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侵入には成功したが、担当階以上のくわしいことは決めていない。計画をきっちりたてて、裏の裏まで考えて動くのは、あたしたちの柄ではない。その場の最良を常に選びとって歩むのがあたりまえ。だって、ナギもあたしも、よろず屋だもの。日陰街道まっしぐらだ。どんなにおきれいな手段を使ったって理路整然としていたって、倫理に反する行いを表立ってすれば、ほめられたものではない。こういう、盗人のまねごととか。
恥じたり悔やんだりはしない。これがあたしの正義だもの。
……いや、いまのはちょっと恥ずかしいかも。
屋敷のなかは完全に空になるわけもなく、あちこちで人と出くわす。そのたびに、空いている部屋に逃げ込んだり、帳や家具の陰に隠れたりと、違う意味でも大忙しだ。
いくつかまわって、わかったことがある。二階は使用人の部屋が多い。調度は安っぽくこそないけれど、古びたり傷んだりしている。敷布も壁に掛かった服も洗いざらしだ。住み込みの使用人何人かごとに部屋を与えているらしい。この階にはたぶん、決定的な証拠はないだろう。
あたしはナギを追って、階段にむかった。と、運悪く、鉢合わせた。ナギではない。この屋敷の前に立っていた衛士のひとりだと思う。
「お疲れさまです!」
無謀にも戦いなしでやり過ごそうとしたら、言い切る前に彼は斬りかかってきた。ひょいと横へよけると、二撃が足元にきた。
待ったっ、階段の途中で大立ちまわりはさすがに無理ってモノでしょう!
ここでは音も声も階上や階下へ響いてしまう。せめて口を封じようと、青年に膝蹴りを入れる。あたしにはいま、短剣しか得物がない。素手以外の対抗方法っていったら、柄で殴ることしか思いつけない。でも、足場が悪い。下手したら、自分に刺さる。短剣の刃をむけておいて手を抜くのは、かなり困難だ。あたしはナギほど達者に刃物を操れるわけではない。
足元への一撃はなんとかとびすさって避ける。声をあげるために口を開いた青年に飛びついて、てのひらをあてた。こころのなかで謝りながら、口を塞いだ腕に力を込めてふりまわし、階段の段差へ思いっきり叩きつける。
男に比べれば非力なのは当然だが、飛びついた衝撃もあって、青年はうっとひとこえ、段上にのびた。死ななくてよかった。経験値の差、でしょうねぇ。
だいじょうぶかなとすこしは気になったけど、先を急ぐ。階段を駆けあがって、ナギの気配をさぐる。どこにいるんだろう。
思って、背後に気をむけていたときだった。右脇から襲いかかられた。さきほどの青年とのやりあいをみていたのかもしれない。でも、間合いが悪かった。素手で応対するには、柄で殴るには、近すぎた。
機械的に腕や足を動かす無感動な自分に、ぞっとする。あたしは危険を察知して、造作もなく腰から短剣を抜き、さくっと繰りだしていた。自分でも気持ち悪くて、手元が一瞬ぶれる。
短剣の先に、肉の感触はなかった。
隙をつかれて、足元をすくわれる。受け身すら取れずに転がり、頭上に銀色が閃いた、気がした。
あ、左目のときと、おんなじだ。ぼんやりと考えて。
気づけば、ナギがその相手を打ちはらっているところだった。ただ見あげていると、彼はいらだったように、あたしの二の腕を掴んで、引きずり立たせた。
きつい目であたしを見て、何か言いかけて口をあけ、すぐに閉じる。行くぞと、手で合図する。けれどもやっぱり、我慢しかねたらしい。ぱっとふりかえる。耳元で、怒ったような声がする。
「ためらうな、莫迦!」
それだけ言って次の部屋へ入っていくナギの背に、あたしはくちびるをかみ、黙って従った。
どこにも、ない。
というか、三階の部屋がことごとく客室や空室で、残る部屋がひとつきりだという状況に、頭を抱えたい気分だった。
最後まで残した一室だった。南向きの、いちばんいい部屋。
ナギも五つ数えるあいだだけ迷ったような表情をしていたが、決断を求めるようにあたしをみた。
どうしたいんだと、声にださずともはっきりと、紅の瞳はあたしから答えをひきだそうとしていた。
残る一部屋というのは、ひとがなかにいる可能性が高い。この町の領主さんが鎮座たてまつっているだろう。いわずもがな、エアリム侯爵だ。ここで大々的にみつかっていいものかどうかっていうと、よくないに決まっている。
あたしは握りこぶしをくちびるにあて、数瞬、瞑目する。
心は落ち着いて、凪いでいた。居ないかもしれない。それに、賭けてみる?
