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第一章 神宮侑希 5

 女性につれられて深夜の大都会を歩く。つい先ほど男に襲われたことを忘れたかのように裕貴を信頼している。対照的に裕貴の方が女性をかなり怪しんで見ていた。


 女性が数人の男に絡まれていたことは事実である。また、女性は美人局のような存在でもなかった。それでも、何か裏があるのではと考えてしまう。


 女性はあまりにも裕貴に心を許している。お互いに初めて顔を合わせた者同士にしては、女性の行動は常識の範疇を超えていた。


 行き先を知らされないまま、全く知らない土地を歩かされる。仮に女性に悪意があれば、裕貴は簡単にその餌食になるに違いない。しかし、裕貴と合わせる顔はその疑念を払拭できるほどの明るさを持っていた。


 「もう少しでつくんだけど……時間は大丈夫?」


 「それは大丈夫ですけど、どこに向かっているんですか」


 出会った場所からそれなりの距離を歩いた。すると、女性は笑顔で前方を指差した。


 「あそこの喫茶店。深夜も営業してて私の行きつけなの」


 女性は付加情報とともに説明する。確かに、一軒の店が構えられていた。


 裕貴は女性にエスコートされる形で入店する。その瞬間に、店内の独特の匂いが裕貴の空腹感を刺激した。


 「カウンターで良いよね」


 裕貴は端のカウンター席に案内される。女性は裕貴の隣に腰をかけた。


 「疲れてない?ここは私のお気に入りだからお礼はここでしたいな、なんて思って」


 「そうですか……」


 裕貴は返答を困って苦笑いを浮かべる。まだ女性を信頼することはできない。


 「自己紹介が遅れたよね。私は神宮侑希。新宿から電車で二駅離れたところに住んでて、よくこの辺りを歩いてるの。……さっきは助けてくれてありがとう」


 侑希がお礼を述べて頭を下げる。裕貴は慌てて顔を上げさせた。


 「たいしたことはしてないです」


 「ううん、あのとき来てくれなかったらきっと悪いことが起きてた。本当にありがとう」


 侑希がもう一度頭を下げる。周囲の視線を気にした裕貴は焦りを隠しきれなかった。


 「……ところで、あなたの名前を聞いていなかったよね?」


 「大村裕貴です」


 裕貴は手短に回答する。すると、侑希は何かを考えるような仕草をして裕貴を観察し始めた。


 「裕貴君ってもしかして高校生?」


 「はい、そうですけど」


 「やっぱりそうなんだ。私服だと全然年齢が分からなくて。……ということは、今ここにいちゃダメだってことだよね?」


 裕貴の年齢を知った侑希が指摘する。裕貴もそんな侑希の言葉に同意した。


 「今日だけです。いろいろあって頭を整理するために」


 具体的な説明を避けてここにいる理由を話す。侑希も確認をしただけという雰囲気だった。


 「裕貴君はどうして私を助けてくれたの?……面識ないし周りの人も見て見ぬふりだったのに」


 「見てしまったからには……と言いたいですけど、実際は神宮さんと目が合ったからです。本当は傍観するつもりでしたが、目が合ってはどうすることもできなくて」


 「正直なんだね」


 裕貴の説明に侑希がそんな評価を下す。裕貴は少しばかり嬉しく感じた。


 「誰でも良いから助けて欲しいってずっと合図してた。でも、みんなに視線を逸らされてダメかなって思ってた。だけど、裕貴君は来てくれた。私本当に嬉しかったな」


 侑希に恥ずかしがる様子はない。やむを得ず行動しただけの裕貴は途端に申し訳なくなった。


 「もう痛くない?」


 「はい。全然大丈夫です」


 侑希が裕貴の体を心配する。先程までの疑念はとうに消え失せて、侑希の好感度が上がっていく。


 「それにしてもあんな面白い撃退法があるんだね。裕貴君は賢かったり?」


 「いや全然です。あのときは慌ててたので。本当はすぐに警察に連絡しておくべきでした」


 「でも、格好良かった」


 直接的な侑希の発言が刺さる。言葉に特別な意味が伴っていなくても心地良い。そうして次第に侑希の顔を見られなくなる。


 「ところで、神宮さんは……」


 「侑希で良いよ」


 「……侑希さんはどうしてこんな時間に?何か理由があるんですか?」


 裕貴が侑希について深く知る必要はない。侑希と会う機会など二度と訪れないからである。しかし、普段では考えられない感情になっていた裕貴はそんな質問をしてしまった。


 「理由は……まあ、家庭の事情かな。詳しいことは言えないけど、最近は家族と揉めることが多くて。嫌なこともたくさんあるから」


 「自分もそれに近いです。母親と喧嘩してしまったので」


 裕貴は同じ境遇の人がいることに感激する。そのおかげか、心に溜まっていた鬱憤の一部を吐き出すことができた。侑希はそんな裕貴の言葉に何度か頷く。


