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第二章 興味1

 裕貴は飲食店でアルバイトをしている。全国にチェーン展開している居酒屋であり、裕貴の生活で学校の次に滞在時間が長い。


 バイトをする理由は今すぐお金が必要だからではない。裕貴が日常的に使う食費や雑費はその全額が母親から提供され、浪費を強いられる趣味も持っていない。


 裕貴が働く第一の理由はただの暇つぶしである。生活をしているとどうしても時間が多く余ってしまう。給料は副次的に支払われているに過ぎず、そのほとんどはまだ手が付けられていない。


 最近ではやや考えが変わり、将来のための貯金という位置づけをしている。母親と良好な関係にない裕貴にとって独り立ちは悲願であり、そのための財力を蓄えているのだ。


 将来の生活など全く想像できない。高校卒業と同時に就職するのか、何か目的を持って大学に進学するのか。何にしても未来はすぐに決断できるものではない。しかし、早くから準備を済ませておけば苦労は幾分か減る。少なくとも、貧乏学生として大学四年間を過ごす決断ができるだけの資金は手に入れなければならなかった。


 この日も学校が終わるなり直接バイト先に向かう。そして今日も、日付が変わる頃まで慣れた仕事を行う。法律は守られていない。閉店業務が終わって更衣室で着替えていると、バイト仲間の上山が話しかけてきた。


 「今日の客は一段と酷かったな」


 「粗相されるよりはマシだと思うけど」


 「それはそう。でも、今日のあれは絶対ないだろ。異物のクレームで一番あり得ないと思ったくらいだ」


 腹を立てた上山が何度か床を強く蹴る。ただ、裕貴は同意はしなかった。


 「ただ働いていてもつまらない。ああいうことを端で見てるのが面白い」


 裕貴は持論を展開する。時間潰しは面白い方が良いに決まっているのだ。


 「いやいや、楽して金を稼げるのが一番だって。あんな奴の対応をしていたらいつか手が出てクビになりそうだ」


 上山が自らの太い腕を何度か大きく振る。風圧を感じた裕貴はこれ以上の反論を止めた。


 「それで大村、これからは暇か?」


 「え……」


 「なんだよその目は。あいつら結構大村を気に入ったらしくてさ。今から会ってやれないか?」


 上山は裕貴の目の前に近づいて、威圧するような視線を注ぐ。裕貴はそれに首を横に振った。


 「悪いけど用事あるから」


 裕貴はそう伝えて上山の隣をすり抜ける。上山に止められることもなく、面倒に巻き込まれないで済んだようだった。


 裕貴は以前、上山の知り合いの会合に呼ばれたことがある。上山は不良が集まったあるグループのメンバーである。勧誘という形で裕貴はそのグループと接触したことがあった。


 活動内容は基本的に犯罪行為である。ある程度予想していた裕貴ではあったが、目の当たりにしてからは関わることを避けていた。上山との関係はバイトを続ける限り切ることができない。だからこそ、違法行為に巻き込まれないように尽力していたのだ。


 裕貴は上山と友好的な関係を築いていて、そのおかげでトラブルに巻き込まれずに済んでいる。ただ、それは裕貴が望んだことではなかった。


 休憩室を出た裕貴はそのまま店の裏口に向かう。すると今度は別のバイト仲間に声をかけられた。


 「怖くないの-?上山君に良くあんな返答できるよね」


 一人の女性が裕貴の前に立つ。裕貴は沙織を視界に入れた状態でその場に立ち止まった。


 沙織は裕貴のバイト仲間で、最近新しく入った新人である。都内の大学に通っているらしく、年齢は裕貴の二つ上であることを上山から聞かされていた。上山は沙織を高く評価しており、不良に好かれるタイプだとも言っていた。


 「もう慣れました。ここでは結構良い奴ですから」


 「大村君は真面目に見えるんだけど、どうしてこんな時間まで働いているの?すごい気になってるんだけど」


 沙織は配属以来あらゆる質問をしてきている。面倒に思っていた裕貴は今日も心の中で溜め息をついた。裕貴は沙織を良くも悪くも評価していない。


 「真面目じゃないからかもしれません。……そろそろ良いですか?俺、今から用事があるんで」


 「……ふーん、そうなんだ」


 「はい、失礼します」


 沙織が裕貴に通路を空ける。裕貴は足早にその場を通り過ぎた。裏口には自分の自転車を停めている。荷物をかごに放り込むと自転車に跨った。


 裕貴は嘘をついたが、実際のところ目立った用事があるわけではない。ただ、そんなときに侑希のことを思い出した。


 侑希の話によれば、昨日の午後十一時に例のスクリーンの前にいるとのことだった。ただ、すでにその時間から一時間以上が過ぎている。


 自転車で新宿に行くことを何気なく考えてみる。ここからではどんなに自転車を飛ばしても小一時間はかかる。そんなに時間に着いても侑希と会える可能性は低い。


 ただ、これはあくまでも自分の思い付きである。そう考えると悩むことは案外少なく、裕貴はあっさりと新宿へ向かうことを選択した。


 丁度良いところに自転車を停めて、そこからは歩いて新宿駅に近づく。人の多さを不快に思うこと数分で目的の場所に到着した。その場所は時間に関係なく活気づいている。


 裕貴は周囲に視線を這わせて知った顔を探す。ただ、一度しか会っていないため、記憶の中の侑希は曖昧になっていた。


 結局、侑希が目の前に現れることはなかった。


 裕貴はそれを当たり前だと考え、来た道をゆっくりと戻り始める。その時になって、行く気がなかったのならその時に伝えておけば良かったと感じた。侑希が待っていたかもしれないと思うほど後悔の念に駆られる。