いきあたりばったり。
思ったけれど、しかたないかなと、笑う。
「行こう。ここまできちゃったんだし。もうふたりも、のしてきたじゃない。見つかるのも時間の問題だわ」
「来ると思った」
簡単にうけて、ナギは部屋から出る前にのびをした。左右にからだをまげる。間抜けた図だが、らしくて、安心する。あたしも短剣の柄をつまんでひき、おしこみなおす。
「さぁ、お嬢さん、戸口のあいだは距離にして五ジネリ。誰にも出くわさないことを母に祈りましょう」
ふざけて、ナギは扉をあけた。すぐに腕をぶんと振る。ぼごっと、鈍い音がして、うめき声が廊下を飛んでいく。
これを知っていながらふざけられるというのは、もはや資質だと思う。
だんだんと、ひとが集まりはじめていた。あたしも避けたり応戦したりを繰りかえし、必死でナギについていく。
五ジネリが、ひどく遠い。悔しくなって、あわてればあわてるほど、あたしのからだはナギから離れていくようだ。
こんなに騒いだら、肝心の領主さんも逃げてしまうのではないかしら。そう考えた矢先だ。ひとりの衛士がナギのうしろをとった。ナギは、まるで対処しない。気づいていないのか。まさか!
否定しながらも、あたしは床を蹴っていた。邪魔するようにつきだされた腕をかいくぐり、くだんの衛士の剣をはじき飛ばす。欠けたか。嫌な音を聞き、眉をひそめながら、急所をさけて、ぐっと短剣を相手の太ももに刺しこむ。
今度は、ためらわずにできた。ナギはやっと自分の背後に気づいたのか、一瞬だけこちらに目をむけ、またあちらへ直った。
あとはもう、乱闘だった。どこが訓練した兵士で、何が家のなかだ。侵入者ふたりにこれはないんじゃないのっ?
ぐちゃぐちゃでしっちゃかめっちゃかで、それなのに、死人がないってのはわりと奇跡的だった気がする。いえ、重傷者は多いですが。
一段落ついてしまってから、外でがんばってくれているクレアに謝る。ごめん、みつかってしまった。せっかくやってくれたのに。
それから、左手でナギの襟首をつかんだ。
「危ないじゃない!」
さきほどの自分のことを棚にあげて、声を低くしてなじったら、ナギはいつものように肩をすくめた。
「たまたまだ。でも、ルカがいるだろう?」
いわれて、握ったままの短剣を見おろす。あたしの手ごと血あぶらまみれで、青鈍色のきれいな刀身は見る影もない。ああ、やっぱりそうだった、すこし刃こぼれしている。
それを見たら、納得してしまった。
そうか、このためだ。あたしはこのために短剣を持っていたんだっけ。
ふいにことばをうしなったあたしを、ナギはうながす。五ジネリは、いつのまにかほとんどつまっていた。
扉の取っ手は、手の届く範囲だ。音もなくそれをつかんで、あたしはナギをふりあおぐ。
この扉がやがて軋む音も、あたしたちのこれまでの働きも、シラにささげる。おせっかいだといわれたって、きれいごとだといわれたって、かまわない。それでたくさんのひとが助かるのなら、かまうもんか。
いまのあたしは貴族令嬢でも、女傭兵でも指揮官でも売り子でもない。よろず屋だ。おせっかい焼きのよろず屋だ。
この短剣を手放しはしない。これはあたしが『あたし』である証。あたしの道を切りひらく、一条の光。
『青嵐よ、君の傍らへ』完