三十七話 またね
すっかり日も暮れた頃。王都の商業地区も次第に灯りを消し行く最中。
まだ、ミラのやっているパン屋は煌々と灯りをともしていた。
煙吸いながらマラソンやるアホが何処にいるってんだと思いつつ、俺は道中で葉巻を吐き捨て、勢いよく店の扉を開く。
「ゼェ……ゼェ……おい!」
「ひっ! ききき! きたああ! どうしますミラさん!」
「随分遅かったわね……! 今度はさっきの様にいかないから!」
流石に息が上がって肩を揺らす俺を見るなり、怯えた様子のキャルロは鍋の蓋を構え、ミラは強気にモップを構えていた。
ああ、そうか。この姿で会うのは初めましてだったが、今はそんな事どうでもいい!
「不良共……。は……お前の親父が……! カタを付けたぜ……」
俺はそのまま崩れる。一気に疲労感がドット押し寄せてきた。
ヨボヨに戻りそうなのか、はたまた疲れからなのか分からねえ……。
「おっおじいさん!? えっ!」
「わっ! なんか一気に老けましたよ!?」
どうやら前者らしい、なら好都合だ。
「説明してる暇はねえ……。言った通り、もう報復に来る奴は一人もいねえよ……」
「そ、それってどういう事ですか?」
「言った通りさ……アテテテ……。腰がいてえー……」
店の床に丸まり呻吟する俺を心配した様子でキャルロは手を着く。
「あり得ない。あの人が私の為に……? 嘘よ」
本当に、こいつ等親子は揃いも揃って頑固者の意固地者だ。
最後に父親はちょっぴり素直になって、娘の為に気張った。なら、今度はミラが素直になる番だ。
「あいつの上着に、これが入ってたよ……。いつつつ……」
痛む膝や腰を押さえつつ、俺はポケットから色あせた紙を取り、プルプルと差し出す。
「これ、私が三歳の時に初めて書いたお父さんの絵……」
歳取ったら手癖が悪くなっちまった。金か煙草か入ってないか探ってみたらこれだ。
……こんなもん見ちまったら、どうにかしてやるしかねえじゃねえか。
「おじいさん! そ、それでミラさんのお父さんは何処に!?」
絵を握ったまま涙ぐむミラを後目に、キャルロが俺の腰を叩きながら尋ねる。
「このまま娘の近くに居たんじゃ迷惑かけるって言ってよう……。見送り木の向こう側へ歩き出そうとしてたから、取り合えず止めておいたぜ……。まだ、間に合うかも……」
もうだめだ。そろそろ瞼が鉛の様に重くなってきやがる。
この感覚にも慣れたっちゃ慣れたが、しんどいものはしんどい……。死にそう……。
「お父さん……!」
そんな床に伏す俺やキャルロへ目もくれず、ミラはモップを放り投げて店の外へと飛び出していく。
これでいい。
後は、あいつら次第……だ。間に合うと良いが。
「――――あぁ!?」
店を出た先で、ミラが驚きの声を上げているので閉じかけていた瞼を開ける。
体は動かせないが、首だけ動かしてそのまま様子を伺うと……馬が一匹……?
「あ! デクスさん! どうしてです!?」
馬足しか見えなかったが、キャルロの声で馬上の主が分った。
ああ、シールスの言う通り、これなら心配する事ねえだろう。
後は若い者同士楽しくやってな。
「は、ハハハ……粋な真似しやがる。ストーカーもたまにはやるじゃねえか」
歳よりは……寝る……時間…………さ。
「お、おじいさん!? 死んだあああああああああああああ!?」
……っせえーな。死んでねえっての。
「おい。娘っ子……今から言う場所に運んでくれ……」
◇
暗くなった夜道を、先も見えない夜の大地を、ウンマーは駆けて行く。
目指すはボンヤリと不気味なシルエットを形作る見送り木。日中は神々しくも見える巨木は夜になると不気味な怪物の様で、私はあまり好きじゃなかった。
「デクスさん、なんで……?」
「……いつも、君を見ていたから解る」
「えっ……?」
「……すまない。変な意味ではない」
いつもお店に来る不思議な常連さん。
喋った事と言えば、ほんの数回。
天気がいいですね。とか、調子はどうですか。とか……他愛ない話ばかり。
常に目元を隠す様に深々と被った三角帽の事を、私は前に聞いた事がある。
その時は、獣を狩る人は次第に獣になり、そんな恐ろしい目を人には見せられないと言っていたけど、時折垣間見える彼の目元はとてもやさしい事を私は知ってた。
「
ありがとう。でも、もういいの。このまま会わない方がいい。いくら……。いくら親子だからって、長年のわだかまりは直ぐに解けない。そんなの、私とお父さんの性格上、絶対に無理。無理なんだよ……」
急に、怖くなる。どんな顔をして会えばいいのか分からない。
……今さら、父親顔されても、私が娘の顔になるなんて……絶対……。
「……前方よりウンマー車だ。しっかり掴まっていろ」
「う、うん……」
炯々と発光石を前方へと照らし、ガタガタと言う音を立てながらウンマー車が来る。
それを避けようとデクスは手綱を握り、旋回して行く。
背中越しに伝わる筋張った感触。いつも緑のローブを着ていて解らなかったけど、その広くて大きな背中は、とても頼もしい人だと、私は思った。
私がデクスの背にしっかりしがみ付いている最中、ウンマー車がすれ違って行く。
「――――お父……!」
一瞬。ほんの一瞬だったけど、荷台に居る人物と、確かに目が合った。
こんな暗闇に閉ざされた野原でも、ハッキリと解る。伝わる。
いつも鋭く睨みつけるような眼は……闇よりも深く、夜の月よりも穏やかな眼をしていた。
振り返り、ウンマー車は王都に通ずる道を迂回して行くのが見える。
あっちの方向は、お父さんが王都に来る前に育った村の方向だと前に母から聞いた事があった。
「……本当。いつも自分勝手……。本当に……」
なんだ。娘と父の顔だなんて、簡単だったんだ。
次、会える時は――――私も笑顔を見せれる気がするよ、お父さん。




