいかな。
いくら相手が若娘だと言っても老体が叶う事も無く、がっちりとエメから掴まれた腕は振り解ける気配がない。
「うっ……いたたた……くそっ!」
「もう、興奮するからだよ」
心臓が張り裂けそうになるほど痛い。
頭は前へ前へを望んでいるが、俺の身体が危険信号を出すのが先だったようだ。
息は上がり、しゃがみ込んでしまう。
「ほら落ち着いて。ね?」
心配した様子でエメは俺の背を撫でる。
そうだ、落ち着かなければ……。
まだ中にいる巫女って奴がイディアだと確定した訳じゃない。
しかし、焦る気持ちはこうしている間にも焦りを募って行く。
早く、確かめたい。
そんな一心が思考を埋め尽くして。
「はい。吸って~! 吐いて~!」
「ゼェッ……ゼェッ……畜生。これだから年寄りは……!」
焦る気持ちを押さえつつ、エメに宥められながら呼吸を整える。
呼吸が段々楽になって来た時だった。
「あ! し、師匠! よかった……!」
見慣れぬ少女がスカートをたくし上げて必死に駆けつけてくるのが見え、思わず眉をひそめた。
師匠と俺の事を呼んでいるこいつは……。
「その声……ラックち!? どうしたのそんなに可愛くなって!」
「ふぅ……ふぅ……。せ、説明は後です……! ナディさんが……ナディさんが!」
必死に肩を揺らし、先程の俺より苦しそうに息が上がっているそいつをよく見ると、何処となくラックの面影がある。
エメの言う通り、随分と可愛らしく成っちまってるが……。
「ナディさんが王政の罠に……危ないんです! ナディさんが!」
そんな可愛らしくなった容姿をくしゃくしゃにし、ラックは一息に叫んだ。
「えっ! ナディが!? 無敵ち! 助けに行かなきゃ!」
「行きましょう! このままだと危ない……!」
急いで向かおうとするエメとラックを前に、俺は足が進まずにいた。
イディアかもしれない巫女が直ぐ目と鼻の先に居る。
今すぐにでも、それでこそ若返りの葉巻を使ってでも駆け付けて確かめに行きたい。
……そう思うと、俺の足は根を下ろした木のように動かなかった。
「無敵ち……? ねぇ、早く行かなきゃ!」
「師匠! 案内します! 早くしないと……」
早く早く、って勝手にピーチク煩い奴等だ。
五十年間溜まるに溜まった人の気持ちも知らないで……。
「……俺は、イディアに会うんだ」
――手足が震える。
非常にもどかしい気持ちを抱え、自分を納得させる良い訳を限りなく探す。
あいつが勝手にやった事だ。勝手に魔族や王政に首を突っ込んで、危険まで冒して勝手に調査を行って……。これはナディが勝手にやった事で、俺には関係ない。
……思えば、五十年間の悔いはイディアを守れなかった事だけなんだ……!
「……もう勝手にすればいいよ! 馬鹿! このジジイ! アホ! 嘘つき!」
刹那――。動く気配のない俺を見かねてか、エメが罵詈雑言を交えて叫んだ。
「無敵ちは勇者なんでしょ! あの時、弱い奴の味方だって言ってたじゃん!」
……クソが。好き勝手言いやがって。
俺はな、ずっと、ずーっと……。
それこそお前らが生まれる前から、イディアを守れなかった事だけを悔いに途方の無い毎日を過ごしていたんだ。
その日の銭を稼ぐ為だけに意味も中身も無い仕事をして、生きる希望も無く、毎日を漠然と過ごして……。気付けば五十年さ。あっという間だった。
自分がどうやって歳を取ったかさえ覚えてねえ。
この世界で過ごした事も、ひょっとすると夢だったんじゃないかと思っていたさ。
「師匠……」
「もういいよ、ラックち! こんなボケジジイ置いて行こう!」
この世界じゃ、魔王を倒した大英雄。
けれど、現実世界に戻れば戸籍不明の社会的弱者。
笑えるだろ? 現実世界に戻ったその後だって若い俺はどうとでもできたはずなのに、俺は死ねばイディアに会えると思いながらフラフラと毎日を生きている反面……。
ひょっとしたらもう一度この世界に戻って、生きているイディアともう一度会えるんじゃないかと言う微かな期待を抱いて毎日を惰性で生きていたんだ。
「…………全く、本当にクソ見たいな世の中になっちまった」
期待したら、期待した分バカを見る。
解ってはいるが、そんな掻き消えそうな蝋燭の火が辛うじて俺を生と言う執着へと張り付けていた。
――――葉巻を一口吸った途端、体中に電気が走る。
雷に打たれたみてえだ。
熱い血潮の奔流をこれでもかというくらい、グツグツと体の隅々まで感じる。
とても熱い。体が中から焼けただれそうだ。
……イディア。俺は、このままだとお前に心置き無く顔向けできねえ……!
「クソッ! イディア、もう少しだけ待っててくれよ……!」
しっかりと異世界の地を踏みしめ、すっかり遠くなったエメとラックの背を追い抜く勢いで疾走する。
俺は勇者だ。
弱い者を守らずに、何が勇者だ。
俺は……。勇者である俺のままでイディアともう一度会う。
だから待っててくれ、直ぐに悪党共をぶっ飛ばして、お前に会いに行く!