 しかし、今更そんなことを考えたところでどうすることもできない。侑希と今後会う機会はない。そう考えることで自らを擁護した。


 新宿駅から離れていくにつれて歩いている人はサラリーマンが多くなっていき、裕貴もその中に紛れて帰路につく。


 先日の一件から、裕貴は母親と顔も合わせていない。あの日、裕貴が家に戻ったときにはすでに就寝していて、警察に電話した様子もなかった。裕貴にできる唯一の防衛策は母親と関わらないことだった。


 周囲を歩く人がどんな生活を送っているのか、それは裕貴の知るところではない。しかし、大半が自分よりマシな生活環境だろうと裕貴は思っていた。だからといって僻みはしないが、それでも考えさせられてしまう。


 次第に裕貴の心に影が落ちていく。珍しいことではないが今日はその傾向が一段と強い。ただ、そんな裕貴を助ける存在は唐突に現れた。


 「裕貴君?」


 後ろから聞こえたその声は裕貴の鼓膜を小さく揺さぶる。裕貴が振り返ったのは二度目に名前を呼ばれたときだった。


 「裕貴君だよね?」


 「……侑希さん?」


 確認するように裕貴も名前を呼ぶ。目の前で笑顔が弾けた。


 「やっぱり裕貴君だ。後ろ姿だったから分からなかったよ」


 「まだ歩いていたんですか?」


 裕貴は当たり障りのない質問をぶつける。心が痛みを伴い始める。


 「私の生活の一部だからね。……裕貴君は今何してるの?」


 「あの時間はバイトで行けなかったので……会えるか分からなかったですけど、一応」


 裕貴は頭をうなだれさせて説明をする。侑希を目の前にして明確な罪悪感に襲われていたのである。しかし、それは侑希も同じだった。


 「私が悪かったの。あの後すごく後悔したの。裕貴君が困らないはずがないし、深夜徘徊を助長させちゃうし」


 侑希は裕貴の目の前で頭を下げる。裕貴は慌てて頭を上げさせたが、侑希の表情は変わらない。


 「俺もあのときにしっかりと言っておけば良かったんです。すみません」


 裕貴も言いたかったことを口早に伝える。ただ、その後に突如として沈黙が二人を襲った。お互いが着地点を見つけられていなかったのだ。


 「じゃあ、そろそろ帰りませんか?こんな時間に歩いていると、また変な人に絡まれてしまうかもしれません」


 「……そうだね」


 裕貴の提案に侑希は浮かない表情を見せる。侑希にとってこの時間はよほど重要なようだった。


 「……私はもう少しいるから」


 「そうですか」


 裕貴は侑希との関係を望んでいなかったが、なぜか唇を噛んでしまっている。侑希を放っておきたくないと考え始めていたのだ。


 「あの……」


 立ち去ろうとした侑希に声をかけたのは気まぐれに近い。それでも、裕貴の意思で話しかけたことは事実だった。


 「今日はここで別れてしまうんですけど……その、次はいつ来ますか?次は時間通りに行きたいと思って」


 恥ずかしさを噛み殺して質問する。それに侑希は目を丸くして裕貴を見つめた。裕貴はそんな視線に顔を熱くした。


 「次は日曜日の同じ時間になると思うけど……無理してない?」


 「まさか」


 「裕貴君は高校生で、私とは環境が違ってる。私は嬉しいよ。だけど、無理なことはさせたくない」


 侑希が心配事を包み隠さずに伝える。ただそれは杞憂だった。


 「そんなこと心配しないでください。良ければまた一緒に時間を潰してもらえないかなと思っただけです」


 らしくないことを言っていると分かっている。しかし、ここで躊躇うことはできなかった。


 侑希は何かを考えながら地面を見つめる。裕貴は焦ることなく待ち続けた。


 「……分かった。それじゃ、日曜日の十一時にあそこで待ってる」


 最終的に、侑希の結論は笑顔を伴っていた。惹き込まれかけた裕貴はなんとか笑って誤魔化した。


 「それじゃこれで……侑希さんも早く帰るようにしてください」


 「うん、それじゃあね」


 最後の挨拶を交わし、裕貴は達成感に包まれながら侑希と別れる。すでに帰路につくことが憂鬱ではなくなっている。バイトのシフト変更を忘れないようにと考えながら、裕貴は自転車を置いた場所まで歩く。


 悪い気持ちは全くない。裕貴は不思議な感覚の中に立っていた。

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