 「そうだよね。一番分かり合ってるはずの家族とだって、考え方が少し違うだけで喧嘩になる。不思議だよね」


 「……それは普通のことなんですか?」


 裕貴は思わず質問をしたのは、普通の家族を理解していなかったからである。その問いに侑希は難しい顔をした。


 「それは家族よって違うと思う。でも、家族って喧嘩しても大切な存在だから、すぐに仲直りできるもの。そうじゃない?」


 「……そうですね」


 裕貴は少し考えてから頷く。少し首を傾げた侑希だったが詳しくは尋ねてこなかった。


 ここ数年間、母親と家族らしい関係は何もなかった。戸籍だけが家族だと証明しているに過ぎないのだ。今晩のこともあり、裕貴の考え方はそう簡単には変わらない。


 経済面で母親を大切だと考えることはできる。しかし、それが侑希の伝えようとしている大切さなのかは分からなかった。


 一瞬、二人の間の空気が重くなる。ただ、それを察知した侑希は急いで話題を変えた。


 「ねぇ、裕貴君に聞きたいことがあるんだけど良いかな?」


 「良いですけど、答えられるか分かりませんけど」


 裕貴は質問を聞く前に保険をかける。ただ、侑希の質問は裕貴の予想と全く違っていた。


 「実は私、今日良いことがあったの。それが何なのかは内緒にしておきたいんだけど、でも心配なこともある」


 「というと?」


 「何が心配なのかというとね、多分今日以上に良い日が来ることはないと思うの。だから、これからどんなことを考えていけばいいのか分からなくて」


 侑希が不安そうな面持ちで裕貴と目を合わせる。裕貴は質問の難しさに言葉を詰まらせた。


 「今日とても良いことがあったということは、明日以降は今日以上に良いことが起きる可能性が低くなる。良いことがあったのは嬉しいけど、これからは何を期待して生活すれば良いのかなと思って」


 「……難しいですね」


 「そうかな?」


 「はい。でも、待ち続ければ良いんじゃないですか?意識すると疲れるから期待しないで待ち続ける。すると案外すぐに訪れるかもしれません」


 裕貴は口に任せて言葉を並べていく。そんな適当な回答にも侑希は相槌を打って納得したような態度を示した。


 「それいい考えかも。見つけようとするんじゃなくて、待ち続ける。時間はかかりそうだけどね」


 侑希が満足げな表情を見せる。ただ、裕貴がそう言ったのは自分で答えを見つけるという感覚が欠損しているが故でしかない。


 「いつもどのくらいまで街を歩いているんですか?」


 「いつもは二時とかかな。でもあまり時間で決めたりはしないかな。家に戻れると思ったら帰るようにしてる」


 侑希は何か問題を抱えている。やはり似た者同士かもしれないと裕貴は思った。


 それから十数分、二人は些細な話で時間を潰した。その間、裕貴には時間を確認することしかできなかった。


 ただ、携帯電話を確認してみても母親から連絡は届いていない。侑希と過ごす時間の方が有意義なようだった。しかし、それも終わりを迎えてしまう。


 「……そろそろ時間だよね。高校生をこんな時間に連れていたら怒られちゃうかも」


 「それはお互い様です。侑希さんだってあんな連中に絡まれてたじゃないですか」


 「私はいいの。じゃあ精算してくるから外で待ってて。駅まで案内するから」


 侑希が注文票を手にレジへ向かおうとする。裕貴はとっさにそんな侑希を止めた。


 「自分の分は自分で払いますから」


 勝手な行動を非難しつつ、自分の財布に手をかける。しかし、今度は侑希が裕貴の手を止めた。


 「これがお礼だってこと分かってる?」


 頬を吊り上げる侑希に思わず見惚れる。裕貴は小さく頷いた。


 店を出ると、侑希は新宿駅近くまで裕貴を誘導した。足を止めたのは駅近くの大きなスクリーン前で、侑希が向かい合って口を開いた。


 「ここまで来れば大丈夫だよね」


 「ありがとうございます。侑希さんも気をつけてください」


 裕貴は建前だけでも侑希を心配してみせる。侑希は嬉しそうに頷いた。


 「今日は本当に色々ありがとう。私の時間潰しにまで付き合ってもらっちゃって」


 「良いんです。それじゃ」


 最後の挨拶を終えて裕貴は侑希に背中を向ける。二人が会うことはもうない。それは少し残念なようにも感じた。


 「あの……」


 裕貴が歩き始めると背中に声をかけられる。振り返ると侑希が言葉を紡いだ。


 「私、三日後の十一時頃にもこのあたりにいると思います」


 その目に期待は見られない。裕貴は少し考えてから返答した。


 「覚えておきます」


 短く伝えてから機能していない駅へ向かう。振り返ることはできなかった。

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